エディトリアル   Sep - Dec 1996

加藤弘一 August 1996までのエディトリアル
Sep02

 吉目木晴彦氏と伊井直行氏が今月10日に発足する文芸家協会電子メディア特別委員会の委員になりました。ディジタル化社会における著作権の行方を議論するための委員会ということですが、著作権の問題以前に、文字コードの問題があるはずです。さいわい、吉目木、伊井の両氏とも文字コード問題の重要性を理解され、特別委員会でも議題にしていくとのことです。
 ほら貝では、電子メディア特別委員会の議論を側面か援護するために、「文字コード問題」の特設ページをもうけ、資料を収集・公開するとともに、文学に関心をもっている方々にアピールしていくことにしました。「文字コード問題」は息が長いので、将来的には独立の専門サイトを開くことになるかもしれませんし、他の方に引き継いでもらうこともあるかと思いますが、当面はほら貝内の1ページとしてやっていきます。
 さて、第一弾の企画として、文字コード問題に現在もっとも包括的な解決法を提案しているTRONプロジェクトのプロジェクト・リーダー、坂村健氏の研究室にお邪魔し、TRONコードの進捗具合と今後の展望、さらに TRONコードを実装した BTRONのデモを見せていただきました。詳しくは「坂村研究室訪問記」を近々掲載しますので、ご覧ください。
 この秋はイベントがいくつかあるので、ディジタル・カメラを買いました。画質はいまいちですが、実におもしろいですね。さっそく、BTRONを動かしている坂村氏を撮影してきました。工夫すれば、ファイル・サイズも小さくおさまりそうなので、これからは多少誌面がにぎやかになると思います。


Sep08

 「群像」創刊50周年記念号が発売されました。51人の批評家にきいた「戦後文学ベスト3」というアンケートがありますが、三島由紀夫の作品は11人があげているのに対し、安部公房をあげたのは佐飛通俊氏と筆者の 2人だけでした。筆者だって、このほら貝をはじめて、安部を読み直していなかったら、選んではいなかったでしょう。これが文芸誌業界の現状です。
 その一方、安部公房のメーリングリストがはじまるなど、読者の側の動きは活発です。業界は忘れても、読者は忘れていなかったのです。作家にとっては、この方がはるかにうれしいでしょうね。
 さて、「群像」50周年を記念してひらかれている「文学の戦後史展」にいってきました。詳しくは別につくったページを見てください。掛け値なしにおもしろかったですよ。
 買ったばかりのディジタル・カメラにさっそく活躍してもらいましたが、画像を貼りこむとページの印象がまったく変わってしまいますね。文字だけでやってきましたが、こんなに威力があるなら、もっと早く使うべきでした。
 ピンボケですが、大江健三郎氏のノーベル賞のメダルも写してきました。安部も三島ももうひとつのところでとれなかったわけですが、現存の受賞者が日本にいるというのはうれしいことです。


Sep10

 「『群像』創刊50周年を感謝する会」にいってきました。歩く文学史とでもいうべき先生方を一網打尽に写真にとれるまたとない機会と勇んで出かけたのですが、とってきた画像をパソコンにすいあげてみると、ちょっと困りました。みなさん本当に楽しそうな顔をしていらっしゃるので、ほら貝の堅い文章にはあわないかもしれません。
 吉目木晴彦氏に「文学界」で紹介いただいたおかげで、文壇の中ではほら貝知名度はかなりあるのですが、中沢けいさんから、「名前が80年代よね。遅れてるんじゃない」ときついお言葉をいただきました。インターネットなんて所詮ほら話の世界というくらいの意味でつけたのですが、センスばかりはどうしようもないですよね。


