エディトリアル   August 2007

加藤弘一 Jul 2007までのエディトリアル
Sep 2007からのエディトリアル
8月1日

 7月30日、アメリカ下院本会議でいわゆる従軍慰安婦に関する「対日謝罪要求決議案」が可決された。

 この問題は池田信夫氏が簡潔に指摘しているように朝日新聞の誤報にはじまる「存在しない問題」であって、河野洋平官房長官(当時)がその場しのぎの対応をしたために、「存在しない問題」が一人歩きするようになってしまった。マイク・ホンダ議員は従軍慰安婦の根拠を問われると河野談話を持ちだしており、日本流のその場しのぎの対応が国際的にどんな禍根を残すかという実例になった。

 河野氏の責任は重大だが、当時の雰囲気を知る者としては左翼団体が組織防衛のために利用していたことを指摘しておきたい。

 朝日新聞の誤報が出た1992年はベルリンの壁崩壊の2年半後のことであり、左翼団体が一番意気消沈していた時期だった。モスクワの秘密文書館の封印が解かれ、隠されていたおぞましい事実が次から次へと出てきた。加藤昭氏らの努力によって日本の共産主義運動の暗部も暴かれていった。日本共産党の象徴だった野坂参三氏が二重スパイだったことが判明し、除名されたのは1992年の末だった。あの頃は日本共産党だけではなく、左翼全体が出口なしの状況におちいっていた。「シャミン」(社会民主主義)が侮蔑語だったことからもわかるように、日本の左翼はマルクス主義一辺倒だったために、マルクス主義がこけると左翼全体がこけてしまったのだ。

 ベルリンの壁崩壊以前からマルクス主義者は未来を語れなくなっていたが、モスクワの秘密文書館が解放されたために、過去も語れなくなってしまった。

 その中で飛びだしたのが朝日新聞の誤報であり、それを機に左翼団体は息を吹きかえし、従軍慰安婦問題をおしたてて運動を再組織した。

 これはマルクス信仰を失ったマルクス主義者に特有の反応パターンだ。

 従軍慰安婦問題や強制連行問題では日本の左翼団体は学問的にとっくに否定されている材料に固着しているが、彼らはマルクス・ゾンビであり、組織防衛のためにはそうするしかないのだということを理解しておく必要がある。

8月2日

「ドリーム・ガールズ」

 黒人女性コーラス・グループの成功と挫折を描いたブロードウェイ・ミュージカルの映画化である。たいへんドラマチックな話だが、モデルとなったのはダイアナ・ロス&ザ・シュープリームスとモータウン・レコードで、大筋はこの通りというから驚く。

 ダイアナ・ロスもザ・シュープリームスもモータウン・レコードも知らなかったが、そんなことには関係なく物語に引きこまれた。そして音楽がすばらしい。ビヨンセ演じるディーナ(モデルはダイアナ・ロス)の洗練されたパフォーマンスもいいが、抜群の実力をもちながら、音楽業界から去っていくエフィを演じたジェニファー・ハドソンの迫力の歌唱に圧倒された。これこそ第一級のエンターテイメントである。

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「ホリデイ」

 失恋したロンドンの女性記者アイリス(ケイト・ウィンスレット)と、夫を追いだしたばかりのハリウッドの予告編製作会社社長アマンダ(キャメロン・ディアス)という傷心の二人が「ホーム・エクスチェンジ」で自宅を交換し、クリスマス休暇をすごすというコメディ。

 これも第一級のエンターテイメントで、最初はだるかったが、尻上がりにおもしろくなっていく。最後は予定調和的な見え見えのハッピーエンドだったが、それにも係わらず感動した。

 ケイト・ウィンスレットが抜群によく、ロス編を一人で引っぱっていく。ロンドン編ではジュード・ロウが牽引役で、大根のキャメロン・ディアスまでよくなっていく。英国の俳優の底力だ。ジャック・ブラックは添物だが、老脚本家を演じたイーライ・ウォラックがいい味を出している。

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8月5日

『僕はパパを殺すことに決めた』

 草薙厚子『僕はパパを殺すことに決めた』を読んだ。

 本書は2006年6月20日に起きた「奈良エリート少年自宅放火事件」を取材した本だが、供述調書を生な形で引用したために法務省の東京法務局長が異例の謝罪勧告を出している。

 一年前とはいえ、少年による残虐な事件がつづいているので、どんな事件か忘れている方もすくなくないだろう(わたしも忘れていた)。まず、あらましを要約しておく。

 事件を起こした少年は奈良の進学校に通う高校二年生(当時)。実母は離婚しており、当時は父親と後妻、後妻の産んだ弟妹の五人暮らしだった。父親も義母もともに医師で、少年も父親から医師になることを強く期待されていた。

 事件の日、父親は当直で不在だったが、少年は一階にサラダ油を二瓶撒いて火をつけてから家出する。家はたちまち炎上し、二階に寝ていた義理の母と弟妹が焼死している。

 少年はわずか三千円の所持金で京都に逃げ、野宿をして一日すごすが、翌日の深夜、空腹から民家にはいりこみ勝手に飲食。朝になって家人に見つかり逃走、近くで保護された。

 父親の不在中に義母と弟妹を焼死させたこと、義母の顔に打撲痕があったことから、当初、義母に対する怨みによる犯行という憶測が広まった。

 しかし、打撲痕は死後、家の倒壊でできたものだったし、少年は義母の関係はよかったという証言があいつぐ。少年は義母の実家をたびたび訪れ、義母の両親を実の祖父母のように慕っていたが明らかになっている。

 なぜ少年は犯行を犯したのか。

 本書は少年の生育の過程を少年と父親の供述調書を引用してたどっているが、父親はにわかには信じられないような暴力を幼児期から少年に対して継続的にくわえていた。父親的には息子を医者にするための愛の鞭だが、第三者的には教育熱心の域を越えており、強迫的というか、ほとんどマンガであって、正常な人間のやることとは思えない。

 父方、母方両方とも医師と薬剤師の一族で、実母と父方の祖母も薬剤師だそうである。父親はその中で二流の私大卒で、金の力で医者になったというコンプレックスがあったと、実母が語っている。しかし、そうした事情をさしひいても、この父親のやっていたことは尋常ではない。

 少年の供述だけだったら信じられないようなことが書かれているが、担任教師と父方の祖母は少年が暴力を受けていることを知っていた。父親も体罰で怪我をさせたことがることを認めている(本人は異常性に気づいていない)。少年が異様な父子関係のもとで育ち、父親に対して激しい恐怖と憎悪をいだいていたことは事実と考えていいだろう。ごく簡単な記述だが、父親自身虐待されて育ったことが父方の祖母の供述からうかがえる。虐待の連鎖があったらしい。

 しかし、犯行は父親の不在中に決行された。父親に対する恐怖と憎悪が動機だとしたら矛盾していまいか。

 この疑問に精神鑑定人は「広範性発達障害」(アスペルガー症候群)というい答えを出している。家裁はこの鑑定を支持し少年の処遇を決めた。著者である草薙氏厚子も思わせぶりな謎でひっぱった後、最後に「広範性発達障害」を水戸黄門の印籠のように持ちだしている。

 「広範性発達障害」で片づくのだとしたら、一家族のプライバシーをここまで暴く必要があったかどうか疑問である。

 だが、「広範性発達障害」という診断で、この事件は解決したのだろうか。

 わたしが調書から感じたのはシュレーバー症例との類似性である。調書はあくまで調査官の作文であり、内面描写の部分は調査官の想像でしかない。本書に引用された供述も小説的にきれいに整理されており、ピエール・リヴィエールの手記とは似て非なるものだ。しかし、そうはいっても、供述調書には「広範性発達障害」で片づけようという調査官の思惑をこえた部分がそこかしこにのぞいている。

 本書は「広範性発達障害」という家裁決定を支持する立場で書かれているが、供述調書の引用ははからずも「広範性発達障害」では説明できない現実をあぶりだしたと思う。

関連言論表現委員会で草薙厚子氏問題を討議
8月7日

 週刊ポスト8月17日・24日合併号に「精神鑑定医があえて明かした360分問答 父の暴行、求められた母子相姦」として、弁護側鑑定人として法廷に立った野田正彰氏を取材した記事が掲載されている。6ページという分量は週刊誌の記事としてはかなり長い。

 360分というのは野田正彰氏がF被告と面接した延べ時間で、1月29日、2月8日、5月16日の3回、広島拘置所の面会室でアクリル板をはさんで弁護人立ち会いのもとに面接している。F被告の父親、母方の祖母、叔母、友人とも会ったという。

 これだけ読むと周到な鑑定に見えるが、週刊文春8月9日号の「「来世で一緒になる」ランニング姿の光市母子殺人犯」という青沼陽一郎氏の署名記事では野田鑑定に対して疑問符をつけている。

 さらにこの鑑定人、「鑑定は無理矢理やらされた」「麻原(彰晃)の鑑定をやったついでに頼むと言われた」と言ったり、証拠にも提出されている被告人が友人に宛てた手紙については、「二十分程読んだ。全部は読めない」と言ってのけた。様々な刑事裁判を取材傍聴してきたが、こんな不遜な鑑定人ははじめて見た。

