すでにはじまっている未来
     もう一つの電子書籍プロジェクトBook World

――大日本印刷C&I総合企画開発本部 子安敏雄氏に聞く
加藤弘一

書物の未来形

――「Book World」は11月4日から実験営業をはじめられているわけですが(このインタビューは1998年11月28日におこなった)、雑誌の記事をばら売りするとか、書籍を章ごとに販売するとか、コンテンツによっては保存やプリントアウトが別料金になっているとか、未来の電子出版を先取りするような仕組をとりいれています。wwwブラウザと Acrobat Readerの間に「補助ソフトウェア」と呼ばれるプラグインがはいり、ブラウザやAcrobat Readerの機能制限をして、ディスプレイで見るだけとか、プラス印刷も可能、というように設定ができるようになっていて、それに応じたきめの細かい料金設定が可能です。
 実は、二年ほど前、こういう仕掛が将来、登場するんじゃないかというようなことを雑誌に書いたことがあるんですが、今世紀中に実現するとは思いませんでした。もちろん、技術的には二年前でも可能だったんですが、商習慣として難しいだろうと思ったのです。しかし、「Book World」では実際にやられていて、驚きました。大きな目で見れば、余計な料金が不要なわけですから、ユーザーにもメリットがあるんですが、戸惑いの声はありませんか?

子安 具体的にお客様の声が聞えてくるのは、これからです。そうした点もふくめての実験ですね。
 料金について補足しますと、いくつかの条件を売り手側があらかじめコンテンツに設定いたしまして、読むだけの価格、保存できる価格、プリントアウトもできる価格というように、同一のコンテンツを二通り、三通りの価格で販売することも可能です。実験中には、同じコンテンツで条件設定を変えて、価格も違う売り方をしてみたいと思っています。

――現在の価格はかなり割高な印象を受けました。コンテンツが100円から500円、プリントアウトや保存しようとすると、さらに50円とか100円とられる場合がある。うっかりすると記事三本分で元の雑誌が買えてしまいます。現在の価格体系は一桁違うんじゃないかと思いました。将来的にはどうなるんでしょうか?

子安 コストの問題は後でふれたいと思いますが、今回の実験は来年(1999年)3月末までつづけます。その先のことはまだ決っておりません。

――あまり宣伝していないような印象を受けるのですが、実験だからですか?

子安 今回、ucカードをお持ちの方だけしか利用していただけませんので、通常の意味での宣伝活動はやっておりません。ucカードの中のサイバーネット会員の方に、メールでご案内を差し上げましたくらいです。
 もちろん、限られたお客様を相手にするビジネスというものもあるわけですが、われわれの考えているビジネス・スキームでは、ちょっと成りたちにくい。4月以降も、この実験をつづけるとしたら、プロモーション活動も積極化しなければなりませんし、決済手段をもっと広げなければならないだろうなと考えております。

――本格的な営業はいつ頃になるんでしょうか?

子安 1年、2年でビジネスにはなるとは、われわれも考えておりません。5年、10年という長期的視野で考えています。

――なぜ、この時期にはじめられたのでしょうか? 9月に「Book on Demand」がはなばなしく報道されたので、あわてて立ちあげたんじゃないかと深読みする向きもあるようですが。

子安 実は7月にはじめる予定で、かなり以前から準備にかかっていたのですが、いろいろ手間どりまして、11月にずれこんでしまいました。今回の実験につながるデジタル・コンテンツの販売は、昨年 2月から、nifty-serveの「マガジン・プラザ」ではじめておりました。販売形式はPDFですが、パソコン通信の制約もあって、「Book World」のような複数の料金設定はとっていません。料金を払ってダウンロードしていただければ、保存もプリントアウトも自由にできるという形ですね。
 こちらもniftyの会員だけという限定された形ですが、アンケート調査をしたり、購入者のお話をうかがったりしたところ、PDF形式によるデジタル・コンテンツはかなり有望という結果が出ております。

デジタルでできること、紙でできること

――記事をばら売りすることに関してなんですが、紙の雑誌がもっているモノとしての統一性を解体することにつながるんじゃないかと思うのです。
 紙の雑誌の場合、巻頭記事があったり、サブの記事があったり、小さなコラムがあったりというように、編集部の方針が構造として提示されるわけですが、ばら売りするとなると、固定的な構造がなくなりますし、他の雑誌との境目も消えます。現在のwwwのように、個々の記事がばらばらに電網空間に浮遊しているという感じでしょうか。これについては、どうお考えですか?