Sep15

 文字コード問題が急展開をはじめました。9月10日の文芸家協会電子メディア特別委員会では、さいわい委員全員の賛同をえられてということで、9月27日の理事会に島田雅彦委員長から正式の議題として提出されることになったということです。特設ページはその頃までにかっこうをつけようと思っていたのですが、そのほかにも大きな動きがあり、議論の基本的な材料の整備が緊急を要するようになりました。
 この数年のパソコン・ブームのひろがりはすさまじく、文学や思想の世界でもコンピュータに言及するのが流行となりつつありますが、残念なことに幼稚な誤解にもとづく議論がノーチェックで横行しているのが現状です。最近も爆笑ものの本が書評用にまわって来ましたが、ああいう代物が大手ソフトハウスの出版部門からノーチェックで出てしまうんですから、すごいご時世です。


Sep20

 朝日新聞夕刊に 9月17日から三回にわたって、「電子メディアと文芸」という由里幸子記者の署名記事が掲載されました。第一回はCD-ROM、第二回はWWW、第三回は文字コードの問題で、文芸家協会の電子メディア特別委員会の動きが紹介されていました。この記事がきっかけとなって、文字の問題に関心が高まってほしいものです。
 第二回には JALInetとならんでほら貝も紹介されました。由里記者がほら貝のことを知ったのは原稿をまとめる最終段階にはいってからだそうで、ちらっと言及される程度かなと思っていたら、思いがけなく大きなあつかいでした。当初のアウトラインを変更してまでとりあげてくださった由里記者の慧眼に敬意をはらいます。
 ただ、短時間電話でお話ししただけだったので、真意が十分つたわらなかった点が若干あったのは残念です。
 記事ではインターネットは批評を書くうえで必要な材料を探す道具だという点が前面に出ていましたが、ぼくとしては下調べの成果をWWWページで公開し、共有財産にしていくというニュアンスで話したつもりなのです。もともとWWWは知識をシェアしあい、知的共有財産を構築していくための道具としてつくられたもので、一方的に材料をとってくるだけではなく(現状ではとってくるほどの材料はありませんが)、なんらかのかたちで参加した方がおもしろいんと思うんですよ。
 WWWは自己表現の道具だという点が注目されていますが、自分の作品を発表するという形での自己表現もいいけれども、知的共有財産の構築に参加するという自己表現だってあるでしょう。インターネットの理念は、シェアするということだと思います。
 それから、ほら貝に「文芸誌にのらなかった原稿」をのせているなんてあると、ボツになった原稿をのせているのかと誤解する人がいるかもしれませんが、採用にならなかった原稿はSFのコーナーにのせてあるSF論だけということも、一応、断っておきましょう。
 実はあれはすべて学生時代、ワセダミステリクラブ内のサークル誌に発表したもので、10年ほど前にテキスト・ファイルに起こしました。入力する過程で多少はいじりましたが、筒井論だけは 1/3にあたる分量を書き直しています(オリジナル発表後に『虚人たち』や『虚構船団』など重要な作品が出ていたので、そのままの形では筒井論として不十分だった)。
 小松論と筒井論はいくつかの雑誌に掲載を打診したのですが、文芸誌は「SFと現代文学というような総論的なものなら掲載できるが、各論では読者が興味をもたない」とのことでまったく駄目、SFマガジンは「うちの読者には難しすぎる」とのことで、やはり駄目。つまり、文芸誌とSF誌のはざまにはいってしまった原稿なんですね。

