これまで日本人は弥生時代以来の農耕民族であり、近代においても農民の勤勉なエートス(気風、生活信条)が発展の原動力になったという説が行われてきた。これは「常識」といっていい。
この「常識」をくつがえすような研究が、近年、立てつづけに現れている。
その嚆矢となったのは、『無縁・公界・楽』(平凡ライブラリー)をはじめとする網野善彦の中世研究だろう。網野は商業の場であると同時に治外法権の場でもあった「市」にスポットライトをあてて、農業以外の仕事を生業とする人々の活躍をあざやかに浮かびあがらせ、実はそうした人々こそ、歴史の一方の担い手であったことを明らかにした。
なかでも『異形の王権』は後醍醐天皇の建武の新政をテーマとしたケース・スタディであり、稲の王であった天皇が、中世にあって海賊、山賊、芸能者、宗教者、職人、商人といった異形の人々の王として君臨した経緯を解明する。皇室が山城の一地方政権に縮小しながらも、なお、全国的な権威を持ちつづけることが出来たのは、土地に定着せずに各地を遊行した、これら異形の人々を掌握していたからだというのだ。ここに描きだされていたのは、既成秩序の周縁に位置する人々と結びつく天皇像であり、虐げられた階層こそが天皇崇拝に向うという、左翼の躓きの石だった機微がはじめてあきらかになったと言ってよい。
網野の研究と呼応するように、中沢新一は異形の人々のエートスを「悪党的思考」と呼び、日本の思想史、政治史、芸術史をみごとなばかりに書きかえて見せた。また、栗本慎一郎は日本の財閥のルーツに注目し、世界に名をはせた総合商社が非農業民のエートスの中から生まれたと説く。さらに、小松和彦は常民(農民)研究一本槍だった民俗学の中に、異人という視点を持ちこみ、柳田国男の当初の企図(山人研究)の復活を目指した。網野の仕事とは別系統だが、原始一向宗の研究から聖徳太子信仰の解明に進み、金属民の活動の発掘へ向った井上鋭夫の業績(『山の民 川の民』平凡選書)も忘れることは出来ない。
実際、日本という国は、外部から見れば、豊葦原の瑞穂の国というより、黄金のジパングだったり、神出鬼没の倭寇の巣窟だったりした。奇跡的ともいえるこの百年の発展にも、そうした「悪党」の伝統の力が大いにあづかっていたはずだし、最近のデザイナーや演劇人の目覚しい海外での活躍には日本のもう一つの伝統を明らかに見て取ることが出来る。古代史、中世史、経済史、民俗学の見直しは、こうした時代の転換を率直に受け止め、農耕民中心の歴史観、世界観の革新を図ろうとするものだといって差し支えあるまい。そういえば、「スキゾかパラノか」という問いかけがあったが、あれは「ヒャクショーはダサイ!」の哲学的表現だったかもしれない。
今回紹介する梅原猛の『日本冒険1』も、思想界の農業離れという文脈で読まれるべきだと思う。梅原の説く縄文文化の復権と、その基層にある霊魂観・異界観の再発見は、ただちに弥生文化(農耕文化)中心史観の変更につながるからだ。
この本で梅原が論ずる話題は多岐にわたっている。ちょんまげは鳥のトサカを象ったものであるとか、鍋料理のルーツは土器文化にあるとか、「柱」は天と地をつなぐ「橋」であり、能の「橋掛」や歌舞伎の「花道」に反映しているとか、興味深い指摘がすくなくない。
しかし、『隠された十字架』や『水底の歌』のような謎の核心にぐいぐい迫る、探偵小説ばりのベストセラーと較べると、話題が散らばっている印象は否定できないし、推理の楽しみという点でも後退している。問題の性質上、アイヌ語や沖縄方言との対応が議論の決め手となり、一般読者としては推理に参加しようがない。時代が縄文まで遡ってしまうと、梅原古代学の魅力の大きな部分を占めていた「素人の目」もお手上げである。読者はこれまで以上に、梅原の個人的ビジョンにつき合わなくてはならないし、距離を置いた読み方も出来にくくなっている。
とはいえ、梅原古代学のもう一つの柱である「偶像破壊」は、まだ、本格的ではないにせよ、その一端がはっきりあらわれている。今回、梅原が照準をあわせたのは、農業=「自然」という固定観念である。彼は農業こそ自然破壊の最たるものだといっている。
農村が「自然」どころか「文化」の極であり、管理社会の典型で、むしろ都市こそ「自然」だという視点は、栗本らによって提出されていたが、樹を切り森をつぶす農耕そのものを自然破壊と断じた点は、文明の批判として聞くべきものがある。
このような観点を突きつめた先には、何があるのだろうか? 渡辺豊和氏は『縄文夢通信』(徳間書店)という奇書で、鍬を入れるとは母なる大地の体を傷つける傷害行為であり、縄文人が農耕を縄文晩期になるまで行わなかったのは、文化程度が遅れていたからではなく、自然を大切にして、敢えて行わなかったのだと書いている。
日本が異様に長い土器時代をすごした特異な地域であることは、今日、実証されている。西アジアで本格的な農耕文明が成立するより早い時期から土器を作りはじめながら、金属器には移行せず、一万年以上にわたり水田稲作を基盤とする農耕社会には移行せず、狩猟採集を基盤とした土器文化を発達させたのである。そこで育まれた伝統が高度なものであったことはしだいに明らかになっており、その痕跡は今日のハイテク文明の到るところに残り、文明の推進力ともなっているというのが梅原の洞察である。
すべてにおいて手づまりになった今日、縄文的感性の復権が未来につながるというご託宣はおいしい言説であるが、弥生時代以後を「自然破壊」とするだけなら、それもまた新しい神話を作るだけのことになりかねない。梅原の「冒険」の意義は、縄文に未来の答えがあるということより、われわれが自明としてきた日本文化の起源を疑わせるところにあるのではないか。
渡辺豊和氏のような、縄文人が一切自然に手を加えなかったという断定は今日では成立しなくなっている。縄文人は水田稲作こそおこなわなかったものの、栗林などの植物資源を人為的に管理し、豆類など一部の植物を栽培していたことが明らかになっている。