 こんな態度を証言台でとっていたのだとしたら、判決への影響はあまり大きくないかもしれない。しかし、野田正彰氏の証言にはこれまで出ていない情報がふくまれているのも事実だ。。

 野田正彰氏はF被告の母親が結婚直後から父親にDVを受けており、F被告も父親の暴力にさらされていた事実に注目する。父親の暴力におびえる母親とF被告は「ともに被害者同士として、共生関係」をもつようになった。F被告が小学校高学年になると「2人の繋がりは親子の境界をあいまいにする、母子相姦的な会話も交されるように」なったという。記事から引くが、文中の「A」とはF被告のことである。

 母親から「将来は結婚して一緒に暮らそう。お前に似た子供ができるといいね」と言葉をかけられたことがあったといいます。……中略……

 Aは私との面談で、母親のことをしばしば妻や恋人であるかのように、下の名前で呼んでいました。それほど母親への愛着は深く、母親が父親の寝室に呼ばれて夜を過ごすと、「狂いそうになるほど辛かった」とも話しています。

 野田正彰氏はF被告の幼さをしきりに強調しているが、両親の夜の営みに嫉妬する小学生は「ませている」というべきだろう。F被告は母親の誘惑によって思春期早期から性愛に目覚めさせられてしまったようだ。おそらくF被告は実母と性交渉をもつ空想にふけっていただろう。

 F被告が死刑になって、あの世で被害者の弥生さんに再会したら「自分が弥生さんの夫になる可能性がある」と語ったことを野田氏はあきらかにしたが、それは凌辱行為が母子相姦願望の実現にほかならなかったことを意味する。強姦犯人は赤ん坊をつれた母親を狙わないといわれているが、F被告が母子相姦願望にとりつかれていたとすれば、この選択は不自然ではない。

 弁護側は寂しかったとか、母親をもとめるように抱きついたとか、性欲隠しに懸命だが、野田正彰氏の指摘する母子相姦願望説が事実なら行為の意味は一変する。

 そして、F被告の場合、単なる母子相姦願望ではない。

 F被告は野田正彰氏の前で、もとめられてもいないのに母親の自殺現場を絵に描きだしたという。F被告は首をくくって死んだ母親の失禁して汚れた死体を父親の命令で清めている。F被告はその時の臭いを憶えていると語ったそうだが、異臭を嗅いだだけでなく、母親の苦悶の表情を間近に見、汚れた局部に触れていたはずである。

 F被告の母子相姦願望は窒息死体との交合という妄想に発展していた可能性がある。「ファンタジーの世界」という言葉に惑わされてはならない。実際は「性的ファンタジー」であり、おそらくは倒錯した性的妄想世界だったはずだからだ。

 野田正彰氏は次のようにF被告の行動を弁護する。

 犯行当日、Aはなんとなく友人の家に遊びに行って過ごし、友人が用事があるというので、たまたま家に帰った。そして、何となく時間を潰すために近くのアパートで無作為にピンポンを押していった。そこに、綿密な計画性は認められない。

 しかし、家にもどったF被告は勤務先の水道会社の作業着にわざわざ着替え、ガムテープやカッターナイフをもって出ている。ピンポンダッシュやロールプレイング・ゲームに、なぜガムテープやカッターナイフが必要なのか。犯行の準備と見た方が妥当ではないか。

 さて、核心部分である。F被告は被害者を扼殺した後、死体を凌辱する。

 殺害後、ペニスを挿入したことについては、母親との思い出がフラッシュバックしたと考えられます。理由は首を絞められた弥生さんが失禁したこと。その異臭で母親の自殺の光景が蘇った。そこで母親と一体になろうとした思いに戻っていったのかもしれません。

 絞め殺された人間は舌を突きだしたものすごい形相になり、失禁や脱糞をすることが多いという。弥生さんも失禁と脱糞をしていたとされている。表情も断末魔の表情だったろう。

 普通の強姦犯人だったら、そんな状態の死体を見たら性欲など消え失せ、逃げだすところだが、F被告は死体の汚れた局部を清めた上で、勃起したペニスを挿入し、射精までしている。

 弥生さんに自殺した母親を見ていたという野田正彰氏の解釈が正しいとしたら、「母親と一体になろうとした思い」とは窒息死体と交わるという願望以外のなにものでもないことになる。

 死姦は死者を蘇らせるための儀式だとか、夕夏ちゃんの死体を天袋に隠したのはドラえもんが何とかしてくれると思ったというF被告の主張については、野田氏も「当時、本当にそう考えていたかには疑問も残り、後付けの可能性もあります」と疑問を呈している。凌辱が再生の儀式ではないとしたら、何なのか。母子相姦妄想、さらには死姦妄想の現実化と見るしかないだろう。

 野田氏も弁護団同様、F被告の幼さをしきりに強調するが、母親の死の時点で精神的発達が止まっていたのだとしたら12歳である。しかも、ただの12歳ではない。母親の誘惑で性愛に目覚めた12歳、母親が父親の寝室に呼ばれた夜、「狂いそうになるほど辛かった」と告白する12歳である。彼は寂しかったのではなく、最初から窒息死体を凌辱したかったのかもしれないのである。

 野田氏は精神科医なのだから、幼いから無垢だなどといえないことは百も承知のはずだ。F被告が母子相姦の妄想世界に生きているところまで認めておいて、なぜ弁護団の性欲隠しに加担しようとするのか。野田氏の学者としての良心に疑問を持つ。

8月8日

「ブラックブック」

 ポール・バーホーベンがオランダに帰って作ったナチ・ユダヤ人もの。144分の長尺で、二転三転する複雑なストーリーだが、みごとなストーリーテリングで最後まで引きこまれた。第一級のエンターテイメントといえよう。

 主人公のラヘル(カリス・ファン・ハウテン)は裕福なユダヤ人家庭に生まれ、大戦前は歌手をやっていたが、ナチがオランダに侵攻してくると、かねて話をつけてあった農家に匿ってもらう。ドイツの敗色が濃くなった頃、連合軍の爆撃機が捨てていった爆弾で農家がふきとんでしまう。

 住家を失った彼女は農家の青年に匿ってもらうが、レジスタンスの一員らしい男に家の焼跡から彼女の身分証明書が見つかり、警察が行方を探していると警告される。彼女は男に勧められるまま、米軍占領地域に逃れるグループにくわわることにする。公証人から全財産を受けとり、待ちあわせ場所にゆくと、別の場所に隠れていた父母と兄もいた。

 ユダヤ人たちは艀に乗せられ、夜陰に乗じて川をくだっていくが、ドイツ軍の待伏せにあい、皆殺しにされる。川に飛びこんでただ一人生き残ったラヘルはドイツ兵が死体から財産を奪っていくのを目撃する。

 天涯孤独となった彼女はレジスタンスの一員となり、エリスと名前を変え、波瀾万丈の活躍をはじめるが、レジスタンスが決して一枚岩でないのがおもしろい。愛国者グループはオランダ女王に忠誠を誓うが、共産主義者はその場面になるとそっぽを向いてしまう。ユダヤ人に対しても微妙な距離があり、心の底では信用していない。

 レジスタンスの企てた作戦が内通者によって失敗し、多くの犠牲が出るが、エリスは内通者に仕立てられ、ドイツ軍降伏後も追われる立場になる。最後の最後に本当の内通者が明らかになるが、それは意外な人物だった。

 エンターテイメントには違いないが、オランダの庶民の間に根強く存在するユダヤ人嫌いの感情をはしばしで描いている。こういう映画はハリウッドでは作れないだろう。

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8月9日

 少年事件の調書を生な形で引用した『僕はパパを殺すことに決めた』の出版について、法務省東京法務局は著者の草薙厚子氏と版元の講談社に対し、関係者に謝罪するよう異例の「勧告」をおこなった。ペンクラブ言論表現委員会は言論の自由を脅かす問題と考え、草薙厚子氏と講談社の担当編集者を招き、急遽委員会を開いた。

 強制力のない「勧告」ぐらいでと思う人がいるかもしれないが、「勧告」は重い措置である。人権侵犯事件に対する法務省の措置には「援助」、「調整」、「要請」、「説示」、「勧告」、「通告」、「告発」という七段階がある。「勧告」は三番目に重いが、一番重い「告発」と二番目の「通告」は警察が事件としてあつかうことになるので、法務省で完結する措置としては「勧告」が一番重い。法務省は平成18年度に21,228件の措置をおこなったが、「告発」は1件、「通告」は0件、「勧告」は4件にすぎないのに対し、次の「説示」になると154件と桁が二つちがう。

 「勧告」が東京法務局長から草薙氏に手わたされたのは7月12日だが、翌13日に読売新聞が法務省が「増刷の中止を含めた措置を講ずるよう」勧告したという記事を流すと(「勧告」にはそんな文言はなかったが)、一部の書店が同書を返本し、ラジオ・テレビ番組の出演が一斉にキャンセルになったという。

 『僕はパパを殺すことに決めた』は継母に責任があったかのような初期の報道は誤りとし、少年を犯行にいたらせた本当の原因は父親にあったとする立場で書かれている。少年の父親がプライバシーの侵害や名誉棄損で提訴するのならわかるが、行政機関が表現内容に容喙するようなことをしていいのか疑問である。

