ギボン 『ローマ帝国衰亡史Ⅳ
塩野七生 『ロードス島攻防記

加藤弘一

 中野好夫の最後の仕事、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』第四巻の翻訳が刊行された。ギボンの名前はなじみがうすいかもしれないが、十八世紀イギリスの文人で、モーツアルトやマリー・アントワネットと同時代の文人である。本巻ではユリアヌス帝の悲劇的なペルシァ遠征から、テオドシウス帝の死までを扱う。一四五三年の東ローマ帝国滅亡までをつづった全十巻のうち、半ばにも達しないうちの逝去だったが、『史記』とならび称される歴史文学の傑作の五分の二が、中野の日本語で読めるようになったわけである。

 ギボンも司馬遷も歴史の魔に魅せられた点は同じだが、その筆法は大きく異なる。『史記』は紀伝体の体裁をとり、あくまで人物という切り口から歴史を叙述する。帝王だろうと、武人、文官、盗賊だろうと、司馬遷の筆は熱い共感に満ち、中国古代史を彩ったさまざまな人々を身近にひきよせてくれる。韓信の次々とくりだす奇抜な戦法にうなり、自分も希代の名将軍になった気分にひたる読者もすくなくないだろう。

 すくなくとも、『衰亡史』はそのような楽しみは与えてくれない。歴代皇帝を活写していく筆の冴えはあるものの、人間的観察の対象となるのは皇帝と皇帝に準ずる者のみで、司馬遷なら舌なめずりして列伝を作ったような英雄豪傑名人達人の類はあくまで脇役としてあつかわれるにすぎない。ギボンの興味の中心はもっと別なところにある。

 ギボンが腕によりをかけて描こうとしたのは、ローマ帝国という制度である。『衰亡史』第一巻をひもといた読者なら、冒頭に語られる両アントニヌス帝期ローマの繁栄のありさまに息をのむだろう。地中海をそっくり抱えこむ版図を領したこの帝国は、その全域が統一的な法律によっておさめられ、多種多様な文化宗教をもったさまざまな民族が、渾然とまじりあいながら生活していたのである。

 アウグストゥスの帝政開始以来、皇帝・元老院・民会は三どもえの権謀にみちたかけひきをくりひろげてきたが、その諸勢力均衡の結果として出現した黄金時代のローマ帝国は、ひとたびギボンの語り口に接したなら、人類史上の傑作としか思えなくなるはずだ。ローマ人の残した最高の芸術作品はローマ法だという言葉があるが、ギボンの描いたローマ帝国こそ、法律という抽象的なものが現実に機能している姿なのである。

 『衰亡史』はこの人類史上の傑作がどのように変質し、解体していくかを追った年代記である。だが、急いで言いそえよう。変質解体といっても、それは帝国の暗黒面に注目したがゆえに選ばれた切り口ではない。逆である。『衰亡史』は皇帝暗殺、クーデタ、軍隊の専横、蛮族の侵入等々、血なまぐさい記事にあふれているが、われわれが強く印象づけられるのは、それでも滅びないローマ帝国の頑丈さとしたたかさなのである。

 そして、重要なことは、この強さを述べるにあたって、ギボンは建国精神とか民族性とかといった主情的な言葉であいまいかすることなく、どこまでも制度論的な視点で冷静に記述していることだ。もちろん、これには十八世紀という時代が大きく作用していたにちがいない。『衰亡史』最終巻の出たのは、一七八八年、フランス革命の前年なのである。

 『史記』に感動する読者には、ギボンの視点はものたりないかもしれないが、しかし、法や制度、国家というものの生態について、これだけ生き生きと教えてくれる本はないのである。

 しかし、『衰亡史』では腹にこたえすぎるという向きには、もっと近づきやすい本がある。塩野七生の『ロードス島攻防記』である。

 塩野には先に『コンスタンティノープル陥落』というすばらしい本があるが、本書はその半世紀後に戦われたトルコ軍とキリスト教徒のロードス島攻防を主題とする。

 ロードス島はエーゲ海東南、小アジア半島ぎりぎりのところにぽっかりと浮かぶ、気候温暖、風光明媚な薔薇の咲き乱れる島だという。神の賜物のようなこの島に、一四世紀から一六世紀にかけて、聖ヨハネ騎士団の本拠がおかれていた。

 一応の主人公は、着任したての若い騎士、アントニオ・デル・カレットだが、『衰亡史』の真の主人公がローマ帝国そのものであったように、本書の主人公も聖ヨハネ騎士団というべきだろう。

 聖ヨハネ騎士団は、正式名称を「聖ヨハネ病院騎士団」ということからもわかるように、そもそもはエルサレム巡礼のキリスト教徒に医療的な保護を提供するための団体だった。ところが、十字軍時代をむかえ、エルサレムがキリスト教徒の手に帰するや、宗教的熱情という機運に乗じて軍事集団的色彩を強め、テンプル騎士団やチュートン騎士団と張りあいながら、聖地防衛の一翼をになうまでになった。

 だが、一三一〇年のエルサレム陥落とともに、一時は全ヨーロッパ憧れの的であった宗教騎士団は存在理由を失ってしまう。テンプル、チュートンの二大騎士団は、その莫大な資産を狙う列強の餌食になって、たちまち歴史の波間に消える。聖ヨハネ騎士団も一度はボート・ピープル化し、エーゲ海の島を転々とすることになるが、したたかに生のびて、ロードス島に本拠をかまえ、対トルコの最前線に立つまでに勢力を回復する。

 宗教騎士団といえば狂信的な集団であり、当時としても時代錯誤的な存在だったが、病院業から出発したこの騎士団だけは、妙に現実感覚が発達していたらしい(なにしろ、聖マルタ騎士団となって、現在まで生のびているくらいだ)。塩野は機知と優雅な意地悪さをまじえながら、かなりコミカルにこの集団の生態を描いていく。

 塩野はいつからこんな書き方を身につけたのだろうか?

 ヴェネツィア共和国一千年の歴史をつづった大作、『海の都の物語』が転機になったのは間違いあるまい。それまでの塩野の興味は、もっぱら英邁な個人の権謀術数に注がれ、同書において初めて、国家の権謀が正面切って描かれたのだから。

 もちろん、これにはヴェネツィアの特殊性も作用していたはずだ。宗教的大義よりも商売を優先させると非難されて来たこの通商国家は、また、共和政の徹底においても突出していた。元首といえども、二千票の内の一票の決定権しか持たなかったこの国が相手では、人物中心の切り方では不十分に決っている。

 しかし、わたしはギボンの影響も無視できないと思う。一国の千年にわたる栄枯盛衰を扱おうという人間に『衰亡史』が気にならないはずはないが、それだけではなく、塩野の文体には十八世紀的なとしか言いようのない、理知的で典雅で、しかもいささかミーハー的な胸のときめき(スルタンの緑色のマントにうっとりするような)があるからである。

 中野の『衰亡史』はすこぶる体温が高く、老リベラリスト中野好夫の表現として独立した価値を持つといってよいが、ギボンの原文は若々しく、歯切れがよく、颯爽としていて、しかも少しばかりミーハー的なのである。その意味で、ギボンの興趣は塩野の文体に近いといえるかもしれない。両書を読み較べてみるのも一興だろう。

(1986 『週刊宝石』)
Copyright 1996 Kato Koiti
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