石川淳 『鷹』

加藤弘一

 昨年の冬から今年の夏にかけて、一時代を画する学者、文学者、演劇人があいついで世を去った。雑誌はほとんど毎月のように追悼特集を組んだが、宇野重吉や尾上松禄のように最後まで現役をつづけた大家が多かっただけに、ひとしお時代の節目を感じさせた。後世の出版研究者は、1988年を追悼号の年と呼ぶかもしれない。

 文学の世界でいえば、最も多く追悼の文字が手向けられたのは石川淳だったろう。年頭の文芸誌はこぞって石川追悼をかかげ、夏には「昴」の追悼特別号と「ユリイカ」の特集号が刊行された。絶筆となった長編小説『蛇の歌』と、未刊の随筆集『夷斎風雅』も日ならずして書店の店頭を飾った。

 『狂風記』の後の『六道遊行』はお世辞にもおもしろい小説ではなかったが、『蛇の歌』は力の滾々と湧きでる不思議に典雅な恋愛小説である。ある意味でこれは「白鳥の歌」なのだが、彼岸を象徴する「白鳥」ではなく、あくまで現世における脱皮・新生の象徴、「蛇」を選んだところに、石川淳の生命力の秘密があった。多くの論者が惜しむように、わたしもこの作品が未完で終ったことを残念に思う。

 だが、この作家がなぜあれほどまでに敬慕されるのか、大多数の読者にはわかりにくかったのではないだろうか。「偉い人たちが偉いといっているんだから、きっとすごく偉い人だったのだろう」それが一般的な感想だったのではないか。

 石川は名声ほどには読まれている作家ではない。『狂風記』や『森鷗外』、「紫苑物語」は一応は文庫に入っているものの、大書店にいかなければ見つけることはできないし、肝心の「虹」『白頭吟』「八幡縁起」のような50年代の代表作となると、岩波版選集でなければ読むことができない。石川の全貌を知るためには、50年代の作品が絶対に必要なのだが。

 今回、短編集『鷹』が講談社文芸文庫の一冊として上梓されたが、これを期に石川の仕事を振り返ってみたい。

 石川淳はいつの頃からか、「弧高の作家」と相場が決ったらしい。高雅で反俗的な姿勢。和漢洋にわたる学植にささえられた神技の名文。現実を超越した完璧な言語芸術を作り上げた前衛的な作風、等々。石川にはこうした賛辞が捧げられてきたし、追悼にも同じような言葉が連ねられている。

 その反面、江藤淳氏のように「長槍で戦車にたちむかう時代錯誤の小言幸兵衛」(『作家は行動する』)と評する人もいる。

 対照的な評価のようだが、賞賛するにせよ、諷するにせよ、どちらも同じことを言っているにすぎない。石川を「弧高」の作家という特別席に祭り上げ、「なんだかわからないが凄い人」で片づけている点では変りがないからだ。

 それは文学史的な位置づけにおいても同様である。

 荷風の後継にしてはいささか俗事にうとく、無頼派にしてはあまりにも堅実であり、埴谷雄高のように形而上学的と持ち上げるには明解でありすぎ、異端のレッテルを貼りつけるにはあまりにも正統的であるこの作家は、「弧高」の作家として特別席をあてがっておくしか、遇しようがなかったにちがいない。

 作品が日本的現実から遊離しているという見方と、文学史的に孤立しているという見方は表裏をなす。

 現実に対する切り込み方が確定できれば、それぞれの仕方で現実とかかわってきた他の作家との比較が可能になり、自ずと文学史的な位置づけも定まるからだ。石川が批評的にも、文学史的にも「弧高」の作家として棚上げされているのは、石川の日本的現実に対する切り込みがまだ本当には問われていないということを意味している。

 たとえば、今回文庫化された『鷹』だが、この小説を野口武彦氏のように「革命伝説」と呼ぶのは、現実の左翼運動と関係づけているようでいて、その実、運動にかかわろうとする反権力的な気概を歌いあげたというように、「弧高」の位置を再確認するものでしかない。

 それはそうだろう。ここに描かれているのは、どう考えても現実の政治運動ではなく、タバコの煙が物質化したり、新聞の活字が勝手に歩きだしたり、キュロットをはいた少女が鷹に変身したりする幻想世界の革命なのだから。

 他の論者のように、民衆の無政府主義的なエネルギーとか、反対に、現実とは係わりを持たぬ言葉の純粋エネルギーとかいっても、それは野口氏的な気概の論を言いかえたものにすぎぬ以上、江藤淳氏の「小言幸兵衛」批判をまぬがれはしない。

 では、石川は正真正銘浮世離れした気概の作家なのだろうか。

 そうではない。それは『鷹』という小説の眩いを誘うような異様な迫力が何より証明している。そして、何とは名指せないにせよ、その迫力を知っているからこそ、多くの人が石川に一目も二目もおいているのだ。

 その迫力については、わたしは以前、文体論的な角度から考えたことがある。くわしくふれている余裕はないが、わたしがそこに見いだしたのは「気」という言葉に結晶した伝統的な身体観であり、また「気」の世界を思考する朱子学の強靱な論理だった。

 この数年、漢方医学の見直しや、東洋的な身体観の再発見を通じて、「気」という言葉が注目を集めているが、そうした探求の多くは、「気」一元論的な方向に直進し、ともすれば山川草木悉有仏性的なアニミズムに溶解し、曖昧な一体感の確認で終りやすい。行き着く先は日本的な、あまりにも日本的な人類皆兄弟式の神秘主義である。

 確かに生きとし生けるものが等しく根源的な生命のあらわれであり、すべて一体であるという思想は妙に魅力的だし、われわれは高度資本主義社会に生活しながら、そうした原初的な感性をまだ濃厚に残して生きている。それは強みでもあるが、ともすれば一体感至上主義やうやむや主義に陥る危険性をはらんでいる。神秘主義アレルギーが生まれるのも、むべなるかなである。

 だが、神秘主義に踏み込みながらも、そこに分別知の光をさしいれ、蒙々たる「気」の運動の中に、微細な構造化やミクロ的な力学を見ていこうとする研究も現れてきた。『悪党的思考』をはじめとする中沢新一の最近の仕事がそうである。

 中沢はすべての対立をうやむやにしてしまう山川草木悉有仏性的なアニミズムを「日本的マンダラ」と呼び、その成立過程を精密に検証することで、天皇制の秘密にこれまでにない解明を加えたが、日本的感性の解剖と、そうした感性によってささえられた天皇制の解読において、石川の小説には中沢の論を先取りするものがある。

 それは日本の王権の秘密を主題にした「八幡縁起」のような小説や、幕末を舞台に隠れキリシタンが革命を起こすという奇抜な筋立ての長編「至福千年」においてはっきり主題化されているが、しかし、単に主題のレベルだけでなく、文体のレベルにおいても「日本的マンダラ」の威力への身を持っての認識と離脱は遂げられているのである。

 石川の小説の解明は、今、ようやくはじまろうとしている。

(Nov18 1988 『週刊宝石』)
Copyright 1996 Kato Koiti
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