エディトリアル   February 2005

加藤弘一 Jan 2005までのエディトリアル
Mar 2005からのエディトリアル
Feb10

 新文芸座の増村保造特集をようやく見てきた。資料をたくさん読まなければならず、とうとう今日になってしまった。

 見たのは若尾文子主演の戦争もの二本で、どちらも歴史的な傑作だった。他の作品を見逃したのが悔やまれる。

 まず、『赤い天使』。天津の陸軍病院に、若尾文子が従軍看護婦として赴任してくるところからはじまるが、患者たちは暇と体力を持てあましていて、夜間巡回中、若尾はいきなりレイプされてしまう。つづいて、両手を失った川津祐介とのエピソードになるが、これも……。40年前に、こんな映画が作られていたのかと、目が点になった。前線の分院に派遣され、モルヒネ中毒の軍医(芦田伸介)と出会ってからも、唖然茫然の連続。有馬頼義の原作は、どうも戦場を口実にした変態トンデモ小説らしいのだが、若尾文子の気品と威厳によって、奇跡的に芸術作品に昇華されている。

 もう一本の『 清作の妻』もすごい、というか、すごすぎる。

 こちらは日露戦争の銃後の話である。丸山眞男の『現代政治の思想と行動』そのままで、日本の村社会が戦争をどのように支えたかの絵解きになっている。

 絵解きとしてもみごとだが、単なる絵解きを越えて、ドラマとなっているのは村社会に危険な香りを放ちながら乗りこんでくる若尾の存在のおかげだ。こちらの若尾もぞくぞくする。

 『浮草』の若尾はういういしい新人女優だったが、たった5年で日本映画史に残る大女優に成長していたのだ。『』、『刺青』など代表作はDVD化されているので見てみたい。

Feb12

 NHKの「サイエンスZERO」がタイタン探査機ホイヘンスをとりあげていた。

 ホイヘンスについてはHotWiredMainich Interactiveに詳しい記事があり、意外なところでは日経が写真を特集しているが、NHKの45分番組(民放の1時間番組に相当する)となると情報量が違う。

 タイタンの大気は窒素とメタンが主成分で、地球の原始大気に近い。タイタンの大気に近い混合ガスの中で放電をつづけていると有機物が生成するという実験を紹介していたが、30分ほどでガラス管の内側が茶色に色づいてくる。さらに実験をつづけると、茶色い粉がたま。こんなに簡単に有機物ができるのだ。タイタンの高層大気中では大量の有機物が生成されていることだろう。

 タイタンでは氷が岩石、メタンが水の役割をしている。水がマグマのように噴きだして火山となり、気化したメタンが上空で冷やされて雲を作り雨となって降りそそいで氷原を侵食し、地球そっくりの風景が出来あがっているらしい。

 高々度で生まれた有機物はメタンの雨によって地上に降りそそぐ。川や海にあたる部分が黒く見えるのは有機物が堆積したためだった。

 土星にはイアペタスという衛星がある。イアペタスは氷の塊でできているが、ところどころ、黒い物質で覆われ、複雑な模様ができていることが知られている。黒い物質の正体には諸説あったが、隕石の衝突などでタイタンから飛び散った有機物がイアペタスに降り積もったものであることが今回判明した。

 これだけ多量の有機物があると生命が生まれている可能性がある。土星圏は温度が低すぎて難しいかもしれないが、木星圏では十分ありうる話だ。

 太陽系で、地球の次に生命が存在する可能性が高いのは火星ではなく、木星だということを最初に根拠を上げて指摘したのはアシモフの『空想天文学入門』だったと思う。あの本を読んだ時の衝撃は今も忘れられない。

 『空想天文学入門』は絶版だそうだが、木星説は『空想自然科学入門』でも読めるらしい。後者が別の本なのか前者の再編集版なのかはわからないが、あの説にはセンス・オブ・ワンダーを感じた。アシモフの本領は科学エッセイにある。

 アシモフの木星説は木星衛星説に形を変えて現在も真剣に検討されている。興味のある人は長沼毅『生命の星・エウロパ』を読むとよい。

Feb18
奥に見えるのがエレベータ

 北千住のシアター1010に行って来た。

 「1010」という名前は千住にかけたものだろうが、場所は丸井の11階だったから、もしかしたら、丸井の「○I○I」というロゴにもかけているのかもしれない。

 劇場の作りとしては、「世田谷パブリックシアター」に似ていて、客席の勾配が大きい。包みこむような響きも世田谷に似ている。「シアター1010」は足立区が運営する劇場なので、自治体の劇場として成果をあげている「世田谷パブリックシアター」を手本にしたのかもしれない。

