WHOに鳥インフルエンザ・ウイルスの検体提供を拒否していたインドネシア政府が提供を再開したという(北海道新聞)。
再開自体はよろこぶべきだが、検体提供によって潤うのはワクチンを製造する先進国の製薬会社で、途上国側は利益を得られないと突っ張っていたインドネシアが態度を軟化させた理由が「自国内での感染を抑えられず、提供を迫るWHOに抗しきれなくなった」からだというのだから、よろこんでばかりもいられない。
インドネシアの鳥インフルエンザ罹患者数は突出しており、全世界の半数を占める。しかも、他の国の致死率が60%台なのに対し、インドネシアは80%と高率である。インドネシアだけ高率なのは罹患者を見のがしているからではないかという見方がもっぱらである。本当はもっとたくさんいるのに、デング熱など似た症状と誤認されて、分母が実際より小さくなっている可能性があるのだ(もっとも、それを言えば60%という数字自体が高すぎるという見方もある)。
罹患者の9割以上がジャカルタとその近郊に集中しているというのも怪しい。鳥インフルエンザの検査をしているのは首都圏だけで、地方の感染者は見のがしているということはないだろうか。
インドネシアではデング熱と結核で年間百万人死んでおり、数十人規模の鳥インフルエンザに対する関心が薄いのは仕方がないのかもしれないが、鳥インフルエンザに感染する人間が増えれば増えるほどウィルスは人間に感染しやすい方向に進化していく。どうにかならないものか。
厚生労働省はパンデミックが起きた場合の国内の感染発病率を25% 3200万人、死亡率を2% 64万人と想定し、この数字にもとづいてタミフルなど抗ウィルス薬を備蓄している。
死亡率をスペイン・インフルエンザと同じ2%とした点については低すぎるという批判が専門家から相次いでいるし、オーストラリアのロウイー研究所は全世界1億4200万人、日本で210万人の死者が出ると推計している。
スペイン・インフルエンザは一般のインフルエンザと同様、呼吸器の細胞でしか増殖しない弱毒型だったのに対し、H5N1は全身の細胞で増殖する強毒型であり、感染した鶏は内臓がドロドロにとけて、血の色のゼリーになってしまう。厚労省の担当課長は強毒型のままでは感染爆発がおこらないとする根拠を民主党のヒアリングで次のように答えている(中村てつじ氏のblog)。
H5N1型ウイルスは、強毒性。
強毒性ゆえに、宿主(しゅくしゅ)を殺してしまうため、外に出ず、感染力が強くないと思われる。
エボラ出血熱などはその通りだろうが、インフルエンザが飛沫感染する点を見のがしている。『銃・病原菌・鉄』や『1491』を読めばわかるが、天然痘や麻疹、インフルエンザはアメリカ先住民に対して壊滅的な致死率をもっていたのに感染爆発を起こし、90〜95%を死亡させてしまったのである。濃厚な接触なしで感染する伝染病なら致死率が高くても大流行するのである。
ウィルスがヒト型に変異する際に弱毒化する可能性はあるだろうか?
残念ながら、ないらしいのである。すこし長くなるが、WHOインフルエンザ協力センター長で『新型インフルエンザH5N1』の著者の田代眞人氏の「鳥インフルエンザから新型インフルエンザへ」という講演
から引く。もう一つ,もしも現在の鳥H5N1 型ウイルスが,ヒト型のウイルスに変わったときに,全身感染を起こして50%以上の人を殺すような強い病原性がそのまま引き継がれるのかどうか。これについても,分子レベルで解析をしてみましょう。全身感染を起こすかどうかというのはHA の開裂部位の違いで決まるとの話でした。H5という新しい亜型の抗原性を決める抗原決定部位と,レセプター結合部位と,先ほどの蛋白分解酵素で切れるプロテアーゼ開裂部位,これは全部同じHAという蛋白の上に乗っています。すなわち同じ遺伝子の上に乗っています。そうすると,この抗原決定部位だけを保持して,プロテアーゼで開裂を受ける部位の塩基配列だけが弱毒型に変化することはまず考えられない。H5型という新しい抗原性のHA を持ったウイルスが出てきたら,当然,全身感染を起こす性質はそのままひきずられるだろう。従って,新型ウイルスには,全身感染を起こす性質を持ち込むだろうということが強く心配されます。
H5N1の強毒型という性質はヒト型に変わっても保たれると見た方がいい。
ヒトからヒトへ感染をくりかえしているうちに病原性が弱まるということはないだろうか。長い目で見ると病原体は宿主と共存共栄をはかる方向に進化することが知られている。スペイン・インフルエンザのH1N1ウィルスも、今ではずいぶん丸くなっている。