 取材や言論の自由の規制につながりかねない法務省の措置に疑問をもつ点では委員諸氏の意見は一致していたが、草薙氏の著作についてはさまざまな意見があった。

 まず、少年事件の供述調書を生な形で引用するという禁じ手を使う必然性があったのかという点。

 ノンフィクションに詳しい委員によると供述調書を資料の一つとして書かれた本は少年事件を含めて珍らしくはなく、中には核心部分で調書の丸写しをしているような本もあったという。そういう本は関係者が読めばすぐにわかるが、特に問題になったことはなかったようである。

 しかし、刑事記録が恐喝の材料にされた事件をきっかけに、開示証拠の管理義務や目的外使用の禁止・罰則が明文化されるなど、この面での規制が強まっている。今回、あからさまに少年事件の供述調書を引用した本が出たことで、取材が困難になるような恐れは多分にある。

 第二に供述調書が決定的な正解であるかのような印象をあたえている点。

 供述調書はあたかも本人が告白したかのように一人称で書かれているが、実際は訊問内容を捜査官が取捨選択し、捜査官の想像で書いたものである。訊問内容をこのように加工するのは日本くらいで、取調のテープ録音やモニター監視を執拗に拒否していることと関係がないわけではないだろう。国際的には日本の供述調書は investigator's essay (捜査官のエッセイ)と呼ばれているそうである。

 ここに引用するわけにいかないので、興味のある方は現物を読んでほしいが、内面描写が多く、完全に小説の文体である。もともと供述調書というものは告白小説もどきだそうだ。捜査官は小説の書き方も勉強しなければならないのだから、御苦労なことである。

 引用は本文より字下げして組むのが普通だが、本書では地の文の方が字下げされており、地の文が引用の註釈のように見える。草薙厚子氏は捜査官の誘導を指摘するなど供述調書が捜査官の作文にすぎないことは承知していると思うが、読者の受けとり方は別だろう。

 草薙氏にはまず「勧告」にいたる一連の経過と法務省による事情聴取の内容を説明いただいたが、担当官は「なぜ地の文に溶けこませなかったのか」といったという。暗黙の引用だったらお目こぼししてやったのにという暗示だろうか。法務省の「勧告」は少年のプライバシーを侵害した点と更生の障害になる点を「被害」としてあげているが、本当の理由は法務省の面子をつぶした点にあったのかもしれない。

 読売新聞の先の記事には「少年の父親から人権侵害の被害の申し立てがあった」と書かれていたが、法務省側からはそんな説明はいっさいなかったという。

 供述調書を生な形で引用した理由については説得力を高めるためという答えだった。少年事件をあつかった過去の著作で、確かな典拠にもとづいて書いたにもかかわらず、想像で書いたのだろうと書評で批判されたことがあり、そうした批判を受けないためには調書の引用が必要ということのようである。

 この点についてはある委員から手厳しい反論があった。供述調書の内面描写は捜査官の想像にすぎず、他人の想像を借りてきて、あたかも真実であるかのように提示するのは物書きとしての責任放棄ではないかというわけだ。

 草薙氏は供述調書の引用は生育歴にかかわる部分に限定したこと、生育歴にかかわる部分の供述調書は信憑性が高いことを強調していたが、事実関係だけなら供述調書の引用は必要ない。事実関係ではなく、内面描写がほしかったので、ああいう使い方をしたととられてもしかたないだろう。

 わたしは草薙氏がアスペルガー原因説を信じているのか気になっていたので、その点を質したが、原因は複合的であってアスペルガーで全部片づくとは考えていないということだった。しかし、あの本の構成だとそうは読めない。調書のあつかいもそうだが、書き方に不用意な点があるのではないか。

 著作の評価はともかく、行政機関が表現内容を規制してくるのは看過できない問題であり、言論表現委員会ではその方向で抗議声明を出すことになった。

 草薙氏は少年鑑別所に法務教官として勤務していた経験があり、その後も少年事件にとりくんできた人なので、本に書けなかった事件の背景や、少年法の問題点について貴重な話を聞けた。

 少年事件はタコ壷的に審理がおこなわれるので、似たような事件でも処分に天と地ほどの開きが出ることがよくあるらしい。判例主義が機能せず、裁判官の恣意にまかされているのだとしたら問題である。

 酒鬼薔薇事件の触法少年が少年院を退院する際、社会の目がどれだけ厳しいかをわからせるために、井垣判事の判断で事件をあつかった新聞記事や雑誌記事、本をすべて読ませたという。

 当然の処置と思うが、なんと、こういうことは酒鬼薔薇少年以外にはまったくおこなわれていないのだそうである。

 今の少年法は触法少年を腫物をさわるようにあつかい、犯罪事実の重さや被害者の思いに直面させないようにしているが、それが更生につながるとは思えない。法務省と人権派弁護士は少年法となるとヤマアラシのようにトゲを逆立てるが、山地悠紀夫の再犯のように、更生の失敗がさらなる悲劇を生んだ事件も現実に起きているのである。

8月10日

「ボルベール〈帰郷〉」

 「オール・アバウト・マイ・マザー」、「トーク・トゥー・ハー」につづくアルモドヴァルの女性賛歌三部作の最後の作品で、男に泣かされた女たちが支えあう話だ。前二作もよかったが、本作は傑作中の傑作である。「オール・アバウト・マイ・マザー」では赤ん坊を産んでエイズで死ぬ修道女を演じたペネロペ・クルスが高校生の娘をもつ母親役で主演している。

 ライムンダ(ペネロペ・クルス)とソレ(ロラ・ドゥエニャス)はマドリードで暮らしているが、三年前に山小屋で焼死した両親の墓参りのためにラマンチャの村によく帰っている。故郷の家には叔母が一人で住んでいるが、ぼけてきていて、ライムンダの母のイレーネがまだ生きていると思いこんでいる。迷信深い村人の中には叔母はイレーネの幽霊と暮らしていると噂する者もいた。

 ライムンダが墓参りから帰ると、夫のパコは会社を解雇され荒れていた。その夜、事件が起こる。パコは娘のパウラ(ヨアナ・コボ)を犯そうとし、パウラは身を守ろうとしてパコを殺してしまったのだ。ライムンダはパニックにおちいったパウラをなだめ、パコは本当の父親ではなかったと告げる。パコは別の男の子供を宿したライムンダと承知の上で結婚していたのだ。

 ライムンダは娘を守るために死体を隠そうとする。叔母の訃報が届くが、死体の始末をつけなければならないので、葬儀はソレ一人にまかせることになる。

 ここからがあっと驚く展開で、アルモドヴァル節全開だ。途中、オカルトかと思わせるが、最後はちゃんと辻褄があう。

 ペネロペ・クルスがすばらしい。ハリウッドではヤクザの情婦のような役ばかりだったが、彼女にはけなげな役があう。

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8月12日

「とことん押井守」

 先週一週間、NHK BS2の「アニメ・ギガ」で押井守特集をやっていたが、最終日の11日は1時間のティーチインにつづいて、「ビューティフル・ドリーマー」、「アヴァロン」、「イノセンス」を一挙放映するという豪華版だった。今回の特集では各作品の後に押井守氏のインタビューがついたが、さらに11日はティーチインのメンバーが残り、延長戦をつづけていた。

 「イノセンス」はDVDをもっているのでパスしたが、20年ぶりの「ビューティフル・ドリーマー」と未見の「アヴァロン」はおもしろく見た。岡田斗志夫氏はこの3本は映画についての映画だとメタ映画性をしきりに強調していたが、そんなこと関係なしにおもしろい。

 「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」は技術的には一時代前の作品だが、ところどころにすごい場面があるし、作品として抜群におもしろい。

 TV版「うる星やつら」から3話選んで放映した日のインタビューで、押井氏は女性は結婚したら誰かの夫人になってしまうので、本当は結婚したくないのではないか。「うる星やつら」は永遠に結婚を回避したい女性の論理で作られているが、男である自分はそれではモチベーションが生まれないという意味のことを語っていた。学園祭前日が果てしなくくりかえす「ビューティフル・ドリーマー」は「うる星やつら」の構造をテーマにしたメタ「うる星やつら」ということになるだろう。

 それは原作を壊すことにつながる。実際、原作者の高橋留美子氏は「ビューティフル・ドリーマー」を見て、唖然としたと伝えられている。

 ティーチインでは「ビューティフル・ドリーマー」で演出を担当した西村純二氏が裏話を披露してくれたが、一番驚いたのは、あの複雑なストーリーをシナリオなしで作ったという話だ(押井氏の頭の中にはあったのだろうが)。西村氏はA4版2ページのメモをわたされ、あとはその都度、押井氏から口頭で指示を受けただけだったという。

 アニメの場合、スケジュールの関係でシナリオなしで作ることはままあるらしいが、「ビューティフル・ドリーマー」の場合は原作者と小学館のシナリオ・チェックを回避するという計算もあったようだ。もし、事前にシナリオのチェックを受けていたら、現在のような作品にはなっていなかったかもしれない。

