国語審議会中間報告と78JIS再評価


 

加藤弘一



1. 83JISの作った亀裂

 7月で二年間の任期を満了する第21期国語審議会は、6月24日、最後の総会を開き、中間報告をまとめ、町村信孝文相に提出した。この報告では敬意表現のあり方に一定の指針を示すとともに、文字コード問題に直結する常用漢字表表外字について、明治以来の伝統的印刷字体(「いわゆる康熙字典体」)を標準とすることが確認され、「表外漢字字体表試案」が公開された(以下、「表試案」と略記)。

 ある新聞からコメントを求められた際、「印刷標準字体」という名称はネットワーク時代にそぐわないのではないかと述べた。あちこちでくりかえしてきたことであるが、紙を正本としない電子データが急速に増えている。電子データは、いつでも紙に打ちだせるが(その意味で「ペーパレス」と呼ぶのは不適当である)、一度も打ちだされない場合もあるし、打ちだしたとしても、打ちだした状態が正本なのではない。正本はあくまで電子データなのである(ほら貝掲載の文章もそうである)。電子取引や電子的文献保存が盛んになるには、紙によって担保されない電子データの同一性の保証が必要である。国語審議会は手書でも印刷でもない電子データをも視野にいれてほしいのである。

 中間報告のうち、「表試案」の部分を閲読する機会をえたが、方向性は明確に読みとれた。一言でいうなら、83JISが作った印刷文化と電子テキストの亀裂を修復することである。

 「表試案」は、前文で「常用漢字表制定時の予想をはるかに超えるワープロ等の急速な普及によって,表外漢字が簡単に打ち出せるようにな」ったが、「1教科書や辞書などで用いられている鴎涜が打ち出せないこと、2鴎と鴎のどちらの字体を標準とすべきか,すなわち表外字字体の標準がないこと」という二つの理由によって、混乱が起きており、「今後,情報機器が一層普及することによって,更に大きな影響をもたらすことが予想される」と述べている。

 以下は核心部分なので、まとめて引用する。

 このような実態がある中で,表外漢字に常用漢字に準じた略体化を及ぼすという方針を国語審議会が採った場合,結果として,新たな異体字を増やすことになり印刷文字に大きな混乱を持ち込むことになる。国語審議会は,上述の漢字字体の使用実態を踏まえ,この実態を最優先に考えた。すなわち,常用漢字表の表内と表外において,略字体等といわゆる康熙字典体との扱いが異なっているのは,一般の文字生活に新たな字体上の混乱を引き起こさないためである。この考え方は,同様の意味で,常用漢字の通用字体をいわゆる康熙字典体に戻すことを否定するものである。

 「表試案」では「いわゆる康熙字典体」を印刷標準字体、許容範囲と判断された略字体を簡易慣用字体と呼ぶ。「印刷標準字体」という名称は、「印刷文字としての標準字体で,手書きの場合を拘束するものではないことを明示するため」であり、従来、「許容字体」とされてきた略字体を「簡易慣用字体」と名称を変えたのは「印刷標準字体の略字体等として,比較的頻度の高いものと認められるもの」のみを選定したからである。

 「表試案」本表に掲出するのは 215字、そのうち簡易慣用字体が認められて併記されたのは 39字であるが、この 215字は、次節で述べるように、凸版印刷がおこなった漢字出現頻度数調査で上位3,200位にはいった漢字の中から選ばれた。「なお,表外漢字字体表に示されていない表外漢字については,基本的に印刷文字としては「いわゆる康熙字典体」によることを原則と考える」と明記されているように、他の表外字では略字体は許容されない。

 したがって、「表試案」に載っていない「堋」は「堋」が適合ということになる。

 この方針は、背景事情はまったく異なるけれども、結果だけを見るなら、当用漢字時代に施行された 78JIS(1978年に施行されたJIS基本漢字の第一次規格)とよく似ている。78JISは当用漢字表表内字については、当用漢字表の略字体を採用し、表外字については「いわゆる康熙字典体」を一貫して採用したからだ(写植字母の不足から、一部、例外が生じたが)。

