『夷斎筆談』『夷斎俚諺』解説

加藤弘一

 本稿はちくま学芸文庫版『夷斎筆談』『夷斎俚諺』に解説として発表した文章で、石川淳生誕102周年を記念して公開します。

 「精神の運動」という言葉は、石川淳を論じようとする者にとって、躓きの石である。

 「精神の運動」は「精神の努力」、「精神のエネルギー」、「人間エネルギーの運動」等々と言い換えられるが、石川がエッセイで持ちだすお決まりの文句である。自作に言及する場合も例外ではない。心理ではなく、「精神の運動」を描くこと。あるいは、みずから「精神の運動」を遂行すること。石川の自作自解はこれに尽きる。

 従来の石川淳論は「精神の運動」にぶつかると、思考停止におちいるのが常だった。革命哲学だ、フランス象徴派だ、老荘思想だといったところで、「精神の運動」という語が出てくれば、そこでおしまいである。御本人がそういっているのだから、そうだろうというわけだ。

 「精神の運動」のなんたるかについても、これまでの論者は石川の自註の口真似をするだけだ。石川は「精神の運動」を語る際、物理学の用語を借りる。すべての属性を捨象した純粋空間を、純粋質点が、純粋運動するかのような書き方をする。障害物があったとしても、物理的障害にすぎないのだから、たたき破って運動をつづければよい。後には単純な曲線に還元された軌跡が墨痕黒々と残る、というように。

 革命哲学やフランス象徴派、老荘思想等々を持ちだす者も、なぜか「精神の運動」とのかかわりを問うたためしはない。「精神の運動」が遂行されるのは力学的な抽象空間なのだから、革命がどうの、ヴァレリーがこうのという話は引っかかりのつけようがないのだろう。かくて批評とは名ばかりの読書感想文が累々とつづく。

 わたしはここで、躓きの石と承知した上で、「精神の運動」を考えてみたい。

 『夷斎筆談』に「恋愛について」という章がある。和洋の色好みを例に引きながら、物理学の用語ではなく、モラリストの用語で精神と肉体と心理・心情の関係を語った珍しい文章である。

 石川の用語では、心理、心情、こころは同じものをさす。心理・心情・こころは「肉体に密着」しており、「こころのうつろいというものは肉体エネルギーの微妙なる作用」である。これに対して、精神は「心理とまぎらわしくあつかわれた歴史」をもっているが、「すべての体内的なるものを、生理をも心情をも切断したところに顕現」するといわれ、肉体に密着した心理・心情・こころと対立関係にあるとされる。精神が「ひとたび天下を匡したとすれば、肉体はケジメを食わされ」るが、「肉体と心情の結託」は恋愛という「発明」を使って、「精神にたたかいを挑」む。「精神の支配」からいえば、恋愛は「肉体の叛逆」であり、無視することはできない。というのも、「生活の場に於て精神の運動に具体的意味をあたえる」のは、「肉体の力」だからである。

 一見、キリスト教的な霊肉二元論に似ているが、エネルギーの視点から見ると、異なることがわかる。石川は『世説新語』から愛する女を看病して死んだ荀奉倩の挿話を引く。

 熱を病む女に身をちかづけたのはおろかであったとしても、心情はつねにかくのごとくおろかなものであり、それが惚れたということである。ここではエネルギーがみな熱になってしまったのだから、精神の運動はどこにもない。当人の身になれば、生活の意味をうしなったところに人生の真実をつかんだつもりでいたのかも知れない。この錯覚はけだし惑溺の骨頂である。……中略……惑溺の中に、いのちのはてに、肉体が死に於いてたおれた場所は揣らずも精神の領域の閾ぎわである。(「恋愛について」

キリスト教的な霊肉二元論では、霊魂と肉体とは永遠に相容れず、敵対するだけだが、石川における精神と肉体は、エネルギーという水準において接触し、交流している。荀奉倩は女に惑溺して、肉体エネルギーを心情的に燃焼し尽くしてしまった。つまり、熱にしてしまった。しかし、その熱は、惑溺に陥らなければ、「精神の運動」として実現されたかもしれないのである。

 「精神のはたらきは元来肉体エネルギーを完全に生かしきるはずのもの」とか、「精神はエネルギーのつよいものなら何でも好物なのだから、恋愛とともに情痴をも併せ呑むことができる」といわれることからも明らかなように、エネルギーとして統御される限りにおいて、肉体=心情は肯定されている。石川における精神は、肉体=心情のエネルギー乱流にわりつけられるもの、その方向を定めるものであって、「精神の運動」とは精神によって統御される運動の謂にほかならない。