 「世田谷パブリックシアター」はガウディ風の凝った内装だが、「シアター1010」は質素である。殺風景にならないようにするためか、吹き抜けのロビーに、シースルーのエレベーターが屹立している(写真参照)。

 このエレベーターはロビーの一階と二階をつなぐだけで、他のフロアにいけるわけではない。バリアフリーと、デザインを兼ねたということだろうか。

 劇場にはギャラリーが併設されている。今は区民の作品が展示されているが、ゴールデンウィークにはじまる「寺山修司生誕70年記念公演」では、「アングラ演劇傑作ポスター展」が開かれるそうである。アングラ芝居はポスターだけでもおもしろい。ぜひ、御覧あれ。

Feb20

 TBS「報道特集」で、金正日の謎を探るという特集をやっていた。

 金正日が白頭山の秘密基地ではなく、ロシアで生まれたという話は北朝鮮以外ではよく知られているが、出生場所だけでなく、出生年も1年遅くしていたというのだ。金日成と金正淑は1940年秋に結婚したが、その時点で妊娠していて金正日が生まれたのは1941年2月16日だった。

 日本の朝鮮大学では1970年頃まで1941年生まれと教えていたが、この時期になって1年鯖をよんだのは、金正日が後継者に決まったためだと見られている。金日成が1912年生まれなので、1942年生まれだと10年ごとの記念日を父子いっしょに盛大に祝えるわけだ。

 次に登場したのは白尚昌という精神科医で、金正日の生いたちから口愛欠損と診断していた。

 最後は崔周革という脱北した北朝鮮の占い師(いよいよ「グータン」になってきた)。

 占い師といっても、崔氏はまだ若くなよなよした優男風で、若い女性が相談事をもちかけやすいタイプに見えた。崔氏は16歳の時に北朝鮮では禁止されている四柱推命の古書を見つけて独学し、漢方医を開業してから裏で占いをやっていたそうである。政府要人や「喜び組」の女性まで相談に来るほど繁盛したが、仲間に密告され脱北にいたった。金正日一族には専属の女性占い師がいるので、崔氏は看たことはないという。

 四柱推命と漢方医学はどちらも陰陽道から出ている。漢方の勉強の途中で四柱推命の本を偶然見つけたとしても不思議はないし、漢方の古典が読みこなせるなら四柱推命の本も理解できるだろう。

 崔氏は金永南最高人民会議常任委員長を看命した時の話を語った。83歳まで生きるというと、今の地位は安泰かと問い返してきた。安泰だと答えるとそこではじめて安堵した。金永南に限らず、政府要人の一番の関心は今の地位に留まれるかどうかだそうである。

 崔氏が本当に政府要人が相談に来るほどの人気占い師だったかどうかはわからないが、いつ失脚するかもわからず、先が見えない状況下で幹部たちが占いにすがったとしても不思議はない。

 崔氏は「喜び組」の内情にも詳しかった。「喜び組」は外部でつけた名称で、北朝鮮の幹部の間では「待機組」と呼ばれているそうである。金正日はよく踊り娘に手をつけるが、倦きると将来有望な幹部と結婚させて片づける。将軍様のお手つきであることは周囲も知っているので、ほとんどがうまくいかず離婚もできず家庭崩壊にいたるそうだ。

 崔氏によると、北朝鮮の占い師はみな、金正日と北朝鮮の命運は2008年で尽きるという結論を出しているという。四柱推命は理詰めでできているから、運命の大枠は誰が看ても同じ結果になるのである。

 その占断が当たるかどうはかともかくとして、幹部たちの相談相手になる占い師たちが、2008年崩壊説を信じている影響は小さくはない。

 もっとも、2008年までもつかどうかかなり怪しくなっている。

 先週の「サンデー・プロジェクト」で、青山繁晴氏は、北朝鮮との秘密交渉にあたってきたアメリカの外交官からえた情報として、アメリカは中国に、金一族を排除するなら、北朝鮮が親中国政権として残ってもよいと申しいれたと語った。青山氏によれば、金正日が事前の予想を裏切って、核保有宣言に踏み切ったのは、自分たちが切り捨てられないように、中国を牽制するためだという。

 中国にとっては北朝鮮が親中政権でありつづけることだけが重要であって、金正日政権である必然性はない。むしろ核保有を宣言したり、脱北者を出しつづけたりする金正日政権は中国にとってお荷物になっている。アメリカが金正日後の親中政権を容認するなら、中国が金正日を見限るのは時間の問題といえるかもしれない。

 今朝の「サンデー・プロジェクト」では重村智計氏は青山発言を追認し(先週は愛想笑いを浮かべるだけだったが、一週間たって、裏が取れたのだろう)、暴動が起こって朝鮮人民軍が割れた場合、治安維持のために中国人民解放軍が乗りださざるをえないだろうと予測していた。