 押井氏は完全主義者として知られるが、黒澤明的な独裁者ではなく、現場の裁量にまかせる部分が大きいというのも意外だった。

 「ビューティフル・ドリーマー」にはしのぶが風鈴の屋台を追いかけ、見失って途方にくれるのを、二階の窓から後ろ姿だけで登場する未知の男が見下ろす場面がある。その男が誰かで議論が紛糾したが、西村氏は押井氏からは後ろ姿の男という指示しか受けなかったが、自分の判断で、監督である押井氏が途方にくれるしのぶを見ていると解釈し、押井氏の後ろ姿に似せたということだった。

 西村氏をそれだけ信頼していたということなのだろうが、作品の要になる部分をまかせてしまうというのはすごいことである。

 「アヴァロン Avalon」は実写映画だが、全編ポーランドのロケ、出演者は全員ポーランドの役者、台詞もすべてポーランド語である。

 実写というだけで敬遠していたが、映像はゲームの場面も現実の場面もすべて徹底的にデジタル処理されていて、どことも知れぬ未来空間になっている。モノトーンに近いセピア色の画面は強烈に脳に刻まれ、残像として残る。あの荒廃感を味わうだけでも、この作品は見る価値がある。

 「攻殻機動隊」をパクった「マトリックス」に対抗しようという意図を読むのは勘ぐりすぎだろうか。

 惜しむらくは「マトリックス」ほどのはったりがないこと。映像とヒロインの美しさでは「マトリックス」に勝っているが、世界観では負けている。

8月14日

「パルマ派展」

 国立西洋美術館で「パルマ ―イタリア美術、もう一つの都」展を見たが、あまりおもしろくなかった。大きな宗教画が多く、いかにも泰西名画といった絵ばかりだった。美術史的には意義があるのだろうが、好みではなかった。

 むしろ常設展の方がおもしろかった。「パルマ派」展で展示されていたのは15世紀から18世紀にかけての宗教画だったが、その前の時期、中世後期から14世紀にかけての宗教画の小品が最初にならべられていた。保存状態はきわめてよく、テンペラ画のあまりにもあざやかな色彩に驚いた。松方コレクションは奥が深い。

 「パルマ派」展と常設展には聖ベロニカの聖画が何点もあった。聖ベロニカは十字架を担って刑場まで追い立てられたイエスの顔を布で拭ったとされる女性で、布にはイエスの顔が魚拓のように写ったという伝説が残っている。これが「ベロニカの聖帛」で、中世ではもっとも人気のある聖遺物の一つだった。

 聖ベロニカは「聖帛」の縁で洗濯女と亜麻布商人の守護聖人だったが、写真術が発明されると写真師の守護聖人になった。

 キェシロフスキーの「ふたりのベロニカ」のヒロインがベロニカと名づけられたのは聖ベロニカの故事と関係があるのかもしれない。

「五木寛之 21世紀・仏教への旅」インド編

 昨年、NHKで一年がかりで放映されたハイビジョン特集「五木寛之 21世紀・仏教への旅」シリーズの再放送がNHK総合ではじまった。

 仏教はインドでおこり、東アジアと東南アジアにひろがり、今、欧米にも影響力をおよぼしつつあるが、その現状を五木がレポートしている。

 全5回のうち、今日は第1回のインド編である。小乗経典の方の涅槃経(『ブッダ最後の旅』)に記された霊鷲山から釈尊終焉の地、クシナガラにいたる道程を五木がたどる。旅の模様は『21世紀 仏教への旅 インド編』として本になっている。DVDはまだ発売されていないが、評判の番組だから出るかもしれない。

 霊鷲山からクシナガラまではおおよそ400kmある。華やかな色の合成繊維の衣類やプラスチック製品がゆきわたっているが、広大なサバンナと照りつける太陽は2500年前と変わっていないだろう。釈尊一行が滞在したマンゴー林を彷彿とさせる果樹園も登場した。五木は冷房つきの自動車で移動したが、炎天下、悪路の旅は体にこたえたようだ。

 釈尊はパーヴァ村の鍛冶工の子チュンダのさしあげたきのこ料理にあたり、それがもとでみまかった。毒きのこがまじったいたのではないかとみられている。

 ヨーロッパではユダヤ人はキリストを処刑した呪われた民族として迫害された。鍛冶工は伝統社会では差別の対象であり、釈尊の毒殺の嫌疑をかけられてもおかしくない状況だった。釈尊はきのこ料理の異変に気づくと、ただちに料理を土中に埋めるように言いつけ、チュンダに責任がおよばぬように最大限の配慮をおこなっている。仏教は四姓平等を標榜する宗教だけに、鍛冶工を釈尊毒殺の張本人として追求するようなことはなかったようである。

 五木は現代のパーヴァ村を訪れ、鍛冶屋を見つける。さすがにチュンダの子孫ではなかったが、鍛冶屋の主人は釈尊が村を訪れたという伝説を伝えていた。仏教はインドでは滅びたが、釈尊はヴィシュヌ神の化身としてヒンズー教のパンテオンにとりいれられたので、伝説が残ったのだろう。

 番組では中村元訳の朗読が挿入されたが、繰りかえしの多い行文は耳で聞くと抵抗なくはいってくる。シリーズの今後を期待させるいい番組だった。

8月15日

「五木寛之 21世紀・仏教への旅」朝鮮半島編

 「仏教への旅」第2回は「朝鮮半島編」となっているが、仏教の取材で北朝鮮にはいれるはずはなく、もっぱら韓国の話題だった。本は『21世紀 仏教への旅 朝鮮半島編』が刊行されている。

 番組は以下の三つのテーマが柱となっていた。

 朝鮮仏教が華厳経を選んだ理由は前から気になっていた。それは日本仏教がなぜ法華経を選んだのかを問うことでもある。

 番組では「華厳縁起絵巻」で日本でも知られている義湘と善妙の悲恋物語を紹介し、義湘の開いた皇龍寺の祠に残る善妙のあでやかな塑像を映した。華厳経学を大成した学問僧がこんな形で民衆に慕われつづけていたわけである。

 五木は朝鮮民族のネアカな気質が華厳経の前向きの世界観と合っていたと語っていたが、このあたり、よくわからない。

 日本仏教で法華経が重きをなすにいたったのは、最澄が比叡山に天台宗の拠点をつくったことが大きい。華厳教学は奈良の官寺にとどまったが、比叡山で天台を学んだ鎌倉仏教の祖師たちは法華経を出発的に思想をねりあげ、民衆の中へはいっていった。

 もちろん、法華経の思想を発展させた新仏教が日本の民衆に歓迎されたのは、法華経が日本人の心に訴えるものがあったからだろう。禅宗は華厳だという見方があるし、真言密教は華厳と近いともいわれている。日本にも華厳経の世界観ははいっていないわけではないが、法華経と較べると影が薄い。

 今でも法華経に関する一般向けの本は膨大な数が出ており、文学者が仏教にかかわる場合は法華経か親鸞のどちらかである。華厳経をとりあげた文学者というと、石川淳と岡本かの子くらいしか思いつかない。石川の場合、根が朱子学なので、華厳経の世界観と近かったということがある。

 華厳経になくて法華経にあるのは排他主義だと思う。法華経は法華経だけを崇めることをもとめており、異端者に対して容赦ない。仏教で異端を問題にするのは法華経くらいなもので、その点はキリスト教なみである。吉利支丹に対してもっとも戦闘的だったのも法華宗だった。

 浄土真宗もキリスト教なみに戦闘的だったが、信長に牙を抜かれ、家康に飼いならされた。法華宗も信長にたたきのめされたものの、法華経という牙はたもちつづけ、江戸時代には吉利支丹なみに弾圧された不受不施派を生んだ。明治以降、仏教系新興宗教の母胎となったのは法華経だった。

 韓国の場合、新興宗教の母胎となったのはキリスト教だった。韓国のキリスト教信者の大半は、実際にはキリスト教系新興宗教の信者のようである。

 近代化が進むと、激烈な宗教感情をもとめる人が増えてくる。あてずっぽうだが、激烈な宗教感情をもちたい人は日本では法華経系の新興宗教にはいり、韓国ではキリスト教系新興宗教にはいるということではないか。日本におけるキリスト教の最大のライバルは今も昔も法華経なのかもしれない。

8月16日

「五木寛之 21世紀・仏教への旅」ブータン編

 「仏教への旅」第3夜はチベット仏教を国教とする唯一の国、ブータンをとりあげていた。本は『21世紀 仏教への旅 ブータン編』が出版されている。

 ブータンは1970年代まで鎖国をつづけていたので「秘境」のイメージが強いが、今は多くの外国人が訪れ、衛星放送やインターネットで情報が流入しているのは「ザ・カップ 夢のアンテナ」を見てもわかる。

 ブータンは近代化途上の国だが、近代化には地域差がある。ブータンは九州程度の面積とはいえ、ヒマラヤの山腹にひろがっているために、数千メートル級の山脈によって国土が細かく分断され移動がままならない。五木寛之一行も相当難渋していた。

 五木は近代化のある程度進んだ首都近辺と、ブータン古来の姿をとどめる中央ブータンの二ヶ所でブータン仏教の現在をさぐった。中央ブータンの方は大体予想通りの映像で、首都近辺の方が興味深かった。英語はブータンの公用語の一つになっているが、ドテラのような民族衣装の人も普通に英語を喋っていた。英語で答えることのできる人のインタビューだけを選んだのだろうが、英語の普及度は高そうだ。服装は欧米風も多かったが、当たり前にマニ車をまわし、インタビューされると輪廻転生の世界観と仏教の教えを語り、ブータンの代名詞のようになっている「国民総幸福量」(Gross National Happiness)にふれた。編集がくわわっているにしても、近代化と仏教文化の共存はうまくいっているように見えた。