数十年というスパンで見ればそうだが、数年というスパンでは期待できない。スペイン・インフルエンザの場合、二年半で三回のパンデミックがあったが、第一波より第二波、第二波より第三波とどんどん凶悪化し、死亡率は第三波が一番高かった(日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』)。
H5N1はどうか? ふたたび田代氏の講演から引く。
1999 年から同じH5N1 型の鳥と人のウイルスを横に年代ごとに並べてありますが,これをヒトのマクロファージに感染させたとき,サイトカインやケモカインの産生応答がどうかを見ますと,最近のウイルスはだんだん病原性が強くなっていることがわかります。ですから,現在のウイルスは以前のウイルスに比べて非常に宿主の防御反応を強く誘導する。後から説明します,サイトカインストームを起こすようなウイルスになっているということが強く示唆されます。
H5N1も短期的には凶悪化しているのである。厚労省の死亡率2% 64万人という数字は希望的観測にすぎない。
日本ペンクラブ言論表現委員会でビデ倫問題を話しあった。委員会でのレクチャーをもとにネットで調べてみたが、どうも単なる猥褻基準の問題ではなく警察利権にかかわる根の深い問題のようである。理解している範囲であらましを書いておく。
ビデ倫(日本ビデオ倫理協会)は1972年に設立された自主審査団体で、映倫をモデルにし、警察OBと映画界OBを受けいれて体制をととのえた。ビデ倫未加盟メーカーの作品の摘発が相次いだので卸業界とレンタル業界に支持されるようになり、絶大な影響力をもった。だが、1990年代後半、独立系のメーカーが警察OBをむかえてつぎつぎと独自自主規制団体を作り、ビデ倫よりもゆるい基準で過激な作品を発売するようになると、ビデ倫加盟メーカーは売上を奪われるようになった。レンタル業界も非ビデ倫メーカーの作品を受けいれるようになり、ビデ倫を脱退するメーカーがあいついで加盟メーカーは150社から90社へ急減した。審査作品数も2004年は9千本を越えていたが、昨年は6千本を割りこむまでになった。ネットに無修正映像が氾濫するようになったことも影響しているだろう。
ビデ倫は2004年から審査基準を段階的に見直していたが、2006年8月にはさらに緩和した新基準を打ちだした。その直後にビデ倫の審査を通った2作品が2007年8月警視庁に摘発され、さらにビデ倫までもが猥褻図画頒布幇助容疑で強制捜査を受け、審査員が長期にわたって取調を受ける事態となった(毎日新聞「アダルトDVD:審査本数減り収入減少…危機感で基準緩和」、読売新聞「ワイセツDVD審査甘く…「ビデ倫」幹部逮捕へ」、産経新聞「「新興勢力が」 ビデ倫部長の危機感とは…」によるが、各紙ともみごとに内容が一致している)。
摘発された2作品は新基準の落としどころを模索していた時期に審査されており、ZAKZAKによると、確かに非ビデ倫系メーカーの作品よりも見えていたらしい。
その意味で突出した事例を摘発し、一罰百戒的に暗黙の許容基準を示したと見えなくもないが、それにしてはビデ倫とビデ倫関係者に対する取調はきわめて厳しいものだった。パソコンからメモ帳まであらいざらい押収した上に、延べ150人の関係者に事情聴取をおこなったという。ずっと受けいれていた警察OBの天下りをビデ倫が断るようになったことに対する報復ではないかと囁かれる所以である。
ビデ倫は強制捜査後第三者による有識者会議を組織し、その提言にもとづいて改革をはじめていたが、警視庁は3月1日、審査部統括部長を猥褻図画頒布幇助容疑で逮捕した。
有識者会議の提言は公開されていないが、メーカー出身の理事を減らして学識経験者の理事を増やすとか、審査基準の透明化、乱立している他の自主審査団体との連携をはかるなど、改革の努力は評価していいだろう。
こうした改革が動きだした矢先の逮捕である。警察以外の権威の誕生をつぶそうとしたとか、ビデ倫をふたたび天下り先にしようとしているという見方が出てくるわけである。
そもそもビデオの過激化に歯止めをかけるのであれば、独立系のメーカーが独自審査団体をつくって過激な作品を発売しはじめた時点で歯止めをかけるべきだったろう。それを見のがし自主審査団体の乱立を放置したのだから、警察は天下り先を増やしかっただけではないかと勘ぐりたくなる。こうした経緯を伝えず警察側発表を垂れ流すマスコミも問題である。
