杉浦日向子 『百日紅』

加藤弘一

 さあさあ、当代花形人気絵師、杉浦日向子の『百日紅』が本になりました。画狂老人北斎先生を座頭に、娘お栄、弟子善次郎、お政、国直引きつれての浪千鳥、外題の通りみごと咲きほこりますか、この秋一番の話題作、まずは評判評定のはじまりはじまり。

頭取 北斎といえば緒方某がやった『北斎漫画』という活動がありましたが、あちらは馬琴を相棒にした不良中年路線、こちらは絵草子らしく、お栄善次郎をしたがえたさわやか青春路線。緒方の北斎は腕白坊主のようでしたが、こっちはぐっと落ち着いて、奇人ぶりに風格があります。こういう親爺殿がどっしりひかえているから、娘ながらさっぱりしたお栄の気性も映えるというもの。あっぱれあっぱれ。

悪口 ちと待て。文化十一年北斎五十五歳のころのはなしと巻頭にあるが、それならお栄は三十すぎの大年増のはず。一説によれば、後添えにいった先を出された三十五の出戻り。それが一回りもサバを読んで善次郎と同じ二十三とはおかしいや。お栄のおぼこぶりもひっかかるが、善次郎がまるっきりウブというのもげせねぇ。後の淫斎英泉、女郎屋までひらいた男だよ。だまかすなといいたいね。

贔屓 野暮な言い掛かりはいい加減にしな。江戸の人達はもっとおおらかさ。歌舞伎に吹き寄せのあるならい、雲にかけはしを掛けようが、一回りや二回り鯖をよもうがどうしたってんだい。杉浦屋はあっさりしたところがいいんだ。しつこい話がよみたけりゃ、どこか他所をさがしな。

頭取 さようさよう。文化文政の江戸というと、頽廃だ衰弱だと喧しく、何やら暗黒時代のようですが、百花繚乱繁盛をきわめ、今日日本のついの雛形となった時代であることを忘れてはなりません。すさんだといわれても江戸は江戸、そうガラリと人情がかわるものではありません。臍まがりの北斎先生をひっぱりだし、ほのぼのと風情をかもしたことはまことにお手柄と申せましょう。

悪口 待て待て。あっさりしたの、ほのぼのしたのと言われるが、はたしてそうか。なるほど、大方はあっさりしているが、ところどころ、生臭い手が見える。ためしに其の八の「女弟子」を開いて御覧あれ。お政の目つきもねばっこいが、すっぽんの見立てがなんともくどく、生臭い。北斎のすっぽんはああなもんか。目に愛敬があってカラリとしてらぁ。

贔屓 おっと、そこが杉浦屋のいい味じゃねえか。風流なくてななくせ、たまにコリッとしているからいいのよ。豆餅みたような玄妙な味わい、わからねぇかな。

悪口 豆餅は大きれぇだ。色気のカタマリが粒々ででてくるようじゃいけねぇな。きんとんみたようにしっぽりとけあっててもらいてぇ。

わけ知り あたしは豆大福の方が好きですが、たしかに色気のだしかたがネェ。はじめてお化粧した女の子がベッタリ紅を塗りたくったみたような。デモ、そこがかわいい。地がよけりゃ、なんだって似あいます。

頭取 なるほどなるほど。そういえばこの絵草紙のお栄にも、そんなところがあります。アゴとか化十とか北斎先生に毒づかれていますが、突っ張っている時の顔が何ともよろしい。活動では田中裕子丈がやりましたが、こっちのお栄の方がよっぽどいきです。

悪口 いやいや、史実通りが一番とはいわねえが、おぼこの突っ張りとしこめの突っ張りとじゃおぼこの突っ張りの方がかきやすいのは当たり前。其の九の「鬼」じゃ地獄図を描いて亡者を呼出したお栄の尻ぬぐいを北斎がしているが、本当の鬼は地獄を描きこめたお栄本人だったはず。それがおいたをして叱られた小娘の話にすりかわったんじゃ、泉下のお栄さんも片腹いたいというもの。あきれてらあね。

贔屓 おっと、その言葉はそっくりお返しするぜ。史実だ、本当はだといっているが、江戸の昔にそんなしゃらくせぇ理屈があったかね。お栄ちゃんや北斎先生があきれてるのはお前の方さ。汁粉で顔あらって出直しな。

頭取 よくぞ申された。この絵草紙は江戸の真情を写して当代奇中の奇。上々吉ときわまりました。

一同 そうともそうとも。

(1985 『週刊宝石』)
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Copyright 1996 Kato Koiti
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