 「国民総幸福量」はともかくとしても、インテリたちが近代化に焦っていないのは確かなようだ。ブータンが開国したのは先進国の行き詰まりが明らかになってからだから、立ちどまって考える余裕があるのだろう。

 国家シンクタンクにあたるらしいブータン研究所の所長で、欧米や日本に留学経験のあるカルマ・ウラ氏と、ブータン仏教界の重鎮のロポン・ペマラ師に、子供から「どうして人を殺してはいけないのか」と訊かれたら、どう答えるかと質問していたが、二人の受け答えには自信があふれていた。日本のインテリには、この質問に彼らほど自信をもって答えることのできる人がどれだけいるか。

 もっとも、答えの内容は輪廻転生を前提とした仏教的なものだった。日本の子供たちがあの答えで納得するかどうかは別である。

 ブータン仏教にも問題がないわけではない。チベット仏教でいう活仏(高僧の生まれ変わり)をブータンでは化身というが、近年、化身が増えすぎたことが問題になっているという。国が把握しているだけで百人以上いて、化身の増加に歯止めをかけるために化身認定委員会が作られている。

 「ザ・カップ 夢のアンテナ」は化身の高僧が監督したことが話題になったが、出演した少年僧の大部分も化身だった。化身の人気は絶大なので、うちの寺にも化身がほしいと考える人が多いということだろう。

8月17日

「五木寛之 21世紀・仏教への旅」中国・フランス編

 「仏教への旅」第3夜は禅宗をとりあげていた。本は『21世紀 仏教への旅 中国編』が出版されている。

 まずフランスの禅ブームを紹介し、次に禅の源流である中国を訪ねるという段取である。

 フランスの禅ブームはブームとはいっても、一過性の底の浅いものではなく、社会の一角にしっかり根をおろしているようである。

 今日の禅の隆盛をもたらしたのは弟子丸泰仙師だった。弟子丸師は1967年にフランスにわたり布教をはじめたが、まず1968年の5月危機で挫折し、方向を見失っていた学生の心をつかみ、しだいに地歩を固めていった。今ではインテリのみならず、ビジネスマンや労働者に間にも禅の実践者が増えているという。弟子丸師は禅を宗教としてではなく、心を安静にする技術として伝えたので、カトリックの内部でも禅がおこなわれている。

 弟子丸師は自分は種をまいただけで、フランスにはフランスの禅があるから、日本の禅のまねをする必要はないとくりかえし語っていたそうだ。そうはいっても、コアな修行者は日本の禅寺そっくりの道場を作り、厳粛な修行をおこなっているようだ。キリスト教には修道院の伝統があるから、禅寺のスタイルはそれほど抵抗がないのかもしれない。

 中国編は禅を中国化し、民衆に根づかせた六祖慧能が中心だった。五木は慧能の創建した南華寺を訪れた。住職はこの寺の僧侶はみな慧能直系の弟子ですと胸を張っていたが、驚いたのは自由な座禅のスタイルだ。団扇であおぎながら座っているのである。これが南宗禅なのか。慧能の自由闊達な精神は禅宗よりも道教がうけついだと道教関係の本に書いてあって、それを真に受けていたが、どうもそうではなかったようである。

「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」

 フィルムの状態はひどく悪かったが、これは傑作中の傑作。筒井康隆が『不良少年の映画史』で絶賛するのもわかる。

 柳生藩の国元で家宝の「こけ猿の壺」に軍資金百万両の地図を隠してあったことがわかり大騒ぎになる。家宝とはいっても汚い壺なので、藩主の対馬守(阪東勝太郎)が江戸の千葉道場に養子に出した弟、源三郎(沢村国太郎)にあたえてしまったからだ。対馬守は壺をとりもどすために家老の峰丹波(磯川勝彦)を江戸に急行させる。

 江戸ではそんなこととは知らず、壺を屑屋に売ってしまう。家老に秘密を打ち明けられた源三郎は壺を探すという名目で外出するが、百万両には関心がなく、矢場にいりびたって暇をつぶす毎日。

 源三郎は柳生家の生まれとはいっても剣術はからきし駄目のぐうたらだが、画面に登場するだけで春風駘蕩の気がかよう。沢村国太郎という役者、中村梅之介に似ていると思ったが、前進座とは関係がなく、沢村貞子の兄にして長門裕之・津川雅彦の父親だった。

 源三郎のいりびたっている矢場はお藤(喜代三)という歌のうまい女将が切盛りしているが、そのお藤の亭主格が丹下左膳(大河内傳次郎)で用心棒を兼ねている。

 源三郎が常連になる直前、矢場では事件があった。七兵衛(清川荘司)という客がチンピラにからまれ、殺されたのだ。お藤と丹下左膳は七兵衛の一人息子の安吉をひきとっていたが、安吉のもっていたのが「こけ猿の壺」。金魚を飼うために隣の屑屋の二人組からもらったものだが、百万両の地図が隠してあるとはもちろん知らない。

 お藤と左膳は安吉のことでなにかと気をもむが、このやりとりが絶品で思わず微笑む。大河内傳次郎のコメディの才能を見抜いた山中貞雄はすごい。

 ニヒルな剣士を子煩悩なマイホーム・パパにされてしまい、原作者の林不忘はおかんむりだったそうだが、皮肉にもこの作品のおかげで丹下左膳は不滅のキャラクターとなった。

 ゆるい作りに見えるが、最後まで見ると伏線がすべて解決されていて、意外にも首尾一貫している。ハイカラなコメディを江戸の遊興文化にとけこませた山中は天才の名に値する。

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「人情紙風船」

 昔見た時はなんと暗い救いのない映画だろうと辟易したが、今回見て、確かに日本映画を代表する傑作の一つにちがいないと確信した。

 ベースは河竹黙阿弥の「髪結新三」で、前進座がユニット出演している。小悪党の新三(中村翫右衛門)が白木屋の娘お駒(霧立のぼる)が縁談を嫌がっているのにつけこんで誘拐し、身代金をせしめるストーリーは同じだが、同じ貧乏長屋に住む浪人海野又十郎(河原崎長十郎)の仕官話をからませている。

 海野はわけありで浪人したらしく、かつて父親が出世の糸口を作ってやった毛利三左衛門(橘小三郎)を頼るが相手にしてもらえない。毛利は白木屋のお駒を高家の嫁にしようと奔走しており、海野は毛利への当てつけから新三の誘拐に加担することになる。

 白木屋と懇意のヤクザ、源七(市川笑太郎)が調停に失敗し、大家の長兵衛(助高屋助蔵)が間にはいっておさめ、身代金の半分をさらっていくのは同じだが、一部は海野にもわたされ、それを恥じた海野の妻は海野を殺して自分も自害する。面目を失った源七は乾分たちに命じて新三を惨殺する。

 新三も大家も歌舞伎より悪の部分が減って、人情味のある味のある人物になっている。小悪党ながら意地を見せる翫右衛門の新三は記憶に残る。

 陰鬱な物語を引き立てているのは長屋の住民たちの刹那的な明るさだ。冒頭、長屋で首吊り自殺があるが、新三が大家から通夜の酒代をせしめると、首吊りをネタに宴会で大いに盛り上がる。彼らは海野夫婦の心中も新三の死も、活力に変えてしまうだろう。やけっぱちの明るさである。1937年の世相が反映しているのだろうが、案外、江戸の庶民とはこういう人たちだったかもしれない。

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8月18日

「五木寛之 21世紀・仏教への旅」日本・アメリカ編

 「仏教への旅」最終回は五木寛之が近年関心をもっている他力の思想がテーマだった。

 五木は他力という観点から半生をふりかえった『他力』を1998年に出版したが、この本は "Tariki" として英訳され、ニューヨークではベストセラーリストにはいるほどの売行を見せたという。

 他力の思想をアメリカ人に問いかけるのが今回の趣旨だが、結果はすれ違いに終わった。日本の武道を教えているオヤジが "Tariki" に感動したと熱っぽく語っていたが、あれはどう見ても日本ヲタクの一方的な思いいれだ。9.11の遺族で、イラク戦争に反対しているお婆さんが出てきたが、自分の活動の範囲でしか語っていなかった。

 チベット仏教の権威のロバート・サーマン氏も登場したが、他力思想は知識として知っているだけで、特に関心をもっているわけではなかった。

 番組では触れていなかったが、彼は女優のユマ・サーマンの父親である。ユマ・サーマンは子供時代にヒッピーの父親にひっぱりまわされてインドを放浪したとインタビューでこぼしていたが、そのヒッピーの父親がロバート・サーマン氏なのである。"Inner Revolution" などチベット仏教関係の著書が多数あり、"The Jewel Tree of Tibet" という講義のCDも出ている。

 "Tariki" を読んだキリスト教の説経師が五木に、生きようという意志があったから、敗戦の混乱の中で生きのびることができたのだろうと反論していたが、あれがアメリカ人の本音だろう。最後にアメリカで成功した禅僧が登場し、自力と他力は一致すると語っていたが、アメリカ人にはそこまではわからないのではないか。