人権擁護法案が15日にも提出されるという。もともとは行政機関による人権侵害を防ぐための法案だったらしいが、途中から国民全体を取り締まる法案にすり変わり、人権擁護委員会という機関にほとんど制約のない捜査権をあたえている。
人権擁護委員会は警察よりも強力である。警察は法務大臣の指揮下にあり、家宅捜索をおこなうには裁判所から令状をもらう必要があるが、人権擁護委員会は形式的には法務大臣の管轄下にあるものの、独立して職務をおこなえることが明記されており、裁判所の令状なしに他人の家に立ち入り、関係書類を検査することができる。また、警察は管轄区域以外で捜査をおこなうことはできないが、人権擁護委員は自分が任命された市町村以外でも捜査等がおこなえる。
差別かどうかを決定するのも裁判所ではなく、人権擁護委員会である。そもそも法案には差別の定義が明文化されていない。人権擁護委員会が差別と断定したら、反論の余地はなく、差別にされてしまうのだ。
産經新聞の「人権擁護法案はポストモダン?推進役の東大教授に異論噴出」によると、自民党人権問題調査会が法案推進役である塩野宏「人権擁護推進審議会」元会長を呼んで質したところ、こう答えたというのである。
塩野氏は「法案はポストモダン的なもの」で、人権委員会を「救済制度の至らないところにどこへでも足を伸ばすアメーバ的存在」とたとえ、法案の必要性を強調した。
また、塩野氏は加害者として訴えられた人の救済措置が不十分との指摘には「救済制度をつくることはあまり念頭になかった」と不備を認めた。
アメーバーとはよくぞ言ったものである。まさに人権擁護委員会は不定形なアメーバーのように、好きなところに義足を伸ばしていき、獲物をからめとってくることができる。
しかし、こういう何でもありの権力をポストモダンと呼ぶのはおかしい。 ポストモダンの不定形は相対主義に由来するが、人権擁護委員会の不定形は弱者の言い分を無条件に真実とする絶対主義にもとづく。弱者の言い分は絶対的に正しいから司法を介在させる必要はなく、超法規的な無制約の権力を行使できるわけである。
これでは冤罪だらけになりかねない。しかも、塩野氏は冤罪の救済措置は考えていなかったというのである。
人権擁護委員会の委員には誰が選ばれるのだろうか。任命するのは市町村長だが、法案には「弁護士会及び都道府県人権擁護委員連合会の意見」を聴かなければならないと明記されている。選挙で選ばれた市町村長には委員を選ぶ権限がないのだ。委員の定数は人権擁護委員会自体が決定するから、委員だらけという自治体も出てくるかもしれない。
法案はいたるところで弁護士の関与を定めている。人権問題にかかわるとなると、いわゆる「人権派」弁護士ばかりになってしまうだろう。「人権派」弁護士がいかに偏った考え方をする人種であるかはご存知の通りだ。人権擁護法案は世間から相手にされなくなっている「人権派」弁護士に水戸黄門の印籠をあたえる結果になるだろう。
人権擁護委員会の委員になる資格は当初は「選挙権を有する者」とされていたが、途中から「住民」になっている。日本国籍がなくてもなれるのである。
唖然とすることばかりなので、どうか一度法案を読んでほしい。こんな滅茶苦茶な法案が上程されようとしているなんて、自分の目で読まないとにわかには信じられないだろう。
在日朝鮮人が市町村から根拠のない免税措置を受けていたとか、奈良で二年間出勤しない公務員がいたとか、弱者利権がようやく問題にされるようになったが、人権擁護法案が施行されたら、そうした事例を報道することは不可能になるだろう。取材途中でガサいれされたら、取材源を秘匿することはできなくなる。北朝鮮による拉致問題の追求だって、人権擁護法案があったら、途中で闇に葬られただろう。ようやくジャーナリズムのメスがはいりかけた弱者利権が、再び巨大なタブーになってしまうのである。悪徳政治家が利権を隠蔽するために、弱者利権を利用することだって考えられる。自民党内の推進派はそれを狙っているのではないか。
これだけ危険な法案なのに、なぜ大半のマスコミは避けるのか。そして、自民党の一部議員と共産党以外の国会議員はなぜ黙過しようとしているのか。どうか多くの人がこの問題に関心をもってもらいたい。
ICPFシンポジュウム「情報通信政策の課題」を聴講してきた。今回はNGOとして再出発する記念ことだったが、どの話もおもしろかった。
