
シネマ・ヴェーラのウェスタン特集で「リオ・グランデの砦」を見た。古きよき西部劇を劇場で見たのははじめてだが、なかなかよかった。
メキシコとの国境に近い最前線の砦を守るヨーク大佐(ジョン・ウェイン)のところに15年前に別れた息子が新兵として配属されてくる。息子はウェストポイント士官学校に入学したが、数学で落第して退学し、陸軍に志願兵として入隊したのだ。さらに息子を学校に戻すために別れた妻までやってくる。
一方、インディアン側はアパッチを中心に三部族連合が成立し、砦は危険になる。女子供を安全な基地に移そうとするが、途中で襲われ子供たちをさらわれてしまう。ヨーク大佐は子供たちをとりもどすために決死隊を送りだすが、そこに息子がはいってしまう……
緊迫した話なのに軍楽隊がのんびりしたウェスタンを披露する場面がいくつもはさまり、ニューシネマ以降の西部劇とはまったく違う時間が流れている。ジョン・ウェインはアメリカの父親そのもの。母親役のモーリン・オハラのきりっとした美しさも印象的。
併映の「ウィンチェスター'73」も面白かった。何千丁に一丁完璧な銃ができて、ウィンチェスター社では銃床に銘板をつけて大統領や特別な人への贈物にしていたそうだ。その特別な銃が西部の町の射撃大会の賞品になったことからはじまるお話で、銃の争奪戦に兄弟の因縁話がからむ。やはりテンポが最近の西部劇とはまったく違いゆったりしている。退屈と感じる人もいるだろうが、こういう往年の名作は一度は見ておいた方がいい。
シアターXでポーランドのヴィエルシャリン劇団の「マネキン人形論」を見た。原作はマネキン人形に生命をあたえるというシュルツの幻想的な物語。ヴィエルシャリン劇団は人形劇の劇団だが、この芝居は人形ではなく人形に扮した俳優が演じる。
人形のふりをするのは最初だけで、すぐに人間にもどってしまう。人形のふりも歌舞伎の人形ぶりのような繊細な動きではなく、木偶人形のようなぎくしゃくした乱暴な動きだ。ゴーレムという言葉が何度も出てきたが、ゴーレム伝説が背景にあるようだ。
舞台装置も殺伐としている。柵のように細長い板を透き間をあけて打ちつけただけの塀。板に巻きつけたラップが闇の中で光っている。板の透き間の向こうにランタンの灯りがもれ、息子が塀の外に出てくると巻きつけてあったラップを剥がしていく。
舞台上端には黒電話の受話器が吊革のようにずらりと下がっている。父親はユビュ王みたいに唯我独尊だが、家政婦のアデラは『ER』のロマノのようなオヤジ俳優が演じている。息子は狂言回しで、住込みのお針子になったりドイツ兵になったりする。
グロテスクで泥臭いユーモアはシュヴァンクマイエルに似ているが、都会的な洗練を感じさせるのは原作のせいか。原作は平凡社ライブラリーの『シュルツ全小説』にはいっているよし。
終演後のティーチインでは演出家のトマシュクが滔々と自説をレクチャーした。第二次大戦とその後の共産党支配で根絶されたユダヤ文化を回顧する意義を語っていたが、劇団が本拠とするのはガリチア地方で、「ソハの地下水道」の近くらしい。
新文芸座で「鉄道員」を見た。東宝系のシネコンの「午前十時の映画祭」でデジタル上演されているもので、画質・音質ともにすこぶるいい。名画として名高いが、面白いかというと微妙。ピエトロ・ジェルミ自身が演じる機関士の父親がバカすぎて理解不能。長女役の シルヴァ・コシナの美しさを愛でればいい映画なのかもしれない。
併映の「禁じられた遊び」も状態はいいが、設定のいい加減さが気になった。もちろん意図的にメルヘンにしているのだろうが、ほとんどナルシソ・イエペスの音楽でもっている映画。

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