エディトリアル   July 2008

加藤弘一 Apr 2008までのエディトリアル
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7月3日

「レンブラントの夜警」

 久々のグリーナウェイ作品である。「グリーナウェイの枕草子」と「81/2の女たち」がもひどかったので封切は見なかったが、意外にも面白かった。封切で見ておくのだった。

 マーティン・フリーマンが下腹の出た裸体をさらす冒頭の部分はだらけていてつまらない。今回もまた駄目かと思ったが、集団肖像画を依頼された夜警の団体のスキャンダルを嗅ぎつけ、真相糾明に動きはじめるあたりから調子が出てきて、どんどん面白くなる。隣家の不幸な姉妹に対する同情と、彼女たちの不条理な運命に対する義憤がレンブラントを衝き動かし、肖像画を使って隠された犯罪を告発しようというところまで暴走する。

 グリーナウェイはこれまで善を冷笑し、喜々として悪と戯れる作品を作ってきた。最高傑作「数に溺れて」や「コックと泥棒、その妻と愛人」の冷え冷えとした形式美は忘れられない。

 そのグリーナウェイがこの映画では正義に目覚め、本気で熱くなっているのだ。周囲が何度も警告するにもかかわらず、スキャンダル暴きに夢中になるレンブラントの姿は無様なほどになまなましい。

 冷笑的なグリーナウェイが消えたわけではない。ヴェネツィアの権力者はレンブラントより一枚上手で、肖像画による告発をさらにとかわしてなかったことにし、ほとぼりがさめてからレンブラントを破産させ、社会的に抹殺してしまう。レンブラントの正義の行動は空振りに終わったのだ。

 今にして思えば、「枕草子」と「81/2の女たち」の失敗の原因は、冷笑的ではいられなくなったのに、冷笑的なスタイルで映画を作りつづけようとした無理にあったのではないか。

 なぜ急に正義に目覚めたのかはわからないけれども、駄目になる直前の傑作「ベイビー・オブ・マコン」のジュリア・オーモンが演じた娼婦の描写に同情心のきざしがあらわれていたかもしれない。グリーナウェイはどうなっていくのだろうか。

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「牡牛座」

 20世紀の政治家四部作のうちの第二作で、レーニンを描いている。ヒトラーを描いた第一作の「モレク神」は未見だが、昭和天皇篇の第三作「太陽」は見ている。

 「太陽」は昭和天皇を愛嬌のある大人子供としてコミカルに描いていたが、レーニンも滑稽化した描き方である。モスクワ郊外のゴールキ村で療養していた最晩年のレーニンで、1923年の夏の設定だろうと思う。

 映画はレーニンが個室で目覚め、パジャマを着ようと悪戦苦闘するところからはじまる。梅毒性の麻痺という説もあるが、体は不自由になっていて、癇癪を起こす。病室の外では医者や大勢のお付きが中の様子をうかがっている。

 レーニンの病状は電話で逐一モスクワに報告されている。主治医はレーニンが死んだら自分は銃殺されると諦めている。

 前半は病棟のドタバタだが、後半では妻のクループスカヤと妹ともに自動車でピクニックに出かける。麻痺で体の不自由なレーニンを車に乗せるのは一仕事だが、そこに突撃取材に来た新聞記者がからむ。護衛の軍人に追い払われても、何度もアタックしてくる。無声映画のスラップスティックを思わせる。

 草原に着くと、草の上に夫婦で寝転がってたわむれる。

 革命家の一日というより、大貴族の療養生活という感じで、優雅なものである。引退後のレーニンは実際こんな日々を送っていたらしい。

 のんびりした映画であるが、どこがおもしろいのかさっぱりわからない。

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