 先軍政治などといっても兵士ですら飢える状態がつづいている。兵士が国境で観光客に食べ物をねだったり一般民家を襲って食料を強奪するという事件が頻発している。北朝鮮はいつつぶれても、おかしくない。

Feb22

『幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門』

 今年、70歳をむかえる蜷川幸雄は、演劇人生の集大成というべき「NINAGAWA VS COCOON」シリーズ第一弾に、いわくつきの「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」をもってきた。なぜいわくつきかというと、この戯曲は1975年に清水邦夫自身の演出によって初演されるはずだったが、稽古中に劇団が空中分解し、公演が流れてしまったからだ。集団の崩壊を描いた芝居を上演しようとして、本当に集団が崩壊してしまったわけだが、1978年にレクラム舎がおこなった東京初演でも、事故のために公演中止に追い込まれている。将門の呪いというような話も一部にあったらしい。

 1978年の公演は見ていないが、1986年の座・陽気な守備隊のジャンジャン公演と、1994年の青年座の紀伊國屋公演は見ている。どちらも津嘉山正種主演だったが、前者が道化劇仕立て、後者が悲劇仕立てと対照的な演出だった。清水邦夫の描く将門は頭部に負った傷がもとで、自分は将門を追う武将だと思いこむという、滑稽にして悲惨な設定で、両様の演出が可能なのだ。

 どちらで来るのかなと思ったら、蜷川は道化劇と悲劇を包みこんだトラジコメディーに仕立ててみせた。堤真一の将門は狂っている時には狂騒的に明るく、正気にもどる時は颯爽として、やはり明るい。将門の場違いな明るさを、受けにまわる三郎役の段田安則の暗い鬱屈した芝居が、血みどろの敗走劇の中にしっかりつなぎとめている。堤と段田がそろわなかったら、この舞台は成立しなかったろう。山崎努と石橋蓮司だったら、どうなっていたろうと思わないではないが。

 将門=三郎の中心軸に、将門に思いを託すと男の軸と女の軸が交差する。

 男の軸は将門の影武者となる五郎=捨十で、第二の将門たろうとする野心満々の五郎を高橋洋、醜面のために反語的に「うるわしの将門」と呼ばれる捨十を田山涼成が演じる。

 美々しい若武者ぶりを見せた五郎が、一幕の終りで集団が危機に陥るや、影武者の一人として、あっさり使い捨てにされてしまう。凄烈な見せ場である。卑小な捨十は二幕ではでは思いがけず崇高な一面を見せる。ここもいい。

 女の軸を構成するのは、将門の正室の桔梗の前と、将門と一夜をともにしただけで捨てられた三郎の妹のゆきだ。桔梗は松本典子、ゆきは緑魔子にあてて書かれた役だが、今回は木村佳乃と中嶋朋子が演じている。

 中嶋のゆきはエロチックだ。プロローグで段田の三郎と、清水の詩的な台詞を朗々ととりかわす場面からでは、中空に浮いて赤黒い幕の上で太腿もあらわに身をくねらせ、女の生臭さを全開にする。二幕の頭では、目をつぶされ、歩き巫女となって俗謡を唄うが、ここも身震いするほど美しい。神の言葉をとりつぐ聖なる娼婦がそこにいる。

 木村の桔梗は黒いワンピースにコート、ハイヒールと、一人だけ現代の衣装であらわれる。一幕は生硬さが目立ち、浮いていたが、二幕では生硬さが凜とした気品として感じられるようになり、いつの間にかドラマの中心に立っていた。存在感というか、華というか、この人はただのアイドルではない。

 松本典子が演じていたら、桔梗は将門という子供を呑みこむ恐るべき母になっていただろう。木村の桔梗はドライで母性の片鱗もない、男を叱咤しつづける「父の娘」だ。

 母ではなく娘だというのは中嶋朋子も同じである。ゆき=桔梗という女の軸が、どちらも強い父を求める娘型の女優によって演じられたために、男たちの逃げ場はいよいよなくなった。

 逃げ場がないということでいえば、舞台全面にそびえ立つ階段のセットの圧迫感もすごい。全面階段という舞台装置は「オセロ」でも使っていた。「オセロ」の場合はオセロ一人の孤立だったが、この芝居では集団そのものが孤立している。追いつめられた将門集団は、三郎の決断で、民衆の夢として散ることを選ぶ。狂った将門が、客席の中央通路を突っ切り、歴史の闇の中へ疾走していくラストはかっこいい。

 いい舞台だったが、唯一気になったのは、デモやヘリコプターの音を随所で流したり、浅間山荘を連想させる鉄球まで登場させ、戯曲の書かれた1970年代という時代を注釈しているところ。蜷川の舞台は説明過剰になりやすいが、1970年代の時代背景を結びつけると唯一の正解になりかねない。