 ぼくとしては、出来が悪くで掲載されなかったとは考えていないのですが、出来がいいかわるいかは読んだ人が判断することでしょう。


Oct04

 週刊朝日の林真理子氏との対談で、筒井康隆氏が作品を本にして出すと、10パーセントしか印税がはいらないが、インターネットで課金すれば、全額作家のものだという意味の発言をしていましたが、ちょっと話を単純化しすぎているのではないでしょうか。
 作家が自分で専用線接続をしたサーバーをもち、運営も自分でやるなら、カード会社の手数料と回線料、サーバーの維持費だけですみますが、多分、そうはならないでしょう。サーバーの管理なんていうめんどくさいことは、技術が進歩したとしても、ほとんどの作家にはできるはずがないからです(笑)。おそらく、WWWページの製作から課金までを代行するレンタル・サーバーに作品を寄託する形が主流になるでしょう。
 製作・課金を代行するレンタル・サーバーとは、なんのことはない、WWW上の出版社ですね。紙の出版とちがって、リスクがほとんどなく、在庫をもつ必要もない反面、作品を作家とはちがう目で見てアドバイスしたり、宣伝を打ったり(大いなるアイロニーですが、WWWページのアクセス数をあげるには宣伝が必要なのです)するのは、紙の出版社と同じです。
 インターネット上にメディアの自主検閲がないというのも、甘いと思います。自宅にサーバーをおいて、自分で管理するなら、自分=メディアですから、検閲はありえませんが、WWW出版社に作品を寄託するとなると、WWW出版社には紙の出版社と同様の連帯責任が発生し、たとえば、猥褻とされる文書をWWW上で公開したとすると、作家本人だけでなく、WWW出版社側も猥褻文書公開の責任を問われるからです。
 bekkoameや JustNetの猥褻図画公開事件ではプロバイダ側の責任は問われなかったではないかという疑問をもつ人がいるかもしれませんが、プロバイダは不特定多数の会員にサーバーのスペースを提供しているのに対し、WWW出版社では商売になると判断した特定の作家にだけサーバーを使わせるわけですから、プロバイダとはことなります。

 では、WWW出版社は紙の出版社と並立する形になるかというと、そうはならないでしょう。というのは、WWW出版社は本質的に作家を囲いこむ性質のものだからです。このあたりのことは、先日の朝日新聞の取材でかなりつっこんだ意見を述べたのですが、記事ではもののみごとに省略されていました。詳しくは来月の「群像」に書こうと思うので、興味のある方はそちらをご覧ください。

Oct12

 坂村健氏のプロデュースする東大総合研究博物館の開館記念特別展示「歴史の文字──記載・活字・活版」展がおもしろいと、漢字MLで話題になっていたので、あわてて見てきました。土器に書かれた文字、木簡、巻物になった仏典、平家物語の写本、木活字とその印影、銅活字ときて、伊能忠敬の日本全図、明治の荷札と東大所蔵の資料がならび、最後の部屋には活版印刷所が再現され、植字台や活版印刷機、活字鋳造機の実物が展示されていました。印刷という地味な分野ですが、本物をならべただけのことはあって、とても見ごたえのある展示でした。
 こういう博物館ができたということそのものがまだ知られていないせいか、土曜日でも入館者はそれほど多くははなく、楽に見ることができました。残念ながらこの展示は13日までですが、16日からの常設展の後、11月12日からは「日本植物研究の歴史をさかのぼる:小石川植物園三百年の歩み」という特別展がはじまるということです。いずれも無料ですから、時間のある方はご覧になるといいですね。
 石川淳小伝に孔子廟の写真を貼りこもうと思っていたので、帰りに湯島聖堂によりました。
 カメラに広角モードがないので、あまりうまくは撮れなかったのですが、孔子を祀った大成殿の横に特設舞台がつくられ、獅子頭のようなものが飾られていました。孔子廟で秋祭りをやるはずはなく、準備している人たちも、人相風体、身ごなしからいってガテン系ではなく、小劇場系のようです。近づいてみると、はたしてク・ナウカという劇団が「天主物語」という芝居の野外上演を準備しているところでした。

 これもなにかの縁と、その場でチケットをもとめたのですが、責任者の人はどうも見覚えのある顔です。席の確認のために携帯電話で「宮城ですが」と喋っているのを聞き、あの宮城聰氏かと思いだしました。
 もう十年くらい前ですが、宮城氏がジャンジャンで上演した「ゼウスガーデン衰亡史」という二人芝居を見て、衝撃をうけました。アンコールワットの栄枯盛衰と日本の未来図をないまぜにした物語を、宮城氏はベトナムのボートピープルを思わせる風貌で演じきり、原作の小説をはるかに越える濃厚な味わいでした。あの時も偶然がかさなりあい、たまたま見ることになったのですが、演劇の神様に気にいられているのか、いい舞台というのは、不思議と見るめぐりあわせになることが多いです。多分、「天主物語」もすばらしいにちがいないと、今からわくわくしています。


