黒川創 『水の温度』

加藤弘一

 最近、高畑勲監督の『おもひでぽろぽろ』が公開された。

 出来映えについては書きたくない。あの高畑もとうとう黒澤明的「巨匠」になってしまったとだけ書けば十分だろう。

 とはいえ高畑は高畑であって、明けそめていく紅花畑の風景の変化は、評判通り、細密さといい、微妙な時間的変化といい、こんなものを人間の手が描いたのかと嘆息させるほどみごとなものであった。

 あの場面は、田舎を持たない主人公の人生の転機となるものだけに、通り一遍の風景描写で終ってならないのはもちろんだが、高畑は物語の必要のためだけに、膨大な予算と時間を風景描写に投入したのではないと思う。そのことは、農村青年が主人公に語る「都会の人は、田舎の風景を見て「自然」だというが、本当は百姓が何百年もかかって作りあげたものなんですよね」という台詞によっても明らかなはずだ。主人公はこの言葉で自分の宙づりの生活に気がつき、地に根を降ろした生活について考えるようになるのである。

 高畑は「百姓が何百年もかかって作りあげた」風景に敬意を表し、生活の根を降ろせる何かを表現するために、アニメーターたちとともに不眠不休の労苦を注ぎこんだのだろう。どこまで成功したかはともかく。

 風景を歴史の所産とするとらえ方は、もともとはヘーゲルが確立したものだが、日本ではエンゲルス流の唯物史観と結びついた形で広まったようである。風景を絶対精神の外化と呼ぶよりも、エンゲルス流に人間労働の総計と呼んだ方がわかりやすいけれども、そう呼んでしまっては、定住者の勤勉な蓄積だけが「歴史」だと限定されるおそれがある。

 黒川創の『水の温度』は映画や旅に触発された随想集だが、ここにも歴史の所産としての風景への注目がある。しかし、黒川が風景から見てとる「歴史」は、高畑が敬意を表する「歴史」とはまったく別のものだ。

 黒川の文章は古典とのスタンスといい、飛躍に富んだ話題のつなぎ方といい、花田清輝を彷彿とさせるものがあるが(浅田彰に花田の吉本批判のようなからみ方をしているのも御愛敬だろう)、次々とくり出される話柄がひとしなみ乱世へと収斂し、遊行の民の歴史へと遡行していく点にこそ、彼の面目はある。

 たとえば、鞍馬寺管理者が山内に掲げた、修験者風の男たちへの注意を呼びかけた警告や、「生命を危険にさらすような危険な修行」への戒めを見た著者は、現代にも「聖」(ヒジリ←ルビ)がいたのかと驚き、「いかがわしげな坊主たち」の系譜をたぐって、弁慶から歌舞伎、さらに浮世絵の「死絵」へとジャンプしていく。

 泉鏡花の「風流線」「續風流線」について、黒川はこう書いている。

 地縁血縁や固陋な習俗に凝り固まった郷里の〈歴史〉に対して、あるいは、したり顔の「慈善」をほどこす資産家たちに対して、魑魅魍魎に託した激しいルサンチマンをぶつけずにおれなかった泉鏡花という作家が、鉄道という近代的構造物の上にみずからの意志をし表明しえた根拠はそこにある。つまり鏡花は、大地に伸びる日本の鉄路を、日本という国土をまっぷたつに切り崩して這いずり、金沢の町に鎌首をもたげる、「白き蛇」に見立てているのだ。

 黒川は、「歴史」に闖入してきた鉄道工事の工夫たちを「〈地理的〉存在」と呼び、「歴史の側には抑圧があり、地理の側には破壊がある」と対比する。彼は鏡花とともに、流れ者の工夫たちや「いかがわしげな坊主たち」といった非定住民の側に立ち、もう一つの歴史を語ろうとしているのだろうか?

 そうではない。彼は定住民が作り上げた〈歴史〉に対して、非定住民の歴史を置くという道をとらない。彼が風景に歴史を読むとしても、それはあくまで力と力のせめぎあいの歴史であり、亀裂の集積としての歴史なのだ。

 そのような歴史は物語としては語ることが出来ない。彼がリニアな語りをさけ、絶えず話題の方向転換を行うのは、物語としては語りえない亀裂の歴史に接近するためである。くりかえし称揚されているように、重要なのは「宙づり」であることだ。

 しかし、「宙づり」という方法論もまた、方法論である以上機械的になる危険がある。

 黒川は陳凱歌監督の『黄色い大地』張藝謀監督の『紅いコーリャン』を比較し、前者は「内戦と祖国防衛の時代を描きながら、それを謳い上げるのではなく、宙づりの状態で中空に投げ出」しているが、後者は日本軍の残虐行為と村人の果敢な抵抗という俗受けする結末をとったために、「無難なわかりやすさ」に安住したと批判している。

 なるほど、『紅いコーリャン』の結末が俗受けするものであることはは事実である。しかし、だからといって、『黄色い大地』よりも興行的・映画賞的に成功した理由を「俗受け」と片づけるのはどうか。当時書かれた批評を見てもわかるように、俗受けする結末にもかかわらず、高く評価されたというのが実情ではないか。中国の映画人がどのような政治的状況にあるかはみんな知っているし、まして張芸謀の父親は国民党員だったのである。

 昨年、張芸謀は、『紅いコーリャン』の鞏俐とともに、俳優として『秦俑──テラコッタ・ウォリアー』という香港映画に主演した。この映画の第一部は、秦代を舞台にした余韻嫋嫋たる悲恋物語に仕上がっているが、1920年代を舞台にした第二部では、一転してスラップスティック・コメディになり、薄幸の宮女であった鞏俐は安っぽい三流女優に転生し、不老不死の薬の実験台にされた上、粘土に塗りこめられて兵馬俑にされた張芸謀は、陵墓から大魔神ばりの怪物として復活してくるのだ。彼は転生した鞏俐を追いかけるが、現代の事情がわからぬままに、次々と大ボケをやらかして爆笑させる。観客の中には途中で席を立つ人が少なくなかったけれども、わたしはお笑いをこなし、カンフー・アクションまで披露する彼のしたたかさに、感服した。乱世を生き抜いてきた中国知識人とは、かくも底知れないのである。

(Oct 1991 「群像」)
Copyright 1996 Kato Koiti
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