ジョン・トーランド 『アドルフ・ヒトラー』

加藤弘一

 戦後45年間、さまざまな「ヒトラー」があらわれた。最近も「中東のヒトラー」が世界を騒がせているが、そうした「ヒトラー」たちはさておき、本家本元のアドルフ・ヒトラーとなると、われわれはどの程度の知識を持ち合わせているだろうか。

 ヒトラーについてはあらゆることがいわれてきた。金髪の美女を追い回した漁色家にされるかと思えば、身体的に問題のある性的不能者ともされた。第二次大戦はユダヤ人を絶滅するために起こしたとされる一方、ヒトラー自身がユダヤ人の血をひいているという説も根強い。

 こうした説の多くはヒトラーの生前からささやかれてきたもので、ナチスの政治宣伝に対抗する逆宣伝や俗説の類が多いが、ナチス断罪に急なあまり、客観的な評価の試みを無視してきた風潮が混乱に輪をかけたといえる。

 意外に思う人がいるかもしれないが、ナチスが合法政権だったことは否定しようのない事実である。レーニンは暴力によって権力を握り、選挙に負けると国会を閉鎖したが、ナチスは世界で最も民主的だといわれたワイマール憲法の下で、公正な選挙によって政権を取り、その後も何度も国民投票を行なって民意を確認しているのである。強制収容所などはレーニンの施策から取り入れたものだが、ヒトラーは暴力革命路線と民主集中制は採用しなかった。

 ナチスが、終始、暴力的なユダヤ人迫害を主張してきたとする見方も間違っている。『わが闘争』の主張と、強制収容所での虐殺があまりにも強烈なので、どうしてもそう錯覚しがちだが、ミュンヘン蜂起失敗後、ナチスは平和的な議会主義路線に転じ、反ユダヤ主義の主張も選挙民に受け入れられるようにトーン・ダウンされていた。

 従来、ナチスの自作自演とされてきた政権獲得直後の国会放火事件も、今日では当時の判決どおり、オランダ共産党員だったルッベの単独犯行とする説が定説である。ナチスは、この放火をドイツ共産党による組織的犯行と断定し、共産主義の脅威をいいたてて一党独裁体制への道を開いたが、すべてをナチスの謀略だったする説も、反ナチス側の政治宣伝にすぎなかったのだ。

 ナチスの戦争犯罪は断じて許されるものではないが、今日、ヒトラーとナチスを論じることは、ある程度、彼らの名誉回復をともなうものとならざるをえない。今回紹介するジョン・トーランドの『アドルフ・ヒトラー』(全四巻、集英社文庫各800円)も、「通説」になじんだ目から見ると、驚くような記述に満ちている。

 なにより、ヒトラー像が異色である。ヒトラーについては多くが書かれてきたが、トーランドは生き残ったヒトラー側近に厖大な取材を行ない、責任の重さに悩みもすれば、孤独にのたうちもする等身大のヒトラーを描き出している。これまでは奇癖として片づけられてきたヒトラーの薬物への耽溺や、周期的な欝状態の到来にも、トーランドは人間的な、あまりにも人間的な弱さを読みとり、ヒトラーが殺させたといわれてきた姪のゲリの死も、自殺でしかありえないことを丹念に跡づけている。そして、結果はともかく、ヒトラーが「真の社会主義」をめざした社会主義者であり、真意は想像の他にせよ、「女性票が減るから結婚は出来ない」という言葉を口に出来る政治家だったことも指摘しており、複雑な気分にさせられる。

 ナチスが独裁者ヒトラーを頂点とする一枚岩の組織としては描かれていないことをいぶかしく思う読者もいるかもしれない。この本におけるナチス幹部たちは公然と分派をつくり、互いに権力闘争に明け暮れており、官僚機構は官僚機構で反ナチスの陰謀を企み、ヒトラーは東奔西走して彼らを説得してまわるはなはだ情けない存在でしかないのである。

 だが、誤っているのはまたしても通説の方だ。今日の研究は、トーランドが書いたように、ナチス時代のドイツは封建時代さながらの群雄割拠の政権で、ヒトラーは実力者のバランスの上にのった「弱い独裁者」にすぎなかったことを明らかにしている。「独裁者ヒトラー」というイメージは、『わが闘争』とゲッベルスの宣伝によってつくられた虚像にすぎなかったのである。

 しかし、多くの読者にとって衝撃的なのは、ヒトラー政権下のドイツが「よい時代」として描かれている点だろう。トーランドは「もしもヒトラーが政権獲得四周年の1937年に死んでいたとしたら、疑いもなくドイツ史上の最も偉大な人物の一人として後世に名を残したことだろう」とまで書いている。

 トーランドの過分とも見える賛辞は、伝記作家の身びいきといったものではない。ワイマール時代のドイツが、天文学的な賠償金と世界恐慌のあおりで、底なしの不況にあえいでいたことはよく知られているが、ヒトラーの政治がドイツをこの危機から救ったことはあまり知られていない。「わが闘争」に書かれた1925年時点の経済政策は戦争成金から金を吐き出させろといった類の幼稚で乱暴な代物だったが、1933年の経済政策はアウトバーンの建設など大規模な公共事業によって有効需要の創設をはかるもので、実際、みごとな成功を収めた。1936年以降、軍備拡張のための準戦時経済に突入することになるが、一時的にもせよ、ナチスの国家社会主義政策がドイツ経済を復興させたことは事実なのだ。民衆の圧倒的なヒトラー支持も、こうした成功を背景にしたものであって、すべてを宣伝や脅迫によるものと決めつけるのはナンセンスである。

 しかし、悲劇は起こった。現代の歴史研究は、トーランドよりもさらに進んで、ユダヤ人虐殺は「久しく練られた計画の最後の局面ではなく、予期しない状況の下での偶発事件の一つ」とする見方まで生みだしているというが(ベッセル篇『ナチス統治下の民衆』)、ナチスの運動がそうした「偶発事件」に対する歯止めを欠いた非合理主義を本質としていたことも事実であろう。

 資本主義の発達は伝統的な共同体を解体し、人間を孤独な個人として競争社会の中に放り出したが、寄るべない個であることからの救いを宗教以外にさがすとしたなら、マルクス・レーニン主義のように、自己の根拠を国際的な労働者の連帯という階級神話に求めるか、国家社会主義のように民族の連帯という人種神話に求めるしかない。

 ヒトラーは「国際的な労働者の連帯」を「ユダヤ的社会主義」と呼んで否定したが、ユダヤ的云々はともかく、そのような抽象的な「連帯」で人間が救えるかという主張と見るなら、困ったことに、それなりの説得力を持っている。ハイデガーをはじめとするヨーロッパ最高の知識人がナチスに傾倒したのは、「民族の連帯」という神話にある種のリァリティを認めたからだが、しかし、あくまで神話にすぎない以上、ナチズムも共産主義同様、団結を維持するために人民の「敵」と強制収容所を必要とした。個であることの不安から逃れようとする人々がいる限り、新たなヒトラーはこれからも登場するだろう。

(1990 『週刊宝石』)
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