Oct15

 ク・ナウカの「天主物語」を見ました。野外上演というと、新宿花園神社でやった蜷川幸雄の「王女メディア」が記憶に焼きついていますが、御茶ノ水駅から5分の場所とは思えない森閑とした空間で演じられる鏡花の芝居は、端正な古典美をつくりだしていて、絶品でした(詳しくは来月の芝居日録に書きます)。こういう傑作にめぐりあえた幸運に感謝しています。
 雨天決行とちらしにありましたが、あの華麗な衣装で、昨日の雨の中で上演したのでしょうか。役者も大変ですが、昨日見た人も大変だったと思います。しかし、見るだけの価値はあります。
 実はこの芝居は、利賀村でこの春に一夜だけ演じられたもので、都内では初上演だそうです。東京で再演されるかどうかわかりませんし、湯島聖堂で上演するのも難しいでしょうから、演劇ファンの方はこの機会に見ておいた方がいいですね。
 公演は20日までで、毎夕7時半から。当日券で多分はいれると思いますが、ク・ナウカの事務局に問い合わせてからいった方がいいでしょう(Tel:3779-7653)。



Oct23

 講談社文芸文庫の生みの親であり、12年にわたって育ててこられた橋中雄二氏が定年で退職されたそうです。橋中氏は元「群像」の編集長で、在職中に村上龍、村上春樹を世にだすとともに、長らく中断していた埴谷雄高の『死霊』の執筆再開のきっかけをつくるなど、数々の事蹟をあげられ、「群像」に一時代を築かれました。ぼく自身は橋中氏が編集長を退かれた年に新人賞をいただいたので、直接の縁はないのですが、ほら貝創刊にあたっては、石川淳ページのインタビューをお願いしたことがあります。
 今、文芸書の出版は本当に難しいところに来ていて、重要な作品がどんどん絶版になる一方、文庫にならないで消えていく作品も多いのです。日本の公共図書館は住民からの要望の多いベストセラー中心で、まったく頼りにならないのですから、文学をもとめる者には絶望的な状況がつづいています。文芸文庫は定価は高いものの、入手不可能な作品を読めるようにしてくれた点で、本当にありがたい存在で、このあたりのことは、「E−mailから」にも書きましたが、その文芸文庫ですら、大きな書店でも、全部そろっているというわけにはいきません。
 そんな中で、池袋西口の立教通りにある「文庫BOX」という文庫専門の新刊書店は、文芸文庫をはじめとする日本で入手可能な文庫をすべて陳列しているありがたい店なのですが、ここのご主人にうかがったところによると、橋中氏は同店に何度かあいさつにみえたということです。文庫BOXは特別かもしれませんが、大手出版社の部長職の人が営業めいたことまでやるのかと驚いたことがあります。
 幸い、橋中氏退職後は、前「群像」編集長の渡辺勝夫氏が文芸文庫を引き継がれ、絶版を出さないという方針を堅持するということなので、まずは一安心というところです。