 78JISの三年後にあたる 1981年、漢字制限色の強い当用漢字表が廃止され、常用漢字表が内閣告示として公布される。常用漢字表は当用漢字表所載の 1850字に 95字をくわえた 1945字をおさめる。表内字については、常用漢字表は当用漢字表の略体を踏襲している。当用漢字表は表外字は使わないという趣旨だったので、表外字の字体については一切規定していなかったが、常用漢字表では、審議の過程で、表外字の使用を許容する代わりに、表内字に準ずる略体化をおよぼすという意見が出た。この機会に、漢字制限を一層推進しようというわけである。

 だが、こうした極端な意見は斥けられ、「常用漢字表に掲げていない漢字の字体に対して、新たに、表内の漢字の字体に準じた整理を及ぼすかどうかの問題については、当面、特定の方向を示さず、各分野における慎重な検討にまつことにした」と現状維持が確認された。

 これは戦後の漢字政策の大転換であるが、おさまらないのは漢字制限論者である。JIS基本漢字が90年改訂の第三次規格まで、国語学者の主導で策定されてきたのは、現JCS委員会の芝野委員長も認めるところだが、83年改訂に参加したただ一人の国語学者である野村雅昭氏は、「漢字制限の推進者たちに、過失があったとすれば、それは制限をもっと効果的におこなうための努力をおこたったことにある」と書くような、ゴリゴリの漢字制限論者だった。彼は常用漢字表について、こう書いている。

 もはや、すべての国民がおなじ文字を所有し、なるべくおなじことばで意志を交換するという理想は、うしなわれてしまった。敗戦後の自由をあれほど享受したわれわれが、こういう事態をまねいたのは、みずからの怠慢によるものである。一九八一年をさかいとして、国語改革における時計のハリは、あきらかに逆にまわりはじめたのである。

 野村氏によって主導された 83改訂は、常用漢字表にさからい、表外字の大胆な簡略化をおしすすめた。「鴎」を「鴎」、「涜」を「涜」に改変したり、「檜」と「桧」、「壺」と「壷」のコードポイントを入れ替えるなど、規格にあるまじき異常な変更がおこなわれた。

 野村氏はJIS基本漢字の83改訂と同時に進められた「ドットプリンタ用24ドット字形」の規格(JIS C 6234)でも中心的な役割を果たしたが、こちらの解説には「常用漢字表が目安とされるところからも、情報交換用の文字集合である JIS C6226と関連をもつ本規格として、統一的な字形を用意することが望ましい」と、まるで常用漢字表にしたがって表外字の字体を変更したかのようなことが書かれている(内閣告示の改竄といっても間違いではないだろう)。こうしたことがあって、パソコン業界には、83改訂による混乱は常用漢字表のために生じたという、事実と反する誤解が広まっている。

 常用漢字表に反する改訂(というより改悪)を強行した結果、78JISとの間に齟齬が生じただけでなく、印刷文化との間にも亀裂が生じた。もちろん、野村氏は意図して混乱を起こそうとしたのではなく、持論を守るために、文字改革を断行しようとしたのだろうが、結果としては今日までつづく混乱をまねいただけだった。

 この改悪がなければ、今回、国語審議会が論議したような文字コード問題の多くは生じなかった。もちろん、常用漢字表は 78JISが準拠した当用漢字表よりも 95字増えているのだから、78JISがそのまま「表試案」に適合するわけではない。わたしが調べた限りでは(見落としがあるかもしれない)、95字中、18字が伝統的字体のままなので、略字体に直す必要がある。略字体で示せば、以下の通りである。

殻、頑、喝、靴、嫌、溝、遮、据、逝、
栓、濯、棚、塚、扉、頻、雰、泡、癒

 また、予算不足かららしいが、78JISでは一部の表外字が略字体・俗字体で例示され、同規格表の第四刷および 83年以降の改訂で伝統的字体になおされた。伝統的字体で示せば、「燗」「冑」「嚥」「拐」などである。こうした不一致はいくつかあるが、78JISで記録された電子テキストは、現在の印刷物の実態に近いのである。

 常用漢字表に対する漢字制限論者の巻き返しという意味を担ってしまった83改訂であるが、文字改革の試みはどこまで成果を上げただろうか?