一人目は「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」のキーマンである中村伊知哉氏で、情報通信法について語った。
情報通信法については昨年10月のICPFセミナーに総務省情報通信政局総合政策課長が登場したが、「世界最先端の制度」と自画自賛に終始し、はしゃぎすぎの印象を受けた。今回の中村伊知哉氏は役者が一枚も二枚も上で、できる人のようである。
情報通信法が言論の自由を脅かすという議論は放送業界の目くらましにすぎないから、本丸であるインフラの問題に切りこむべきだという話を遠回しに語っていた。どこまで本気かわからないが、人が集まり経済が活性化するのなら、言論の自由、大いに結構ということらしい。
二人目はこれまでICPFの代表だった池田信夫氏で、持論の電波利権について吠えた。内容はいつも通りだったが、民主党とからめて、2010年のアナログ停波は不可能と断言した。
停波を強行したら、デジタルもアナログもわからない年金暮らしのお婆さんが、突然、TVを見られなくなってしまう。これこそ弱者切り捨てであり、自民党の脚を引っぱろうとあの手この手を試みている民主党が飛びつかないはずはないというわけだ。
数字的に見ても、アナログのTVはまだ6000万台残っている。日本のTVの販売台数は年間1000万台で、これは買換需要にほぼ等しいという。単純計算でも、全部デジタル対応に置きかわるのに6年かかる計算だ(デジタル→デジタルの買換えもあるから、実際には10年以上かかるだろう)。2010年のアナログ停波など、最初から無理だったのである。
池田氏の電波利権批判はまったくその通りだし、日本も電波のオークションをやるべきだと思うが、まあ無理だろう。
質疑応答で、電波がコマ切れ状態で固定されているのは、古い技術でせこい商売をしている弱小業者が役所にびっしり貼りついているからだという指摘があった。高いところから説教しても効果はなく、弱小業者に数千億のビジネス・チャンスがあることを啓蒙するところからはじめないと、何も変わらないといういうわけだ。そうなればいいとは思うが、無理だろう。
三人目は新しくICPF理事長に就任した林紘一郎氏。この人もすごい。NTT出身だそうだが、技術と法制度と文化の三つに通じていることが言葉のはしばしからうかがえる。オタク的な専門バカはうじゃうじゃいるが、久しぶりに本物の学者を見た。
花粉症の季節がはじまったが、今年は新型インフルエンザの予行演習のつもりでマスクやゴーグルをいろいろ試している。花粉のおかげで、効果の違いがよくわかるのである。マスクのかけ方もずいぶんうまくなった。花粉症がはじめて役立った。
マスクはかけ方で耳かけ方式と後頭部方式があるが、後頭部方式が断然気密性にすぐれているものの、大袈裟すぎて街を歩くには抵抗がある。人がバタバタ死にはじめたらそんなことは言ってはいられないが、パンデミックの初期でもなかなか難しいと思う。
そこで耳かけ方式になるが、耳かけ方式は長方形型と立体型にわかれる。立体型の方が気密性にすぐれているが、鼻と頬の部分で隙間ができやすいという欠点がある。
この欠点を解決した立体型を見つけた。ユニ・チャームの「超立体マスク」である。このマスクは上辺にワイヤーがはいっているので、鼻でできる隙間をかなり塞ぐことができる。気密性は耳かけ方式では最高で、駅の階段をこの超立体マスクをかけて駆け上がると息が苦しくなる。
目のむず痒さで花粉の密度がある程度推定できるが、街を歩いていると花粉の停滞しやすい場所と、そうでない場所があるのがわかる。風に乗って漂ってくる花粉と人間から放出されるウィルスでは多い場所が違ってくるが、花粉の停滞しやすい場所にはウィルスも停滞すると見ていいだろう。
わたしの経験では一番危険なのは地下街である。地下街は外気とは遮断されているはずなのに、花粉がたまっているらしいのである。パンデミックになったら、ウィルスもたまるだろう。地下街にどうしてもいかなければならなくなったら、完全武装しておいた方がいいと思う。
15日、チベットのラサで「暴動」が起きたと報じられた。外国メディアを締めだす中、中国メディアは商店を襲撃したり、自動車をひっくりかえす「暴徒」の姿を映した映像を世界に配信した、温家宝首相はおりから開催中の全人代で「暴動」は「ダライ集団」によって扇動されたものであり、警察が取締にあたったが、銃は一発も発砲していないと発表した。チベット亡命政府は武装警察と軍によって百人以上が殺された声明を発したが、中国側発表では「暴動」の巻添えになって18名が犠牲になっただけだという。