Nov06

 日曜日にディスク・クラッシュを起こしてしまいました。シェアウェアの某通信ソフトを試用し、気にいらなかったので、付属のアンインストーラーで削除したところ、データをおいてある Dドライブがまるごと消えてしまったのです。
 マクロを試すために、マクロファイルのディレクトリを Dドライブのルートに変更していたのが原因です。まさかファイルだけでなく、ディレクトリまで削除してしまうとは。デフォルトの設定をいじったのがいけないといわれればその通りですが、自分の作ったソフトを削除するような奴はどうなってもいいとでも思っているのかと、文句の一つもいいたくなります。
 あわててファイル復活機能を売り物にしている某ユーティリティを買ってきたのですが、マニュアルが滅茶苦茶。日本語になっていないのは、この種のマニュアルではしかたがないとしても、ディレクトリの復活作業はDosモードでおこなうのに、マニュアルの該当箇所にはマウスをクリックしろとか、実際にはありえない操作が書いてありました。多分、実物を見ずに翻訳したのでしょうね。英文マニュアルを同梱してほしいところです。
 Dドライブが真っ白になっていると気がつくのが遅れたので(Windowsになってから、ディスク状況がブラックボックス化していますが、こういう時は恐ろしいことになります)、ディレクトリの下のファイルはほぼ全滅状態でした(チェーンをたどって、一つだけ救いましたが、二つ目以降を救う気力などありません)。皮肉なことに、ルートにおいてあった問題のシェアウェアのマクロはそっくり復活できましたが。
 原稿は二重三重にバックアップをとってあったのですが、メールは「知子の情報」の知子ファイルというバイナリになっていたので7月以降が全滅、「文字コード問題」のために半年かけて収集した資料も雲散霧消しました。
 ほら貝のファイルは、一ヶ月前のバックアップしかなかったので、サーバーからまとめてダウンロードしました。ちょうど一年前、ハードディスクからサーバーへアップロードしたのを思いだし、一年たったんだなと感慨深いものがありました。

 こういう感慨にはもう二度とふけりたくないものです。


Nov11

 本日でほら貝は創刊一周年をむかえました。アクセスカウンターは5760を記録しましたが、カウントしはじめたのは一ヶ月以上たった12月27日だったので、多分、6000は越えているでしょう。
 4月までは月 200アクセス程度だったのが、徐々に増え、現在は月 1000アクセスを越えるまでになりました。個人サイトでも一日で 1000を越えるところはざらですから、多いとはいえませんが、硬い内容からすると、健闘している方かなと思います。
 一周年の企画はいくつか考えていたのですが、「文字コード問題」に火がついてしまい、真能ねりさんのインタビューしか実現しませんでした。原稿はすでにできあがっていて、現在、ねりさんのチェック待ちですから、今週中にはアップロードできるでしょう。
 一周年のアンケートをとっているのですが、現在、9通しか回答がとどいていません。今後の参考にしたいので、リピーターの方はごめんどうでも回答をお願いします。
 今のところ、回答で多いのは、「作家と語る」を更新してほしいという要望です。「文字コード問題」のページに書いている「早わかり」が一段落したら、再開するつもりです。
 ページの運営費は個人でまかなっているのかという質問がありましたが、運営費というほどものはかかっていません。ほら貝にかけている直接経費は、安かろう悪かろうの劣悪三流プロバイダにはらっている一ヶ月1700円の接続料と、更新や文芸ホットリストのための電話料、それからディジタルカメラを買ったくらいでしょうか。カメラの費用を全額いれても、この一年間で 10万円はかかっていないでしょう。
 もちろん、10万円ですんだのは、ノーギャラでインタビューに応じてくださった作家や出版社のみなさんの協力のおかげなのですが、インターネットが安上がりなメディアであることは確かです。
 というわけで、二年目もよろしくお願いします。