 アメリカは努力をよしとする文化なので、禅やチベット密教のような厳しい修行をともなう仏教は受けいれられやすいが、他力の思想は一番受けいれられにくいのではないかと思う。エイズで死にかけている人とか、罪を認めている死刑囚とか、努力が無意味になった人に問いかければ別かもしれないが、相手を間違えている。

8月21日

 共同電が「中国、太平洋の東西分割提案か」という物騒な記事を配信した。最近、訪中したキーティング米太平洋軍司令官に中国側が「太平洋を東西に分割し東側を米国、西側を中国が管理する」ことを提案したというのだ。

 分割線がどこかは書いていないが、グアムになるにせよ、ハワイになるにせよ、日本が中国側管理区域にとりのこされることになる。見逃せないのは次の一節だ。

 米政府内の親中派の間では提案に前向きな受け止めもあったが、国防当局は西太平洋の覇権を中国に譲り渡す「大きな過ち」だと主張。日本などアジアの同盟国との関係を台無しにしかねないとして断ったという。

 アメリカは今は断っても、将来どうなるかわかったものではない。防衛を他国に頼ることの危うさに目を向けるべきだ。

 中国が軍事力を増強しつづけるのは間違いないが、ただし「中国、自動車生産2010年に日米を逆転も・1600万台計画」というような中国経済脅威論には眉に唾をつけた方がいい。

 宮崎正弘氏は「中国の成長率が10−11%とは「真っ赤な嘘だ」でレスター・ソローの推計を紹介し、電力消費と購買力平価からいって 4%の成長も怪しいと指摘している。

 中国は独裁体制なのをいいことに、無理に無理を重ねていると見た方がいい。そして、だからこそ危険である。経済破綻が生じた場合、軍事的緊張で国内の不満をそらすのが独裁体制の常套手段だからだ。

「モータサイクル・ダイアリーズ」

 医学生だった22歳のゲバラ(ガエル・ガルシア・ベルナル)は、化学技師をやっていたアルベルト・グラナード(ロドリゴ・デ・ラ・セルナ)という青年とともに南米大陸を南の端から北の端までバイク旅行をした。その時の旅日記を映画化したのがこの作品である。

 バイク旅行といっても、バイクはチリにはいったところで壊れてしまい、後は徒歩とヒッチハイクである。世慣れたグラナードにくらべてゲバラは潔癖でナイーブだったが、すくない所持金で旅をつづけていくうちに世術を身につけたくましくなっていく。

 裕福な家庭で育ったゲバラはこの旅で社会の矛盾を目のあたりにするが、映画は二つのエピソードをとりあげている。

 第一は警察に追われているインディオの夫婦との出会い。共産党に関係したために二人は家を焼かれ、指名手配を受けていた。わかれる時、ゲバラは恋人からもらった虎の子のドルをわたしている。

 第二はハンセン氏病の療養施設。ゲバラはハンセン氏病を専門にしていて、旅に出る前、ハンセン氏病の権威の医師に手紙を出していた。旅費が底をつき、二人は医師宅にしばらく居候するが、奥地の療養施設を紹介される。施設は修道会が運営していたが、患者を河の真ん中の島に隔離し、患者に触れる時にはゴム手袋をするとか、ミサに出ない患者には昼食をあたえないとか、理不尽な規則がある。ゲバラとグラナードはゴム手袋を拒否して対等に接し、深い友情が生まれる。

 映画の最後には老いたグラナード本人が登場する。映画で描かれるグラナードはラテン気質そのままの女好きの軽い男だが、キューバ革命の成功後、彼はゲバラに招かれてカストロ政権の一員となり、要職を歴任したという。赤い貴族になったということか。

 グラナードはこの映画にアドバイザーとして参加し、その模様は「トラベリング・ウィズ・ゲバラ」というドキュメンタリー映画になり、日本でも公開されている(DVDは単体では発売されず、コレクターズ・エディションの特典ディスクに収録)。

 ロマンチシズムあふれるいい映画だったが、素直に楽しめたのはゲバラが夭折したからだと思う。老醜をさらしたり、仲間に粛清されていたら、ゲバラ神話は生まれていなかったろう。

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「ボビー」

 ロバート・ケネディが暗殺された1968年6月5日のアンバサター・ホテルの一日を描いた、文字どおりグランド・ホテル形式の作品。

 宿泊客、ホテルスタッフ、元従業員、出演している歌手、選挙運動員など22人が登場する。ホテルの裏方が多いが、理由は最後にわかる。彼らは暗殺現場にいあわせた実在の人物をモデルにしているのだ。ロバート・ケネディは選挙本部で勝利を宣言した後、厨房を抜けて外に出ようとした時に暗殺された。厨房が現場なので、ホテルの裏方が多くなったのである。

 引退したドアマンにアンソニー・ホプキンス、アル中の歌手にデミ・ムーア、そのヒモ兼マネージャーにエミリオ・エステヴェス、ベトナム行きを逃れるために偽装結婚する青年にイライジャ・ウッド、支配人の愛人兼電話交換手にヘザー・グレアム、その他、シャロン・ストーン、ヘレン・ハントといった大所が出演しているが、日本の映画にありがちのにぎやかしではなく、本人とはわからないメークで登場し、本格的な芝居をしている。

 ロバート・ケネディを今とりあげたのはイラク戦争のためだろう。ロバート・ケネディは泥沼のベトナム戦争に終止符を打ってくれるヒーローとして待望された。ロバート・ケネディが大統領になったとしても、ベトナムからニクソンより早く撤退できたかどうかは疑問だ。暗殺場面にかぶせて最期の演説が思いいれたっぷりに流れるが、わたしにはピンと来なかった。

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8月24日

 20日から23日まで、NHK総合で「民衆が語る中国・激動の時代〜文化大革命を乗り越えて」を放映していた。

 文革については多くの本が出ているし、ドキュメンタリー番組もすくなからず製作されてきた。この番組は文革にかかわった、あるいは巻きこまれた40人以上の中国人に長時間のインタビューをおこない編集したもので、渦中にいた民衆みずからが語った点が新鮮である。40年たって、ようやくこういう番組が作れるようになったということだろう。

 第1回は文革の発動から高揚期、第2回は激化する武闘と林彪事件、第3回は下放政策、第4回は文革の終焉がテーマだった。

 最初の2回はみな妙に楽しそうに思い出を語っていた。元紅衛兵がなつかしむのはわかるが、被害にあった人まで熱っぽく語るのだ。ひどい話がたくさん語られたが、それでも彼らにとっては青春だったということだろう。

 ところが第3回で下放の話になると、みな一様に口調が重くなり、表情が曇る。文革の熱狂は一過性だったが、下放は都市戸籍を失うことであり、その後の一生を決定したからだ。

 最初は幹部の子供も平等に下放されていたが、文革が一段落するとすぐに都市にもどれた。しかし、コネがないと地方に埋もれることになった。出身が悪いと、いくら頑張って村で推薦されても、都市にもどるのは不可能だったという。多くの人にとって、下放は終わっていない。

 意外だったのは林彪事件の評価だ。毛主席の「もっとも忠実な戦友」にして後継者が、一夜にして売国奴になったという異常事態を国民に納得させるために、林彪直筆の「五七一工程」に関するメモを公開したが、そこに書かれている毛沢東批判と文革批判を読み、本当のことが書いてあると直感したと異口同音に語っていた。自分の頭で考えはじめるきっかけになったと証言する人が何人もいた。表向きは「批林批孔」を叫んでいても、本心は別だったわけだ。

「レ・ミゼラブル」

 日本初演から20年目をむかえた公演で、キャストが一新している。この作品を見るのは7回目か8回目だと思うが、新キャストでははじめてだ。パンフレットは今回のキャストを紹介した赤版と、20年間を回顧した青版の二種類出ていた。

 男性陣は全般にすぐれている。今井清隆のジャン・バルジャンは滝田栄に似たタイプ。歌は滝田より聞かせるが、アクがやや不足。

 石川禅のジャベールははじめて見るタイプで、歌がうまいが、サラリーマン刑事という感じで怖さが足りない。ジャベールは怪物でいてくれないと困る。

 泉見洋平のマリウスは多分、最高のマリウス。仲間を偲ぶ歌は絶唱。線が細いかと思ったが、マリウスはもともと線の細い役であり、これでいいのだ。他の学生たちもすばらしく、乾杯の歌はぞくぞくした。ガブロシュもよかった。  徳井優のテナルディエは期待したが、歌がお粗末。他がうまいだけに、余計下手に聞こえた。

 女性陣はふるわない。山崎直子のファンテーヌは陰気すぎるし、声が伸びない。坂本真綾のエポニーヌは不安定。コゼットの辛島小恵はオペラ出身らしいが、台詞と歌のつなぎ目が変。たまたまひどい日に当たったか。

 女性で唯一よかったのがテナルディエ夫人の森公美子。多分、最強のテナルディエ夫人で、鳳蘭よりいいかもしれない。

 夏休みなので子供連れが多かったが、おとなしく聞いていた。

 なお、「レ・ミゼラブル」ファンなら、ハイライト版でかまわないから、英語の歌詞を聞いておくことをお勧めする。もともと英語をのせるために作曲された曲なので、子音の響きがメロディーに消えていくところなど、日本語の歌詞からは想像ができないくらい繊細で甘美なのである。