 国語審議会では、凸版印刷、大日本印刷、共同印刷三社が1997年におこなった「漢字出現頻度調査」(延べ37,509,482字が対象)を検討した結果、表外字については「いわゆる康熙字典体」が用いられていると判断した。83JISのために、一部旧型機を除く大部分の電子機器では「鴎外」「冒涜」としか表記できないにもかかわらず、印刷物では依然として「鴎外」「冒涜」という表記が一般的である。教科書や辞典類でも、人名漢字を除けば、「いわゆる康熙字典体」が標準という状況は、83改悪前と変わっていない。もちろん、これは編集者や校正者の努力の賜物なのであるが、83改悪のために、電子データと活字文化の間に深刻な亀裂が生じ、印刷字体と齟齬する状態の電子テキストが流布しつつあることは重大な危機と認識しなければならない。

 83改訂を是正する努力は JIS側でもおこなわれた。まず、1990年に施行されたJIS補助漢字(JIS X 0212)では、「鴎」を「鴎」、「涜」を「涜」と置き換えるような、あまりにも無茶な改変をこうむった 28字を 78JISの字体で、独立のコードポイントに復活させた。

 97年施行の第四次規格(97JIS)では、字体包摂という概念を使って、78JISと83JISの間の亀裂を糊塗しようとした。78JISの字体でも、83JISの字体でも、どちらでもかまわないと明文化することで、亀裂をなかったことにしようというわけである(これが解決となるかどうかは疑問であるが)。

 しかし、さすがに「鴎」と「鴎」、「涜」とを「涜」をどちらでもかまわないと言うわけにはいかず、極端なもの 29字については、「過去の規格との互換性を維持するための包摂規準」と特例あつかいにし、1999年施行予定の新拡張JIS(JIS X 0213)で、別の文字として登録する予定であるという。この29字と補助漢字で復活した28字は、26字が一致する。補助漢字だけが復活させたのは「痩」「繋」、新拡張JISだけが復活させるのは「箪」「蝉」「騨」である(いずれも 83改悪後の字体で示した)。

 今回の「表試案」は、こうした一連の 83改悪是正の努力の総仕上げという意味をもつ。83改悪によって印刷文化と電子テキストの間に生じた亀裂を修復する機会は、本格的なネットワーク社会がはじまりつつある今しかない。その意味で、国語審議会の今回の決定は歴史的意義をもつと考える。


 

2. 「表試案」の成り立ち

 「表試案」で検討対象となった漢字は、以下の条件に該当する 978字の中から、「字体・字形上に問題があると判断」された 215字が選ばれた。

  1. 凸版印刷の漢字出現頻度数調査で上位3,200位にはいった漢字
  2. JIS X 0208:1997で「過去の規格との互換性を維持するための包摂規準」に掲出された29字
  3. 1990年10月20日の法務省民事局長通達「氏又は名の記載に用いる文字の取扱いに関する通達等の整理について」の別表2に掲出された140字
  4. 上記のうちで常用漢字の異体字を除いたもの
  5. 上記のうちで中国の地名・人名にのみ用いる漢字を除いたもの

 略字体を簡易慣用字体として許容するか否かの判断は、社会的に定着しているかどうかを判断して決定されたが、その際、よりどころとなったのは上記凸版印刷調査で4500位以内に略字体が出現するかどうかという要因である。215字のうち、簡易慣用字体として許容されたのは、以下の 39字である。