 エネルギーという語を「気」に置き換えれば、これは朱子学の理気二元論そのままである。精神とは「性」であり、心情=肉体とは「人欲」である。石川は「性」による「人欲」の統御という朱子学の図式をなぞっているのだ。

 『夷斎筆談』から、さらに二例を引く。

 むかし、巖穴の士というものがあった。政治の場から離れて巖穴にこもる精神のエネルギーのことをいう。しかし、巖穴は必ずしも逃避の謂ではない。理想上、巖穴の士はその位置に於いてつねに権力を拒否し、その運動に於いてときに政治に干渉するものと解されている。たとえば、商山の四皓が漢の太子を援けたという伝説は運動に於ける巖穴のエネルギーの象徴であった。(「権力について」

 精神の運動をおこすべき極の配置はつねに欲せられたもの、すなわち強制されたものである。この強制は精神のみずから課したもの、それを課することをみずから撰んだものにほかならない。すでに極に於いてこの仕掛があって、そこから努力がはじまる。精神の運動にとって、「自然」とは努力の持続のことをいう。持続の無いところに、仕事ができあがるということはない。(「仕事について」

 第一例は仏教的な遁世を否定して知識人の責任をいい、第二例は老荘の視点からいえば、不自然の極みというしかない不断の刻苦勉励をいう。いずれも士大夫のあるべき姿であって、天からわりつけられた士大夫の「性」である。「性」を実現すべく、「気」(エネルギー)を統御することが、石川のいう「精神の運動」の初発のあり方なのである。

 石川は戯作者をもって任じ、経儒先生をからかい、老荘の徒であるかのようなことをしきりに書いているが、昌平黌の儒官だった祖父省斎に幼い頃から『論語』の素読を授けられ、後年の吉川幸次郎との対談でも縦横に章句を引いている。石川はあくまで儒で育った人であって、老荘の影など片鱗すらない。「精神の運動」概念の核にあるのは、治者としての責任を自覚し、刻苦勉励をかさねる士大夫の意識である。道家由来の「気」の宇宙論ははいっているが、あくまで朱子学の理気二元論の一部としてであって、「気」は「理」の統制下におかれている。

 朱子学は士大夫の日々の営みとして、「居敬」と「窮理」をいう。「居敬」とは精神を一点に集中させること、「窮理」とは書を読み、理を学んで、精神を高めていくことである。萩原延壽との対談で、石川は鷗外こそ朱子学的な士大夫像を体現していたと語っている。

石川 鷗外さんは信仰はありませんね。信仰にあたるようなものはぜんぜんないといっていいでしょう。
萩原 ところが、あの刻苦精励というものをみていると、どうも……
石川 たいへんな刻苦精励でね。あれが、つまり朱子学的刻苦精励ですよ。(「歴史・人間・藝術」

 鷗外は死にいたるまで、読書人として、日々新たに生きつづけたが、荷風はそうではなかった。石川は荷風を敬愛していたが、その死にあたって、「敗荷落日」というはなはだ苛烈な追悼文を草した。晩年の荷風は読書を廃し、石川が嫌う惑溺に陥っていた。「面貌について」で、士大夫三日書を読まなければ面貌がにごると書いているが、偏奇館を焼けだされた後の荷風は、書を新たにもとめることをせず、大金を収めた鞄をかかえ、にごった面つきでストリップの楽屋に日参した。読書人としてあるまじき醜態である。石川の容赦ない弾劾は、読書人でありつづけられなかった荷風の老醜にむけられている。

 石川の見る孔子は、当然のことながら、老いてなお「精神の運動」をつづける理想の人格である。石川は理想をありがたそうに書くような野暮天ではないので、下世話にくずしているが、言わんとするところは明瞭である。

 論語憲問篇に、微生畝、孔子にむかっていう、おまえさん、なぜそうあたふたかけまわっているんだ、弁口ちゃらちゃら妄というやつじゃないかねと。孔子いう、佞とはちがうよ、固定をにくむからさと。(「仕事について」

「固」を「一つのことに固執する」ととる解釈もあるが、石川は「固定」、「停滞」の意にとっている。吉川幸次郎との対談(「中国古典と小説」)では、同じ章句を引き、「あれはぼくは『論語』の精神、孔子という人がよく出てると思う」と感想を述べている。停滞を嫌い、不断に新しいことに挑みつづける孔子を、石川は敬慕しているのである。

