『幽霊はここにいる』稽古場訪問記

安部里沙

 鴻上尚史さんにお願いして、KOKAMI@networkが5月9日から上演する『幽霊はここにいる』の稽古の一部を見せていただいた。芝居の稽古の風景はとてもにぎやかだった。鴻上さんは、こだわった演出をしていて、それは、部分には凝っているのだけど執着しすぎないで、観客にあたえる印象を、全体のバランスを考えておこなっているように思えた。前回の上演(新国立)とは、全く異なった雰囲気を醸し出している。キャストのチョイスがとてもうまい。小さな大場三吉など、想像もしていなかったが、池野めだかは、本物の大場三吉を見ているようだった。あと、長身の、幽霊を見ている青年に扮した北村有起哉がまた、すばらしかった。人のよすぎる狂気をみごとに演じている。また、小さな大場三吉と大きな青年というちぐはぐさも、見ていて面白い。今回は、芝居の下書きの一部を覗かせてもらったわけだが、これに色彩が加えられて、完成されたものを見るのが楽しみだ。

鴻上尚史

 鴻上尚史インタビュー

―今回の上演にあったって、何か企業秘密みたいなことありますか―

鴻上 え、企業秘密? それは企業秘密だからねえ、はは。ぼくはそもそも高校時代から安部公房先生が好きだったんですよ。だから安部公房的な理論の展開というものは、すごく好きだしついていけるわけですよ。それはその、安部公房先生の言っていた現実に対して一本補助線を引くというやり方をしていて、たとえば、この角度とこの角度が同じだということを証明するために、補助線を一本引く事で、平行になって、同位角がこう同じになるとか……。

―あー……―

鴻上 数学苦手? わかんないか、まあいいか。そういう論理の飛び方って言うか、現実をひっぺがすために、こういうふうな論理のジャンプをするとおもしろいんじゃないの? とかっていうのは、ぼくはまあ、安部公房先生が好きだったこともあって、まあわかるんです。だけど、役者さんていうのは気持ちから入っていくわけです。だから、論理として、こうこうだからこうでしょっていうより、自分の気持ちがどう流れるかっていうのがあって、それがやっぱり役者の仕事なので。論理を語るんだったら、それはその、評論家さんとかさ、何かの先生とかさ、そういう風な人にまかしとけばいいんでさ。その世界で気持ちを動かして、怒ったり、笑ったり悲しんだりするのが俳優の仕事だから。そうすると、安部公房先生の論理のジャンプにとまどう人もいるね。だからこう聞くと、あ、よくわかると。これこれこう、あ、なるほど。だけど今度、人の稽古見ていて何でああいう風になるの? どうしてですか、って逆に聞かれて。そうか、ぼくはああいう所が逆に好きだからわりと簡単に納得したけれど気持ちが入る人は逆にそういう所はたいへんなんだろうと思いましたね。これが企業秘密ですか。
 おじいちゃんの世界は、まあ言ってしまうと、とんでもない世界なわけじゃない。難しい言葉で言うと、不条理演劇って言うんだけど、でも僕は、楽しい世界だと思うのね。それを、すごい深刻に考えると、どういう事なんだろうっていうふうになって、考えていくと,どんどんわかんなくなってくるんだけど、でもすごく単純に考えると、だって世の中ってそもそも不条理じゃん、っていうのがあるじゃん。つまり、普通のお芝居やっているみたいに、起承転結がさ、あって、この人はこの最初の登場のシーンから席をしていて、次のシーンで血を吐いたから、最後結核で死ぬみたいな、なんかすごくわかりやすいって言うか起承転結のものが、作品としていいってもてはやされているわけ。でも現実って、死ぬ時は突然死ぬわけでね、何の複線もなく、じゃあねって手を振ったら、その帰り道にその帰り道に、事故にあって死んじゃうとか。でもふつうの作品だとお客さん怒るわけで、せめて交通事情が悪いとか、この交差点は視界が悪いとか、なんか振っとかないと突然死にましたは無いだろうっていうふうに突っ込まれがちなんだけど、つまりその、現実っていうのはそういうものだから、おじいちゃんの作品が不条理だっていうの。現実がとんでもないわけだから、だからおじいちゃんの作品もとんでもないっていうだけのことで。でもなにが劇場に足を運ぶ動機になるのかと思うと、ふつうは現実だと突然死んじゃいましたっていうのがあると、そうなの、だから人間ていうのは信用できないし、人を好きになっても突然死ぬかもしれない訳だし、だからもう人を深く愛するのも怖いし、だからもういつ会社が倒産するかも分かんないしとかいうことで、現実だと、そういう不条理に出会うとみんな落ち込んだり悲しかったりするんだけど、俺が思うおじいちゃんの世界っていうのは、そういうものを笑い飛ばしているっていうか、ユーモアで、うんそういうもんだよっていうのがあって、そういうもんだけど、そういうもんを嘆いていてもしょうがないじゃないのっていうのがあって、そういうものが人生なんだからもう逆に、そういうものを笑い飛ばしていきませんか、みたいなことになっているような気がする。