8月26日

「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」

 「ハリー・ポッター」シリーズの五作目である。不死鳥の騎士団という秘密結社が登場し、ヴォルデモート復活を認めない魔法省と戦う。魔法省の方もハリーたちを監視するためにアンブリッジという口うるさい女教師をホグワーツに送りこんでくる。

 ヴォルデモートとの本格的な対立の前に、善の側の体制を整えるために権力闘争をおこなう話で、それに思春期をむかえたハリーの葛藤や大人への不信をからめている。裏切りがあいつぎ、ハリーは孤立し、苛立っている。

 ハリーの成長物語の上では要になるのだろうが、見ていてしんどい。登場人物を増やしたのは逆効果だったと思う。

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8月28日

「エレンディラ」

 マルケスの同題の短編集を坂手洋二が脚本化。演出は蜷川幸雄。

 グェッラ監督の映画は短編「エレンディラ」だけを脚色したが、この芝居は「大きな翼のある、ひどく年取った男」、「奇跡の行商人、善人のブラカマン」、「愛の彼方の変わることなき死」など、短編集の他の作品をとりこんで世界を広げている。一冊の短編集をまるごと脚本化したに等しく、上演時間は四時間になんなんとする。

 印象的な場面がたくさんある。

 まず、エレンディラの登場シーン。カーニバルの熱狂の中、狂言回しのインディオの夫婦が口上でエレンディラの美しさをことほぎ、期待をいやがうえにも高めた後、舞台の一番奥からエレンディラがしずしずとあらわれる。その後ろにお婆ちゃん(嵯川哲郎)のはいった浴槽がつづき、広場はお婆ちゃんのお屋敷に一変するのだが、さいたま芸術劇場の大ホールは舞台の奥行がおそろしく深く、エレンディラは歩いても歩いてもなかなか近づいてこない。観客の目は釘づけになる。こういう演出は都心の劇場では無理だ。

 映画はクラウディア・オハナの美少女ぶりが評判になったが、美波も美少女である。初舞台が四時間出ずっぱりの主役、しかもヌードありとはエレンディラの運命なみに過酷だ。

 映画ではイレーネ・パパスがやったお婆ちゃんは嵯川哲郎が肉襦袢を着こんで演じた。入浴場面などで裸になるが、作り物とはいえ、ぶくぶく太ったグロテスクなヌードはど迫力。

 火事の後では本水で雨を降らせ、度肝を抜いたが、何度もくりかえすのはいただけない。

 舞台を大きく円を描いて進む砂漠の行進は見ものだ。長い柄につけたコウモリ傘をかざしたエレンディラを先頭に、輿に乗ったお婆ちゃんと、黒いトランクに手足の生えた父と祖父の死体、美術品をかついだインディオの行列がつづき、最後に写真屋が自転車を押して歩く。なんともシュールな光景。

 一幕の最後のエレンディラとウリセス(中川晃教)が結ばれる条はこの芝居で最も美しい場面である。客をとりすぎて下腹部が棒で殴られたように痛みだしたエレンディラは急遽休むことになる。行列を作っていた客は帰されるが、翌朝には出発しなければならないウリセスはあきらめきれず、エレンディラのテントの周りを徘徊する。二人は出会い、エレンディラはウリセスを受けいれ、はじめて歓びを知る。原作では一頁足らずの短いエピソードだが、坂手と蜷川はここを無垢な恋人たちの哀切で叙情的な山場に変えた。

 二幕ではエレンディラは修道院に監禁されるが、お婆ちゃんの策略で偽装結婚させられ、再び娼婦生活にもどる。お婆ちゃんは修道院事件に懲りて上院議員に接近し、商売はいよいよ繁盛する。

 一方、家にもどったウリセスはエレンディラが忘れられず、ダイヤのはいったオレンジを盗んで家出する。ウリセスはエレンディラと再会し、駆落するが、上院議員と結託したお婆ちゃんは警察を使い、二人をすぐに捕まえてしまう。エレンディラは娼婦稼業にもどされる。

 エレンディラのテントには男たちが長蛇の列を作り、他の娼婦の妬みを買ってしまう。娼婦たちはエレンディラをベッドごと拉致し、通りでさらし者にする。ベッドに鎖でつながれた全裸のエレンディラの怯えた姿が痛々しい。

 三幕ではエレンディラはお婆ちゃんの言い訳を聞いてはじめて洗脳が解け、お婆ちゃんを殺そうと思うが、自分では実行できない。ウリセスが実行役となるが、怪物的なお婆ちゃんはなまなかなことでは死なない。エレンディラは満足に人も殺せないのとウリセスをなじるが、彼女はもはや無垢な少女ではなくなっている。

 ウリセスはやっとお婆ちゃんを殺すが、エレンディラは金の延棒を縫いこんだチョッキを着こんで一人で逃げてしまい、ウリセスは殺人犯として捕らえられる。『ロリータ』のような無残な結末である。

 原作はここで終わるが、芝居は短編集の他の作品のエピソードを取りこんで、殺人を犯してなお無垢なウリエセスのその後の運命を語り、さらには「タンゴ、冬の終わりに」のようなマルケス的とは言いかねる結末をつけた。原作の結末が芝居向きでないのは確かだが、この終わり方は苦し紛れのような印象を受けた。

 記憶に残るすばらしい場面がいくつもあるし、エレンディラの美波、ウリセスの中川ともに好演だが、四時間は長すぎた。インディオの夫婦がつとめていた狂言回しが三幕にいたって、急にマルケス本人を思わせる作家(國村準)に変わるのも解せない。最初から作家を狂言回しにしていた方がわかりやすかったろう。

 混沌が命の芝居であるが、もうちょっと整理した方がよかった思う。

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8月29日

「トプカプ宮殿の至宝展」

 東京都美術館で「トプカプ宮殿の至宝展」を見た。2003年の「トルコ三大文明展」もすごかったが、今回も見ごたえがあった。

 まず、絵画と文書類。花押入りの文書は何度見ても圧倒される。『わたしの名は紅』を読んだばかりだったのでミニアチュールが見たかったが、数点しかなかった。

 ついで、儀式用の武器類。金や銀で作られた斧、棍棒、兜、弓矢、火縄銃で、どれもおそろしく手がこんでいる。お約束の飴玉くらいあるエメラルドを柄にはめこんだ短剣もあった。

 スルタンのターバン飾りが今回の目玉だったが、クラッカーくらいあるエメラルドを中心に羽があしらわれ、派手である。巨大なエメラルドには魔力があるらしく、見ているだけでドキドキしてくる。

 ハレムの品々も充実していた。『アラビアンナイト』に出てきそうな装身具や調度品、楽器、衣服の本物がこれでもか、これでもかと並んでいるのである。スプーンや高下駄のような浴室用サンダル、さらには出産用の椅子まで展示されていた。細く繊細に作られており、華奢な感じがした。出産用の椅子は板が1cmくらいしかなかった。特別な木で作られているのだろうか。

 螺鈿細工の揺籠もあったが、それとは別に、一点しか残っていない黄金貼の揺籠が悠仁親王誕生を祝って特別展示されていた。構造は中央アジアや新疆で使われているものと同じだが、小便用の穴は開いていなかった。

 ガラス製のチェスの駒があったが、円柱を基本にしたモダンなデザインで、宝石がアクセントになっていた。宝石はともかくとして、あれをコピーしたら欲しい人が多いのではないだろうか。

 トルコ特産の薔薇の香水をたきこめた一角があったが、日本でいう薔薇の香りの涼やかさとは対照的な重苦しいまでに甘い香りだった。

 最後の部屋は中国陶磁器のコレクションだが、トルコ風に改造したものが珍らしかった。壺に蓋をつけるくらいならわかるが、花瓶の横腹に穴を開け、蛇の鎌首のような注口をつけて水差にしてあったりするのである。黄金より高価だったといのに、スルタンは豪快である。

8月30日

「シッコ」

 アメリカの健康保険制度をムーア流に料理したドキュメンタリー。SiCKOとは「病人」という意味だそうである。

 最初に健康保険にはいっていない人の悲惨な例をいくつか紹介した後、「でも、この映画は彼らの映画ではない」と断って本篇にはいる。多種多様な実例を軽快なテンポで紹介し皮肉をきかせる手際は健在で、「ボウリング・フォー・コロンバイン」の調子をとりもどしている。

 ムーアがホームページで健康保険に関する情報提供を募集したところ、被害者側の情報だけではなく、保険会社に勤務していた人からの内部告発がかなりあったようだ。

 保険会社にムーアにたれこむぞといって、手術の費用をかちとった人の例で笑わせた後、最初の山場が来る。良心の呵責を感じて辞めた元電話係と元交渉係、査定にあたった医師の三人が顔をさらして出演し、最後は涙で自分のやったことを告白したのだ。アメリカではこういう告白が一番説得力をもつ。