ラサを訪れていた日本人観光客が上海から緊急帰国の途についたが、空港でTVカメラを向けられると「話してはいけないと言われている」とだけ言って、逃げるように飛行機に乗りこんでいった(NHKニュース)。
ところが日本にもどると、現地で撮影した写真やビデオ映像が出てきた(スーパーJチャンネル)。そこにはポタラ宮を睥睨する戦車や、多数の装甲車や兵士が街路を埋め尽くしているさまがはっきり映っている。彼らは銃撃や砲撃の音も聞いたと語っている。やはり中国側の発表はウソだったのである。
日本のマスコミも信用できない。テレビ朝日のスーパーJチャンネルは旅行者が隠し撮りしてきた映像を流したものの、コメンテーターは中国側の発表は「ウソではないものの、自体を小さく小さく見せようとしている」と語っている。ウソであることを暴いた映像を流しながら、なぜ「ウソではないものの」などととりつくろうのか。
毒餃子事件の直後だからまだ報道されている方だし、見出しも「チベット暴動」から「チベット騒乱」に変わりつつあるが、もし毒餃子事件がなかったとしたら無視の状態だったかもしれない。
東京のTV局のおよび腰にくらべると、関西のTV局ははるかに率直である。朝日放送の「ムーブ」3月21日で青山繁晴氏がおこなったチベット問題の解説がネットで評判になっているが(1/3、2/3、3/3)、確かにきわめて説得力がある。
青山氏によれば英米日三ヶ国の情報機関は今回の事件がラサ駐留軍の暴走で起きたという見方で一致しているという。
中国側は「暴動」は3月15日に計画的に起こされたとしているが、実際は3月10日の中国軍の挑発が端緒となっている。今年は1959年のチベット蜂起から49年目にあたり、3月10日に平和的なデモが計画されていたが、北京の中央政府はオリンピックが控えているので、穏便な規制を駐留軍に指示していた。ところが、3月10日当日、デモの列に一台の装甲車が突進していき、参加者を多数死傷させた。ラサ各所で抗議行動がはじまるや成都軍区は最精鋭部隊をラサに派遣し、ついに15日の流血の事態にいたったというのである。
世界的に見て「暴徒」の鎮圧に軍隊が出動するのは珍らしいことではないのに、温家宝首相は全人代で人民解放軍の関与を完全否定している。国際社会に温厚さをアピールしてきた温家宝首相にとっては大変なイメージダウンだが、青山氏によれば温家宝首相が軍隠しをしなければならなかったのは、軍が中央の指示を無視して暴走したからだという。
ここからはわたしの推測であるが、もともと中国はチベット人をなめきっていた。1951年のチベット侵略では、チベット軍というかチベット守備隊は人民解放軍にけちらされ、たった数時間で瓦解している。ダライラマが非暴力路線をつらぬいたために、弱者の最後の武器であるテロがおこなわれることもなく、今回も丸腰で軍に立ち向かった。圧倒的な優位にたつ軍の立場からすれば、オリンピックが近づいてから騒動を起こされるより、今、挑発して叩き潰しておいた方がいいと考えたとしても不思議ではない。数日で鎮圧し、社会主義者得意の残党狩りでチベット男性を大量殺戮すれば、チベット人の混血化もさらに急速に進むだろう。
胡錦濤政権はもともと人民解放軍を掌握しきれておらず、基盤が脆弱だといわれてきた。江沢民派を汚職摘発の名目で一掃しようとしたものの、返り討ちに遭い、今回の全人代では司法ポストをふくむ重要ポストを江沢民派にあけわたしている。
さて、青山氏は最後に恐ろしいことを語った。今の中国は満洲国を作った頃の日本とよく似ているというのである。日本が満洲を押さえようとしたのは地下資源もさることながら、ソ連に対する恐怖心のためだった。日本は満洲鉄道をひき、多くの食いつめた日本人が夢を求めて満洲に入植した。1940年に東京オリンピックを開催しようとしたやさき、日本は軍の暴走をとめられず、中国の内戦に引きずりこまれていった。
この見方が当たっているかどうかはわからない。満洲の漢族は清朝が移住を禁じていた土地にはいりこんだ不法移住者だった。満洲国ができるまでは馬賊の横行する無法地帯だった満洲と、ダライラマが統治していたチベットを同一視するのは問題があるが、今、中国で軍の暴走が起きているのだとすると、中国分裂の引き金になるかもしれない。