安部里沙

―あ、はい、おじいちゃんも、ユーモア無しでは、人間は現実に耐えられない、って言ってますね―

鴻上 そもそもおじいちゃんの作品は好きなの? 

―はい、もちろんだい好きです―

鴻上 むずかしいわな。

―はい、難しいですね―

鴻上 楽しいのっていうのは比較的単純に楽しいものから、すごく難しいものまで、いっぱいあるもんね。むずかしいっていうか、読むのにちょっと力のいるっていうのがさ。

―やっぱり、今こそ読んでおかなきゃ、って感じで焦って読んでいるんですけど、ね―

鴻上 あー、いやいや、いやいや、おれなんか高校の時に読んだのはさ、『人間そっくり』とかさ、「R62号の発明」とか、エンターテーメント系のものはすごく楽しく読めたけど、高校生で『砂の女』読んだときは、ちょっとやっぱり、あの、歯がたたなかったな。

―あー、あはは―

鴻上 おれ、高校の時、読書感想文で、それこそあの当時は売りたいから、『終わりし道の標に』の感想文を書いて、それがその県のコンクールで優勝したんだけど、今から思うとね、頭でっかちでね、よく分かっていなかったと思うんだ。あの当時は、おれは安部公房読んでるぜ、ってことのほうがすごくかっこいいと思いこむっていうのがあったね。

―あー―

鴻上 だからそんな若くて、全部分かることないじゃないんでしょうか。

―うーん、でも今、作品を経験しておく事によって初めて、あとで違う取り違えかたをしていたっていうことがわかるっていうのもあるから、今読んでおくっていうふうにしておきたい。

鴻上vs里沙

―ところで一番好きな作品はなんですか。―

鴻上 そうだな、今はやっぱり「幽霊」だね。演出家っていうのは、上演するとき、それを一番好きになるから。

―あー、なるほど。「幽霊」を演出してみて、初めて分かった側面っていうのはありますか。―

鴻上 はじめてわかった側面? そーだな。小説よりも戯曲のはうが、割合楽しいのが多いなってのが分かったな。わりと小説で、それこそちょっとこう、苦しんだときもあった。つまりその、ちょっと分かんなくなってさ。今回上演する前に20本ぐらい読んでみたのね。初めターテーメントっていうものをちゃんと意識しているなって感じがしたね。やっぱりお客さんがちゃんといてっていうのがあるからじゃないかな。

―ちらっと聞いたんですけど、 CGを使っているとか―

鴻上 おれたちの年齢以上の人たちだと、安部公房ってほっといても知っているわけですよ。だから30代より上の人たちの反応っていうのは、鴻上が安部公房やるんだっていうのがあって、もうちょっと上になると懐かしいとか、昔よくやったんだよっていう反応で、でも演出家としての今回のおいらのテーマっていうのは、20代にも安部公房っておもしろいじゃん、安部公房っていう人の脚本とか戯曲っておもしろいじゃんってこう思わせることと、これ安部公房さんが去年書いた作品だよねって思わせたい。テーマとして、だから44年前に書いた作品を古典として再現しましたっていうのにしたくないわけですよ。そういうのは学校の授業でやっていればいいわけで、そうじゃなくて、今、去年とか一昨年に、安部公房はこの本書いたんですよってふうにしたい。