 この孔子像は、朱子学の教える孔子像そのものである。朱子はペシミスティックに解されてきた「逝く者はかくの如き夫、昼夜を舎てず」に、斬新な新解釈をくわえた。

 天地の化として、往く者は過ぎ、来る者はつ続ぎ、一息としてや停むことが無い。乃ち道の體の本然なのである。然しながら其のことの指し示すことができて見え易いかたちは、川の流れに如くものは莫い。故に此のことで発し、以て人に示してゐるのである。孔子は、学ぶ者をして何時も省察して毫髪の間断も無からしめようと欲しているのである。(『論語集註』小澤正明訳

伝統的な解釈の描いた孔子は、川のほとりで世の無常を嘆いていたが、朱子はそれを百八十度ひっくり返してみせた。ここに描かれた孔子は、生々流転する天地を肯定し、新しいものの出現に胸おどらせている。徂徠が罵倒したように、朱子の解釈はこじつけであるかもしれない。しかし、このオプティミズムが朱子の身上であり、石川はその思想圏で人となったのである。(

 従来の石川淳論が論の体をなさなかったのは、革命だ、老荘だ、象徴主義だという韜晦に目をくらまされ、骨の髄にまで撤していた朱子学を見逃したからである。馬琴のような付け焼き刃の朱子学ではない。石川は朱子学に骨がらみになっていたのだ。石川が朱子学に悪態の限りをつくすのは、拠るところがそれだけ深いからと考えた方がいい。

 私見によれば、石川の文学の課題は、骨がらみに埋めこまれた朱子学からいかにして自由になるかにあった。老荘に逃げるのではなく、朱子学を内側から食い破ること、ちょっと前の流行り言葉でいえば、朱子学を脱構築することである。石川の作品から朱子学をとりさってしまえば、後には抽象的な純粋空間が残り、格闘の跡が見えなくなる。

 小説において、石川がどこまでその課題を果たしたか、果たせなかったかは、別の本に示した(『石川淳 コスモスの知慧』)。本稿ではエッセイについて見ている。

 先に引いた「恋愛について」で、石川は「肉体の内部にもまた分裂はある」と書いている。分裂とは心情と陽根の分裂である。「恋愛生活にあっては、肉体が精神の支配にしたがわないように、陽根は心情の干渉をしりぞける」というのだ。陽根が心情と敵対する場面があるのであれば、精神は陽根に加担することで、心情を打ちまかせることになる。ここから、朱子が目をまわすような論理が引きだされる。

 心情が一箇の女人にぞっこん打ちこむという仕打をして見せても、陽根エネルギーは必ずしも心情のおもむくところに集中しては行かない。情熱をみちびくものは精神である。精神の運動は波なのだから、蓋然的にしか一点にとどまらない。情熱もまた一物にのみ執著はしないだろう。情熱は過度でなくてはならぬとは、このことをいう。恋愛生活では、それが精神に依ってつらぬかれるかぎり、そして肉体がそこでくたばらないかぎり、情熱の過度はどうしても女人遍歴という形式をとらざることをえず、したがって有為の男子はどうしてもドン・ファンたらざることをえない。ドン・ファンのエネルギーは女人遍歴に於て集中するがゆえに、箇箇の女人については散乱することがないのだろう。(「恋愛について」

「性」によって「気」を方向づけ、統御するという理気二元論は、陽根にひっかかりをつけることで、修身というリゴリズムに向かうどころか、放縦の肯定へとずらされている。ここでは行為への集中が「居敬」であり、猟色を重ねることが「窮理」となる。ドン・ファンは士大夫なのである。

 さらに言えば、漢文をべらんめえ調にくずした文体自体、朱子学の脱構築といえないことはない。石川は夷斎ものにおいて、身に撤した朱子学を追い抜く瞬間をもちえたのである。

 吉川幸次郎との対談において、石川は「あの『逝』という字の本来の意味は、どっちです?」と尋ね、吉川が物が「失われていく、と同時に一刻一刻なにかを生んでいく、その両方に分類すればしうるものを、ただ逝く者は斯くの如しという、包括的なことばを投げつけたにすぎない」という自説を披瀝すると、「時間的に解釈すれば、それはもうなんでもないですね」とあいづちを打っている。石川は新注・古注の双方に距離を置こうとしている。

(Aug01 1998 ちくま学芸文庫『夷斎筆談・夷斎俚言』解説)
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