 日本では個人が組織に埋没してしまうので、両親にもとづく内部告発はあまりないらしい。アメリカのいい面である。

 次の山場は9.11の救助活動と後始末にボランティアで参加した人たちの悲惨な現状だ。正規の消防士や警察官が後遺症に悩まされ、十分な補償がなされていない話はこれまでにも伝えられてきたが、ボランティアはまったく補償を受けられずにいて、さらに悲惨だ。災害のボランティアをやる人は、ボランティアで現場にいたという証明をとっておく必要がある。

 気のめいる話がつづいた後、外国の保険制度が紹介される。カナダ、英国、フランスの三ヶ国で、アメリカと比較してはもちろん、日本と比較してさえ天国に見える。多分、誇張と言い落としがあるのだろうが、病気を治すためにカナダにいくアメリカ人がいるのは事実だそうだ。

 最後のクライマックスは9.11の後遺症の満足な治療を受けられない元ボランティアを引き連れ、グアンタナモ基地に上陸かとはらはらさせた後、キューバに乗りこむ場面である。グアンタナモ基地が出てくるのは、グアンタナモ基地に収容されているアルカイダの容疑者は無料で医療が受けられるからだ。

 キューバ政府は一行をあたたかくむかえ、必要な治療を無料でおこなって帰したが、あの部分は眉に唾をつけた方がいいかもしれない。キューバは長らく経済制裁を受けており、医薬品がそんなに豊富とは考えにくいからだ。

 この映画の政治的影響は日本でも大きいと思う。健康保険の負担が来年からさらに増えるからだ。TVで放映されるのは来年の夏だろうが、選挙の行方を左右するくらいのインパクトがあるかもしれない。

公式サイト
8月31日

雑誌のバックナンバーをどうする

 日本文藝家協会やJASRAC、日本漫画家協会、日本写真著作権協会、日本美術家連盟など17の著作権管理団体でつくる「著作権問題を考える創作者団体協議会」は著作物の権利者情報を検索できるポタールサイトを2009年1月開設を目指して構築すると発表した(ITmedia)。三田誠広氏が予告していた著作権者データベースがいよいよ具体化してきたわけである。

 「2009年1月開設を目指して」という言い方になっているのは、間にあうかどうかわからないからだろう。

 同種のデータベースとしては経団連などが開設した Japan Content Showcase がすでに公開されているが、ものものしい同意ボタンをクリックさせるのに、内容はないに等しい。日本図書コード(ISBN番号)を取得した書籍に関しては題名と出版社名、出版年が出てくるが、それ以上の情報はない。

 倒産・廃業した出版社の出版物を考えると、日本図書コードを取得した書籍のデータベースを整備するだけでも大変だが、新聞雑誌に発表された文章となるとデータベース化は絶望的に困難ではないか。出版事情はどんどん厳しくなっており、書籍にならない作品が増えている。文芸批評など書籍になる方がすくないくらいだ。

 雑誌は情報の宝庫だが、その電子化・データベース化は一部を除いて手つかずである。図書館でも雑誌の中味まではデータベースになっていない。

 文芸批評をやっていると過去の雑誌を閲覧することが多いが、掲載誌の巻号が間違っていると大変である。今は大学図書館の書庫にはいって調べることができるが、以前は絶望的だった。

 Googleや Yahoo、マイクロソフトの書籍電子化計画は、日本では大変な抵抗に遭っているが、雑誌の電子化に手をつけたらどうだろうか。雑誌のバックナンバーは現状では死蔵されているだけなので、これを電子化してくれるなら、読者にとってはもちろん、著者にとっても、出版社にとっても、図書館にとっても歓迎すべきことではないか。

「あしたの私のつくり方」

 原作は真戸香の同題の小説、監督は市川準。

 成海璃子の作品をはじめて見たが、恐るべき才能だ。

 成海は眉毛が濃いが、父親に石原良純、母親に石原真理子、兄に柄本時生と、彼女にあわせて眉毛の濃い役者を集めている。彼女にあわせたわけではないのかもしれないが、彼女の存在感がただならぬので、そう見えてしまう。子役の上手さではなく、すでに大女優の風格があるのである。

 寿梨(成海)が小学校六年生の時から映画ははじまる。寿梨は家ではいい子を演じ、学校では中庸の快活な子のふりをして、周囲から浮かないように気を配っている。両親はことごとにいがみあっているが、寿梨のお受験に関してだけは意見が一致しているので、寿梨は受験勉強に身をいれざるをえない。

 寿梨はお受験のために一週間学校を休むが、落ちてしまう。登校してみると、クラス委員で人気者の花田日南子(前田敦子)がシカトされていた。寿梨は日南子に憧れていたが、いじめられる側に回るのが怖いので、シカトにくわわる。一方、それまでいじめられていた少女が寿梨の落ちた私立に合格していた。

 卒業式の後、本を返すために図書室にいくと、日南子がいたので声をかける。日南子は二人だけだと口をきいてくれるんだねと皮肉をいうものの、「本当の自分」と「嘘の自分」があるという話をする。周囲にあわせることに無理を感じていた寿梨は日南子の言葉に強い印象を受ける。

 中学になると、寿梨の両親はいよいよ離婚し、家は処分することになった。寿梨は母親に引きとられ、杉谷姓から大島姓に変わる。日南子の方はいじめられっ子をつづけていた。

 高校に進学してから、寿梨は日南子が田舎に引っ越したという噂を聞く。小学校の卒業の日に聞いた「本当の自分」と「嘘の自分」という話がずっと気になっていた寿梨は日南子の携帯の番号を教えてもらいメールを出すが、「本当の自分」と「嘘の自分」という話をもちだしても、思いだしてもらえない。

 寿梨は正体が知られていないことに気安さを感じ、コトリと名乗って日南子に頻繁にメールを出し、人気者になるコツをレクチャーしはじめる。日南子はコトリのメールの通りにふるまい、新しい学校で人気者になっていく。

 たまたま寿梨は所属の文芸部で小説を書かなければならなくなり、コトリ名義のメールを小説の題材に使うことを思いつく。母の再婚話がもちあがる中、寿梨はコトリという架空の人格にのめりこんでいくが、日南子の方はコトリのアドバイスで作りあげた人気者のキャラを拒否しはじめる……。

 市川準作品は澄まし汁のような淡白な味わいが身上だが、この作品の場合、寿梨の家族に石原良純や石原真理子のような脂ぎった生臭い役者を使ったために、バランスが崩れてしまった。W石原はミスキャストだ。特に、石原真理子はいけない。

 二人の主人公のうち、前田敦子は冴えない。泥臭くて、どう見ても人気者だったことがあるようには見えない。

 しかし、こういう致命的な欠陥があるにもかかわらず、作品そのものはおもしろかった。成海璃子一人の力といってよい。あまりにも早く大人にならなければならなかった少女の痛みがびんびん伝わってくる。終盤、思い出の家がお受験で合格したクラスメートのものになっていたことを知る場面の悲しみは、さりげない表現だけに、よけい痛切である。

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「恋する日曜日 私。恋した」

 BS-iがDocomoの提供で放映している「恋する日曜日」シリーズから生まれた映画だそうである。監督は「ヴァイブレータ」の廣木隆一。

 病院の場面からはじまる。なぎさ(堀北真希)は母を癌で失い、父(若松武史)と二人暮らしをしていたが、母と同じ癌で三ヶ月の余命と宣告される。

 夏休みだったこともあり、なぎさは家出をし、かつて住んでいた銚子を訪れるが、家はすでになく、幼なじみの聡(窪塚俊介)の家に転がりこむ。

 聡の両親は新しい家に移り、古い家には家電製品の回収をやっている聡が一人で暮らしていた。なぎさは聡に対する思いを深めるが、聡は絵里子(高岡早紀)という年上の女性とつきあっていた。絵里子は離婚調停中の夫と別居し、娘のまどかと二人で暮らしていたが、スナックが忙しく、まどかに寂しい思いをさせていた。

 なぎさはまどかと遊んでいるうちに、聡を奪った絵里子から娘を奪ってやろうという気持ちがわきあがってくる。なぎさはまどかを連れて海岸にいき、台風で荒れた海に彼女の手を引いてどんどんはいっていく。堀北の何を考えているかわからない美少女ぶりがこの場面の緊張を高めた。

 一方、絵里子の家ではまどかがいなくなって大騒ぎになっていた。一人でもどったなぎさはなにくわぬ顔でまどか探しを手伝うが、まどかが父のところへいっているかもしれないと思い、別居中の絵里子の夫を訪ね、必死に訴える聡の姿を見せつけられる。

 なぎさがまどかを殺しているかどうかが中盤のサスペンスになるが、実は小屋に隠していただけとわかる。その後がいけない。緊張が緩み、画面ががたがたになってしまったのだ。

 なぎさは絶対に許されないことをしているのに、余命いくばくもないとわかると、あっさり許される。なんと安直な。ラスト、なぎさは他に乗客のいない乗合バスで、バスガイドのまねをするが、まったく意味不明。わけのわからない芝居をさせられている堀北真希が可哀想だった。

 途中まではよかったが、安易に難病ものにしたために破綻したというしかない。

 役者では高岡早紀が姉御の貫禄で、堀北を完全に食っていた。

 映画の内容とは関係ないが、銚子の街の寂びれ方にショックを受けた。地方の疲弊というが、ここまで進んでいたのだ。

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