子安 長短両面があると思います。たとえば、限られた誌面に印刷することからうまれる情報密度がありますよね。女性誌なんかご覧になりますか? 記事の中にコラムがはいり、一頁の中に何点もの大小のカラーが入り、これでもかというぐらいにカタログ情報が詰めこまれています。

――中味は読んだことはないですが、表紙はよく目にします。確かに、情報量は多いですね。

子安 あれをディスプレイで見せることは可能です。字が小さくて読みにくいなら、その部分だけ拡大すればいい。あるいは、ハイパーテキスト化するという手もあります。でも、それでは、限られた誌面の中にギュッと圧縮した迫力はうまれないですよ。

――紙媒体にだけできることと、電子媒体にだけできることがあるということですね。

子安 紙の本とデジタル・データが徐々にわかれていくかもしれないとは思っています。現在は、印刷されて書店に並んだものを二次的にデジタル・データ化していますが、将来的は、編集段階で、一つのコンテンツを二通り、三通りに作りわけてしまうというやり方もあるでしょう。つまり、紙の本としての編集作業と平行して、デジタル・データとしての編集作業を進め、同じコンテンツを、本屋さんに紙の本として並べると同時に、デジタル・データとしても発売する。

――だとしたら、紙の尻尾を引きずっているPDF形式にこだわる必要はないんじゃないでしょうか。「Book World」独自のデータ形式を作ることはお考えですか?

子安 将来的には作るかもしれませんが、ちょっと今はなんとも……。

――「Book on Demand」の独自形式と競合することになりませんか?

子安 競合ではなく、おそらく融合でしょう。一度、デジタル・データにしてしまえば、PDF形式だろうと、html形式だろうと、「Book on Demand」形式だろうと、「Book World」形式だろうと、いくらでも加工できます。モバイルで読みたいという方は軽いhtml形式で、大型ディスプレイで、本来のレイアウトで読みたいという方はPDF形式で、高精細液晶の専用ビューアーをお持ちの方は「Book on Demand」形式でというように、ユーザーのニーズに応じて、いろいろなデータ形式で販売するという方向はありうると思います。文庫化されても、単行本の需要があるのと同じように、複数のデータ形式が棲みわけていくんじゃないでしょうか。
 採算的に紙の本として出すのが難しいコンテンツもあるかもしれませんが、それでも紙で読みたいという方には、オンデマンド印刷で印字し、製本して、宅急便でお届けするという選択肢もあると思います。

――ディスプレイの問題が大きそうですね。うちのマシン(1024x768)では、PDFは苦しいです。6400x5120くらいはほしいところですが、そういうディスプレイは当分出てきそうもない。やはり紙の状態が一番読みやすいです。

子安 いろいろ条件はあると思いますが、現状のディスプレイでは、紙の読みやすさと利便性は乗り越えがたいです。
 それから、将来ディスプレイが画期的に進歩したとしても、それによって紙の本が消滅してしまうとは、われわれはまったく考えておりません。デジタル・コンテンツは取次も書店も飛んでしまうから、中間経費がかからず、劇的に安くなるという議論がよくおこなわれていますが、現状のインフラでは、紙の本よりもかえって高くつくんですよ。
 紙の場合はシステムが確立していて、分刻みで印刷機のスケジュールをたてるなど効率化がぎりぎりまで進んでいますが、デジタル・コンテンツの場合、信頼性の高いサーバーに専用線を引っ張るとか、課金とか、セキュリティとか、サポートセンターを設けるとかやっていくと、ものすごくコストがかかります。はっきり言うと、紙で流す方が圧倒的に安いのです。

――コストの比較は、将来的にはどうなるかわからないので、おくとして、すくなくともオンデマンド印刷は高くつくんじゃないですか?

子安 ゼロックスさんが雑誌記事のオンデマンド印刷頒布をやっておられますが、記事一本でも二千円くらいになるようですね。しかし、今後オンデマンド印刷も物流などの状況が変わってくればもっと価格的にもこなれてくるでしょう。

「専門書の杜」との連繋

――サーバーを管理したり、オンデマンド印刷を発注したりする会社は、出版社にあたると考えていいのでしょうか?