遡、辻、祇、祀、渕、桧、壷、噛、讃、櫛、曽、痩、薮
楕、涛、祷、祢、絣、砺、芦、蝋、篭、卉、隙、掻、薩
煎、鬱、穎、澗、厩、惧、荊、靭、纏、兎、桝、臈、臈

 本当は 215字すべてを掲載したいところだが、作字が面倒なので、6月25日の朝刊各紙をご覧いただきたい。

 「表試案」ではとかく議論の多い「字体」「書体」「字形」の区別についても考え方が示された。

 字体については、常用漢字表前文を踏襲し、「文字の骨組み」であるとされた。文字の骨組みとは「ある文字をある文字たらしめている点画の抽象的な構成の在り方」であり、「他の文字との弁別にかかわるもの」である。抽象的とはいっても、「骨組み」であるから、なお有形の存在であることはいうまでもない。

 書体は「字体の具体化に際し,視覚的な特徴となって現れる一定のスタイルの体系」とされている。印刷文字でいえば、明朝体、ゴシック体、正楷書体等々である。

 字形は「印刷文字,手書き文字を問わず,目に見える文字の形そのものを総称し」たものである。以上の概念の整理は、今後の議論の土台とするべきだろう。

 文字コードについては、「今後,情報機器の一層の普及が予想される中で,その情報機器に搭載される表外漢字の字体については,表外漢字字体表の主旨が生かされることが望ましい。このことは,国内の文字コードや国際的な文字コードの問題と直接かかわっており,将来的に文字コードの見直しがある場合,表外漢字字体表の主旨が生かせる形での改訂が望まれる」と、工業技術院側の対応が明確に要請されている。

 本格的なネットワーク社会がはじまりつつある現在、文字コード問題の混乱の一因ともいえる常用漢字表表外字の字体について指針が出来たことの意義はきわめて大きい。電子機器の画面解像度が飛躍的に向上した今日、略字体を認めることにどういう意義があるのか疑問に思わないでもないが、印刷文化の実態を尊重するという「表試案」の方向性は妥当と考える。


 

3. なにがどうなる?

 「表試案」は、第22期国語審議会の審議をへた後、2000年 6月に答申として文部大臣に提出され、同年中に内閣告示として公布されるものと思われる。常用漢字表同様、内閣告示であるから、官公庁、教育機関、マスコミ等では、遅くとも 2001年の最初の日には、「表試案」に対応した電子機器が一部でも動いていないと具合が悪いだろう。

 あと二年で、何が出来るであろうか?

 実はひじょうに簡単で安上がりな対応法がある。78JISを使うのである。旧型の9801シリーズをひっぱり出してもいいが、OS/2や NEC版の Windows95で、78JIS互換モードを選び、常用漢字で追加された文字のうち、印刷標準字体で実装されている 20字の略字体と、表外字で略字体で実装されているいくつかの文字の印刷標準字体を外字として登録しておけばいいのだ。

 この方法はインターネットでも使える。インターネットメールの標準となっている ISO 2022JPでは、78JISと 83JIS以降をエスケープシークェンスで区別できる。外字はちょっと工夫が必要である。この対応法を78JIS+とでも名づけて、賛同者をつのり、後の改訂で使われていない 47区の後ろあたりに、上記の二十数字を登録したフォントを作り、無料で配布するのである。この方法なら、78JISを使いつづけている人にも迷惑をかける心配はない。78JISのエスケープシークェンスを感知したら、78JIS+にフォントを変更する簡単なプラグインを作って公開すれば、WWWでも使える。

 というのはすべて冗談であるが、工業技術院がまた妙なことをしたら、このような私製コードでも対応できるということは確認しておきたい。


 

Copyright 1998 Kato Koiti

This page was created on Jun30 1998; Last updated on July02 1998.




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