Nov28

 アスキーから来春発売される、文学と電子メディアをめぐる本の鼎談に出席してきました。この本は二部構成で、第一部は島田雅彦氏、笠井潔氏、井上夢人氏の小説家三氏による出版の未来に関するシビアな議論、第二部は島田氏を中心に、翻訳家の立場から柳瀬尚紀氏、批評家の立場からぼくがくわわって、多角的な観点から議論をおこなうというものです。
 本当は文芸書を多く手がけている出版社がまっさきにとりあげるべき企画だと思うのですが、電子出版がタブーになっているとか以前に、問題意識すらもっていないのが現状です。日本のコンピュータ・シーンを牽引してきたアスキーが文学の将来に目を向けてくれたことに感謝したいと思います。
 風邪がなおりきらず、咳ののこっている状態で出たので、島田・柳瀬両氏やスタッフの方々にご迷惑をおかけしてしまいましたが、島田氏の好リードと柳瀬氏のジョイスフルなお話で座はおおいに盛りあがりました。問題提起もさることながら、おもしろい本になると思います。
 柳瀬氏といえばジョイス研究の第一人者ですが、案の定というか、日本の英文学会では、柳瀬訳の『フィネガンズ・ウェイク』と、岩波新書の『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』に発表された『ユリシーズ』第12章は犬の視点から書かれているという画期的な指摘は、言及することすらタブーになっているとのことです。批判するならともかく、完全無視では学問の発展どころではないですが、似たような話はたくさんあるでしょう。日本はいたるところ序列支配の国で、序列からはずれた業績はなかったことにされてしまうのが常でしたから。
 インターネットに日本を変える力があるかどうかは、こうした序列支配に風穴をあけることができるかどうかにかかっているでしょう。そのためには、読者だけではなく、若手研究者も巻きこんだ議論の場を設定していくことだと思います。
 集英社から『ユリシーズ』の新訳が刊行中ですが、翻訳にまだ問題があるという指摘も聞きました。同じ訳者グループによって30年前に河出版の『ユリシーズ』が出ていましたが、この訳はそれ以前の訳とは違い、曲がりなりにも読み通せたことは確かで、ぼく自身は先駆的な仕事だと思っていました。30年ぶりに同じメンバーで訳し直すというので、さすがと思っていたのですが、ジョイスは一筋縄ではいかないということでしょうか。
 最近発売になった集英社版『ユリシーズ』第二巻は、柳瀬訳のある問題の第12章をふくんでいるので、近いうちにじっくり読み比べてみたいと思っています。


Dec14

 ご協力いただいた一周年記念アンケートを集計してみました。回答総数は17で(アンケート期間中に届いたのは14)、11月の総アクセス数1049とくらべても、あまり多くありませんでしたが、一応の傾向は出ているようです。

 性別
  男性 ############
  女性 #####

 年齢
  10代 #
  20代 #######
  30代 ######
  40代 ##
  50代
  不明 #

 どこでほら貝を知りましたか?
  「オーディン」などのサーチエンジン   ##
  「Yahoo」などの企業系リンクページ    #####
  「大森望のSFページ」などの個人ページ  ##
  「西角演劇ページ」などの演劇サイト
  雑誌・書籍の紹介            #
  友人から聞いて             ##
  その他                 ##

 いつほら貝を知りましたか?
  95年中  #
   1〜 4月 ###
   5〜 8月 ##########
   9〜11月 ###

 何回アクセスしましたか?
  はじめて
   2〜 5回 ###
   6〜10回 #####
  11回以上 #########

「どのページの充実を一番望みますか?」という設問に対しては、「安部公房を読む」と「作家と語る」が 4票づつで、「批評」が 3票、「文芸ホットリスト」が 2票、「石川淳を読む」、「読書日記」、「サロン」、「文字コード問題」は 1票づづでした。
 Yahooなどのリンク専門ページで知った方が一番多く、雑誌や書籍などの活字メディアで知った方がすくないというのも、おもしろいですね。ほら貝の読者の方は、インターネットを使い慣れている方が多いのでしょうか。
 最後に率直なご意見を書いていただいたところ、「第三の新人」についてのページを作ってほしいという要望がありましたが、「第三の新人」は守備範囲外なので、ちょっと無理です。某作家のファン・ページをリンクしないのは、某作家が嫌いだからなのかというお叱りをいただきました。某作家自体は評価しているのですが、ページの作り方がべたべたして気持ち悪いので、ご指摘のページについてはリンクを見あわせています。
 というしだいで、ご協力、ありがとうございました。来年もアンケートをとりますので、今回、回答をいただけなかった方もよろしくお願いします。

Copyright 1996 Kato Koiti
This page was created on Sep02 1996.
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