子安 出版社ではないです。われわれは出版社をやるつもりは毛頭なくて、流通のごく一部を肩代りするという形ですね。
 出版社の一番重要な仕事は、企画を立てたり、スケジュールを調整したり、取材をサポートしたり、内容の正確性をチェックしたりといったプロデューサー的な業務だと思います。そういう仕事は一朝一夕には無理で、経験と蓄積がものをいいます。われわれには、なかなかお手伝いしがたい部分がありますし、また、デジタルな流通経路を作っても、企画編集という部分の出版社の重要性はあまり変わらないだろうと思います。

――サーバーを管理するということは、読者情報を握ることになりますよね。

子安 読書情報というより、マーケティング情報ですね。「Book World」のウェスト・フロアに出店いただいているトイズプレスさんは、「five stars stories」という比較的マニア向けのコンテンツを販売しているんですけれども、この商品はまだ本になっていないのです。
 いわゆるガレージ・キット(模型)の写真を五点セットにして、ずらっとさまざまなモデルをならべているんですが、たくさん売れたものは、おそらく人気があるモデルだから、売れるモデルの扱いを大きくすることになっているようです。
 出版前のマーケティング・リサーチは、従来はなかなかできなかったわけですが、デジタル・コンテンツの販売で可能になるかもしれません。「Book World」は、そうした面でお手伝いできればと思っています。

――在庫という面でもサポートできるんじゃないですか? 絶版書籍だけでなく、雑誌のバックナンバーなんかも。バックナンバーは普通の図書館では二年しか保存していません。

子安 バックナンバーは有望な商品候補だと思います。有力な雑誌をお持ちの出版社さんにうかがったのですが、在庫をもっているのはせいぜい二年だそうです。 それ以前の号まではとても持ち切れないし、需要も減ってしまう。しかし、少ないにせよ、確固たる需要はある。
 今回、イースト・フロアの方で、小学館さんの「サライ」のバックナンバーを販売していこうと準備しています。「サライ」は創刊して八年になる雑誌ですが、意外なことに、目次の需要がかなりあるんです。

――目次だけ売っているんですか?

子安 現在、一年分200円で販売しております。月二回ですから、24号分。表紙と目次をこみにしてですね。

――そういえば、目次だけ破いてとっておくという人がよくいますね。

子安 わたしも以前、やっておりました。しかし、本体の方を捨ててしまいますからね、どの号にあるかわかっても、その後が大変です。

――そうですね。二年以上前の号だと、日比谷図書館か、大宅壮一文庫、最悪の場合は国会図書館にいかなければなりません。本体の方までオンラインで手にはいれば、助かる人はたくさんいますよ。

子安 われわれとは違う部隊なんですが、「専門書の杜」という書籍のネットワーク販売のサイトの準備をしています。普通の本でしたら、紀伊国屋さんや丸善さんがもうやっておられますから、われわれはあまり書店では取り扱いにくいが、意義のある本を出されている出版社さんのお力になれればと考えております。
 当面は紙の本を販売いたしますけれども、専門書はデジタル・コンテンツにひじょうに向いている商品なんですね。ベストセラーのように何十万人も読者がいるわけではないですけれども、必要な方にとっては絶対になくては困るものです。中味が読めればいいわけですから、デジタルデータがうってつけでしょう。

――しかも、手元にずっと置いておかなければならないのに、かさばって重い本が多いです。専門書を出すようなところは、小さいところが多いので、文庫にはなりません。デジタル・データなら場所を取らないし、検索もできます。小説で検索する人はあまりいないでしょうが、専門書では検索は絶対に必要です。専門書の電子販売は是非やってほしいです。オンデマンド印刷のサービスもお考えですか?

子安 もちろんです。出力方法を変えるだけですから。ご自分でプリントアウトされてもいいんですが、業務用の機械でないと両面印刷がしにくいですし、製本も難しいですから、オンデマンド印刷の需要はかなりあると思います。

――「Book World」は、ベストセラーやマンガをターゲットにしている「Book on Demand」とははっきり異なる方向性をもっているわけですね。
 数日前の日経に、ベテラン編集者が脱サラして、個人出版社を作る例が増えているという記事が載っていましたが、案の定、流通がネックになっているようです。「専門書の杜」や「Book World」は、そうした動きを支援するものと考えていいのでしょうか?

子安 ええ。われわれでお力になれればと考えています。

――電子書籍というと、地に足のつかないビジョン先行のプロジェクトが多いですが、「Book World」はひじょうに現実的で、読み手、書き手の隠れたニーズをとらえていると思いました。本日はお忙しいところ、有益なお話をありがとうございました。

(1998年11月26日)
Copyright 1998 Koyasu Tosio
Kato Koiti
This page was created on Dec08 1998.
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