第二次大戦後、さまざまな「ヒトラー」があらわれた。「中東のヒトラー」やら「プトラー」やらが世界を騒がせているが、そうした「ヒトラー」たちはさておき、本家アドルフ・ヒトラーとなると、われわれはどの程度の知識を持ち合わせているだろうか。
ヒトラーについてはあらゆることがいわれてきた。金髪の美女を追い回した漁色家にされるかと思えば、身体的に問題のある性的不能者ともされた。第二次大戦はユダヤ人を絶滅するために起こしたとされる一方、ヒトラー自身がユダヤ人の血をひいているという説も根強い。
こうした説の多くはヒトラーの生前からささやかれてきたもので、ナチスの政治宣伝に対抗する逆宣伝や俗説の類が多いが、ナチス断罪に急なあまり、ヒトラーの悪口なら無批判に受けいれる風潮が混乱に輪をかけたといえる。
ナチスの戦争犯罪は許されるものではないが、今日、ヒトラーとナチスを歴史的に論じるなら、戦時宣伝や戦後の俗説によって付け加えられた尾ひれを取り除く作業は避けられない。事実でない悪評まで残しておくことは、ナチズムの実像を理解する妨げになるからだ。今回紹介するジョン・トーランドの『アドルフ・ヒトラー』も「通説」になじんだ目から見ると驚くような記述にあふれている。
意外に思う人がいるかもしれないが、ナチスはミュンヘン蜂起失敗後、合法路線に転じ、選挙で政権をとった。ている。レーニンは暴力によって権力を奪取し、議会を閉鎖したが、ナチスは世界で最も民主的といわれたワイマール憲法下の選挙によって最多議席を獲得し、憲法の手続きにしたがってヒトラー首相が誕生した。強制収容所などレーニンから取りいれた施策は多いが、ボリシェヴィキ型の暴力革命や民主集中制を採用することはなかった。
ナチスが暴力的なユダヤ人迫害を終始主張してきたとする見方も正しくない。『わが闘争』の主張と強制収容所での虐殺があまりにも強烈なのでそう錯覚しがちだが、ミュンヘン蜂起失敗後は、反ユダヤ主義の主張も選挙民に受け入れられるようにトーン・ダウンしていた。
政権獲得直後の国会放火事件はナチスの自作自演とされてきたが、今日では当時の判決どおり、元オランダ共産党員ルッベが関与していたことが広く認められており、すくなくとも「ナチスがすべてを仕組んだ」と断定できる証拠はない。ナチスはこの放火をドイツ共産党による組織的犯行と宣伝して受権法を成立させたが、すべてをナチスの謀略だったとする見方も政治宣伝だったのだ。
なによりヒトラー像が通説と異なる。ヒトラーについては多くが書かれてきたが、トーランドは生き残ったヒトラー側近に根気よく取材を行ない、責任の重さに悩みもすれば、孤独にのたうちもする等身大のヒトラーを描きだしている。これまでは奇癖として片づけられてきたヒトラーの薬物への耽溺や、周期的な欝状態の到来にも、トーランドは人間的な弱さを読みとり、ヒトラーが殺させたといわれてきた姪のゲリの死も自殺と推論している。そして、結果はともかく、ヒトラー自身は自らの民族共同体思想を「真の社会主義」と考えており、真意は想像の他にせよ、「女性票が減るから結婚は出来ない」という言葉を口にする大衆政治家だったと描きだしている。
ナチスが独裁者ヒトラーを頂点とする一枚岩の組織としては描かれていないことをいぶかしく思う読者もいるかもしれない。この本におけるナチス幹部たちは公然と分派をつくって権力闘争に明け暮れており、官僚機構は官僚機構で反ナチスの陰謀を企み、ヒトラーは東奔西走して彼らを説得してまわるはなはだ情けない存在でしかないのである。
だが、誤っているのはまたしても通説の方だ。機能主義的研究、とくにハンス・モムゼンは、第三帝国を競合する権力機関が乱立する多頭制ととらえ、ヒトラーを「弱い独裁者」と評することになる。トーランドの描くナチ体制には、そうした後の研究を先どりしている面がある。「独裁者ヒトラー」というイメージは『わが闘争』とゲッベルスの宣伝によってつくられた虚像だったのである。
しかし、多くの読者にとって衝撃的なのは、ヒトラー政権下のドイツが「よい時代」として描かれている点だろう。トーランドは「もしもヒトラーが政権獲得四周年の1937年に死んでいたとしたら、疑いもなくドイツ史上の最も偉大な人物の一人として後世に名を残したことだろう」とまで書いている。
トーランドの過分とも見える賛辞は、伝記作家の身びいきといったものではない。ワイマール時代のドイツが天文学的な賠償金と世界恐慌のあおりで、底なしの不況にあえいでいたことはよく知られているが、ナチスの政策がドイツをこの危機から救ったことはあまり知られていない。『わが闘争』に書かれた1925年時点の経済政策は戦争成金から金を吐き出させろといった類の幼稚で乱暴な代物だったが、1933年の経済政策はアウトバーンの建設など大規模な公共事業によって有効需要の創出をはかるもので、景気回復を大規模な国家介入と投資によって加速させ、短期間で失業を劇的に減らしたことは否定できない。1936年以降、軍備拡張のための準戦時経済に突入することになるが、短期間にせよナチスの社会主義政策がドイツ経済を復興させたことは事実なのだ。ヒトラーが獲得した広範な大衆的人気もこうした成功を背景にしたものであって、すべてを宣伝や脅迫によるものと決めつけるのはプロパガンダにすぎない。
しかし悲劇は起こった。現代の歴史研究はトーランドよりもさらに進んで、ユダヤ人虐殺は「久しく練られた計画の最後の局面ではなく、予期しない状況の下での偶発事件の一つ」とする見方まで生みだしているが(ベッセル編『ナチス統治下の民衆』)、ナチスの運動がそうした「偶発事件」に対する歯止めを欠いた非合理主義を本質としていたことも事実であろう。
資本主義の発達は伝統的な共同体を解体し、人間を孤独な個人として競争社会の中に放り出したが、寄るべない個であることからの救いを宗教以外にさがすとしたなら、マルクス・レーニン主義のように自己の根拠を国際的な労働者の連帯という階級神話に求めるか、国家社会主義のように民族の連帯という人種神話に求めることになる。
ヒトラーは「国際的な労働者の連帯」を「ユダヤ的社会主義」と呼んで否定したが、ユダヤ的云々はともかく、そのような抽象的な「連帯」で人間が救えるかという主張と見るなら、困ったことにそれなりの説得力を持っている。ハイデガーをはじめとするヨーロッパ一流の知識人がナチスに傾倒したのは「民族の連帯」という神話にある種のリアリティを認めたからだが、しかしあくまで神話にすぎない以上、ナチズムも共産主義同様、統合を維持するには人民の「敵」と強制収容所を必要とした。個であることの不安から逃れようとする人々がいる限り、新たなヒトラーはこれからも登場するだろう。