 見終わった後、全く事情の分かんない人が、劇場でてくるときに思っている、安部公房さんて早く次の戯曲書かないかなみたいなさ、っていうふうに思うぐらいのレベルにしたいと思っています。というのは、つまりそれこそ安部公房とは誰かとか何かとか知っている人数っていうのさ、芝居のなかでいうと数千人っていう規模でさ、やっぱおれたちは一万を越す観客を相手に・・、万をこすって事はそれこそいままでおしばいなんて一回ぐらい学校の授業で一応見に行った事があるだけだとか、ジャニーズのコンサートは行ったことあるけど、ライブは行ったことがないとか、そういう人を含めての対象だからさ、そういう人に安部公房っておもしろいじゃんって思ってもらうのが、テーマなのでCGを使ったり、今風なダンスとか、まあ、ト書きを演出家として最大限に読み替えたっていうことなんだけどさ。新聞を持った市民たちがでてくる、っていうのがあって、でてくるんだけど、新聞もってでてきたらいいんでしょっていうのがあってさ。でもそれだけじゃ面白くないっていうのがあってさ。それを最大限に読み替えちゃいました、というのでやるって。

―じゃ、今風にするって事は、やっぱり小物なんかに気を遣わなくちゃならないですね。―

鴻上 そうですね。だから装置がこういう白い箱をいっぱい積み重ねた真っ白いものにしよとしているのね。そこに服とか小道具とか、極彩色のものにしようと思っているの。たとえばラジオはまっ赤とか、鏡はうしろがまっ黄色とか、そういうふうな白い中にちょっと原色であそぶっていうのをやろうと思っているんです。今まで見た中で、一番、今風な上演になると思います。うん。

―面白そう。見てみたい……
 あの、たとえば、ジャーニーズしか見たことない、本なんて読んだことない、そういう子がこの芝居を見て引き込まれるじゃないですか。その子が、そのあとになにを考えるのか。その後になにを考えることができるのだろうか。―

鴻上 後って? その、この芝居のラストみたいなさ。あれを見ながらなんだこりゃと思うと思うんですよ。テレビドラマとあまりにもかけ離れているわけだから。だから、そっから先は演出家としては、なんだこりゃてのがあって、これで終わるのか、っていうのがあって、でも、すごくみんな元気だって言うのがあって、見たことないもんだっていうのがあってさ。見たことないと思ったところから、どう思ったっていうのが多分どっちでもいいと思うんだ。不思議なもの見たなー、でも面白かったなー。でも忘れて、ジャニーズのコンサートまた行くようになっても、その体験というのは、どっかでまたポッと浮かぶことがあると思うんだ。何だったんだろうって思って安部公房先生を気に入って、たとえば、新潮文庫を読んでみようかと思うのは理想形なんだけど、でもそうじゃなくて、でも人生ってこうだよねって思う、テレビドラマ見てると、気持ちよく起承転結で落ち着くんだけど、でも人生ってこういう訳の分からないものだよね、っていうふうにちょっとでも思ってくれればそれがすごくすてきだと思う。後一番の理想型は、まあ文庫を買うことと、まあ全集を買うことと、後は安部公房っていう人の芝居をもっと見てみたいというふうに思ってくれるのがもっと理想だわね。

鴻上尚史

―ところで安部スタジオの劇を観にいったことはあるんですか? ―

鴻上 ぼくは四国の愛媛県の出身なんですけど、ちょうど四国から大学に上京した年がちょうど安部スタの「イメージの展覧会」の「仔象は死んだ」をやった年なの。そしたらもうやんなくなった。
 テレビで「友達」を見て、それは高校の時で、でその「友達」を文化祭でやって、

―演出とか……? ―

鴻上 いやいや、やりましたよお、やらせていただきました。演出と仲代さんがやっていた押し入られる男。おいしいとこ全部やって。

―わーすごい―

鴻上 冒頭傘を持った市民たちがあらわれる。その市民たちがあらわれる前に、こういうので始まります。舞台の前に紗幕があってその紗幕にこういうのが写ります。

 ここで冒頭のCGを見せてもらいました。

観劇の感想

安部里沙

初日の、舞台を見てきました。
エンターテーメント性の強い、アップテンポな舞台で、
どんどんどんどん盛り上がっていって、
いきなり、ラスト。
作家の本当の意図が示された舞台といえるかも。

あと、役者がうまい。

また、見に行きます。

2002年 5月 9日記
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This page was created on May07 2002; Updated on May10 2002.
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