 この戯曲は連合赤軍事件に触発されて書かれたという解釈があるが、清水邦夫の作品史で見ていくと適当ではないと思う。蜷川と共同作業をしていた1970年前後の清水戯曲は、新宿西口のフォークゲリラのようなその場限りの集団にドラマの基礎をおいていたが、1976年の木冬社結成以降、故郷のムラ共同体に足場を移していく。「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」は、街頭の共同性からムラの共同性へ移る契機となった作品であって、連合赤軍を持ちだして安易にわかったようなつもりになってはいけない芝居なのだ(詳しくは「無名戦士たちの方へ」(「群像」1986年5月号)参照)。

Feb28

 うっかりしていたが、国会図書館のWebアーカイビング事業の方向性を決める納本制度審議会の答申、「ネットワーク系電子出版物の収集に関する制度の在り方について」(平成16年12月9日)が、先月26日に国会図書館のサイトで公開されていた。

 内容にふれる前に、今回の答申にいたった経緯をまとめておく。

 納本制度審議会では電子出版物を「パッケージ系」と「ネットワーク系」に二分し、「パッケージ系」については、2000年4月に、紙の出版物と同様、しかるべき対価を支払ったうえで、網羅的に収集すべきだとしている。

 Webページのような「ネットワーク系電子出版物」については、2002年3月、「外部に公表してはいるものの、いわば一過性のものとして公表した情報」が含まれているので、国家による一方的な固定・保存は言論委縮をまねくおそれがあるとし、当面、サイト管理者の許諾がえられたデータのみの収集・保存にとどめるべきであると答申している。すでに運用がはじまっている「インターネット資源選択的蓄積実験事業」(Web Archiving Project、略称WARP)では、サイト管理者と紙の書面による個別契約を結んだ上で、Webページを固定・保存している。

 納本制度審議会は、Webサイトの収集・保存は強制力をもつ納本制度にはなじまないと結論したわけだが、これを受けて、国立国会図書館長は納本制度によらないとすれば、どのような制度をもうけるべきかについて諮問した。その答えが今回の答申である。

 答申の内容は本文を読んでほしいが、概要は骨子でわかる。以下、疑問点をあげていく。

(1) 収集範囲

 有料サイトは適正な補償ができなければ除外してよいとしている点がひっかかる。おそらく、ほとんどの有料サイトはWebアーカイビングの網からはずれてしまうだろう。それでは制度的収集の意味がなくなるのではないか。

 もちろん、有料サイトの内容が無料で読めてしまうのでは、著作権者の了解がえられないが、簡単な解決法がある。公開を100年後まで延ばすのだ。重要なのは、日々消えていくページを後世に残すことであって、すぐに公開する必要はないはずである。

(2) 収集方法

 官報の事前公告によって、一定期間の「固定拒否の申出」期間を設け、収集を拒否したサイトは収集しない。また、固定後にも、削除権は存続するべきだとしている。

 「固定拒否の申出」は「システム上の拒否、文書等」とあるが、文書の場合、どうやってサイト管理者であることを証明するのだろうか? 「システム上の拒否」というと、.htaccessやrobot.txtを想定しているように読めるが、Googleの「キャッシュ」非表示タグのように、「固定拒否」のメタタグをWebページに埋めこむ方式も認めるべきだと思う。

 また、固定拒否権と削除権だけではなく、国会図書館サーバーで公開時期を決定する権利も認めるべきだと思う。公開時期は、メタタグによって、最長100年後まで、自由に指定できるようにする。固定後、100年たてば、みんな死んでいるのだから、著作者人格権も消滅しているはずである。

(3) 著作権の問題

 複製権の制限は当然だが、公衆送信権の制限には疑問がある。現存するWebページを、オリジナルのサイトからではなく、国会図書館のサーバーから読みだすケースが考えられ、その場合、公衆送信権に抵触することになる。こういうケースが生じないように、国会図書館サーバーで公開時期を決定する権利が必要である。

(4) 損失補償

 「損失(得られたであろう利益)は、無償アクセスのネットワーク系電子出版物については生じない」と決めつけているが、アドセンスやアフリエイトはどうなのか。アドセンスやアフリエイトでかなりの収益をあげている個人が出てきており、今後、ますます盛んになると考えられる。その意味でも、オリジナルのサイトが現存しているのに、収集したデータを国会図書館のサーバーで公開することには問題がある。

 最終的には、Webアーカイビングをどのようなタイムスケールで考えるかという問題に帰着するのかもしれない。国会図書館は立法府のために資料を集めるという役目だけではなく、国民の文化を後世に保存するという使命ももつはずである。何百年、何千年というスケールで考えるなら、収集したデータを100年間塩漬けにするくらいは、どうということではないのだ。

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