死者たちの贈り物

加藤弘一 1 / 2 / 3

1.

 村上春樹の小説を読んでいると、ときどき、お伽の国にまよいこんだような錯覚におちいる。そこには、いるかホテルというホテルがたっていたり、いわしという名の猫が歩いていたり、らば号とか、かもしか号という名の自動車が走っていたりする。金星や土星出身の友達をもつことも、ごくありふれたことのようである。川本三郎氏がいみじくも言いあてたように、村上の小説の中では「ディズニーランドのメリーゴーラウンドが回りつづけている」のである。

 しかし、イメージの幼児志向がきわだったものだとはいえ、主人公の「僕」まで幼児的人格の持主だとか、大人になりきれぬ人間だとか決めつける必要はない。いや、むしろ逆だろう。精神的に乳ばなれできぬ人間は寂しがり屋で、自己評価がすこぶる甘く、自分だけが目立とうとし、こまったことがもちあがると何でも他人のせいにするのがつねだが、その点、「僕」はストイックそのものだし、他人をせめる暇があれば黙ってカバーし、自己紹介のときは「退屈」、「平凡」、「地味」、「山羊座のA型」を決り文句にしている。しかも、黒幕の秘書氏とわたりあうくだりなどを読むと、本当はしたたかな生活者だったかと再認識したりする。動物クッキーのたとえを口にするからといって、当人まで幼稚なわけではないのだ。

 そして、もう一つ。『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』の三部作をつうじて、「僕」がきわめて紳士的で、終始、女性の保護者としてふるまったこともわすれないようにしょう。離婚した妻は、「誰とでも寝る女の子」の話をした「僕」にむかって、「でもあなたとは別だったんでしょ?」と念をおす。あなたは相手の事情につけこんだり、甘えたりするタイプではないというわけだ。実際は、週に一度の後見役として、すこぶる紳士的に、「僕」も「誰とでも寝る女の子」と寝ていたわけだが、男の生々しさをふりまわさないという限りでは、彼女の直感もまんざらまちがってはいない。「僕」はガールフレンドとつきあうとき、対等のレベルでつきあうのではなく、いつも一段高い位置から彼女たちをつつみこもうとする。『ピンボール』では双子の女の子をやしない、マナーをおしえたり、文字どおり、親がわりになっているほどだ。村上の小説がお伽の国か遊園地だとしても、「僕」はそこで遊ぶ子供ではなく、子供を見守る孤独な保護者なのである。

 この国の小説の伝統に照らすなら、このような青年の造形は異例のことに属するのではないか。漱石、志賀直哉、谷崎潤一郎から小島信夫にいたるまで、日本の小説の主人公は恋人や妻を保護者──母親代理にしたてようと徒労をかさねてきた。ラカンは快を与える存在を「母親」、掟を与える(快を制限する)存在を父親と定義したが、彼らは安定した自己を得るために、まったき「母親」である女性を求め、それを阻む親、家、世間、異国人と闘ったのである。この国の近代文学史は反抗する息子たちの歴史であり、すくなとも表向きには、象徴的な父親殺しの歴史だったといって過言ではない。

 ところが、村上の主人公は節度ある保護者としてふるまうことによって、こうした情念の系譜からやすやすと身をかわし、安定した自己を得ているのである。村上の小説がきわだって見えるとすれば、それはこの国の小説の歴史がいかに反抗する息子たちの横行にまかされていたかを意味するにすぎない。もしこんな言い方がお望みなら、村上の文学は親殺しの文学ではなく、親代りの文学なのである。

 なぜこんなことが可能だったのか?

 ハードボイルド小説が有力な模範として作用したことは否定できないだろう。フィリップ・マーローの台詞ではないが、ハードボイルドの探偵たちは「たくましさ」と「やさしさ」を信条としてきた。「たくましさ」についてはいうまでもない。「やさしさ」とはどのようなやさしさなのか? それは女に甘いということとは正反対の概念である。女性が重要な存在であることは事実だが、過度の賛美、過度の愛情表現は最も否まれるところだ。ハードボイルド的「やさしさ」とは、父のごとき節度あるやさしさでなくてはならない。ストイシズムに裏打ちされたやさしさでなくてはならない。

 「やさしさ」に新生面を開いた作品として、ロバート・B・パーカーの異色作、『初秋』がある。私立探偵スペンサーは離婚した両親の間で争いの道具にされ、なかば生きる気力を失ったポール少年をあずかることになる。スペンサーは少年をたちなおらせるために、朝寝坊の彼をベッドから引きずりだし、ジョギングを教え、料理を仕こみ、ついには二人で小屋造りをはじめる。自分が父から教わったことを少年に伝えようというわけだ。スペンサーは「掟」の授与者としての「父親」(ラカン)の役割をはたす。

 もちろん、ここまであからさまに父親の使命をうちだした作品は異例だが、父親=探偵という固定観念がハードボイルド小説一般に通奏低音のようにひびいていることは言うまでもない。パーカーは作家活動のかたわら、ハードボイルドの研究者として大学で教鞭を取っているが、しばしば伝統に潜在していた要素を意識的に使うので、彼の小説はハードボイルドのパロディのおもむきをもつことが少なくないのである。

 だが、ハードボイルド小説の探偵が「ぼく」の有力な源流であるにしても、相違点は多々ある。一つには、探偵たちがあくまで父性のイメージで女性を保護するのに対し、村上の主人公には父の面影が見られず、伝えるべき掟ももっていないということがある。「僕」は快をあたえる存在として、きわめて「母親」的なのである。そして、反面、女性に甘えることもまったくない。フィリップ・マーローやリュウ・アーチャーですら、時と場合によっては、才気あふれる美しい女性パートナーの息子になって、だだをこねることがあるというのに。

 「僕」の信条は誰にも迷惑をかけないことだ。何かを踏みつけにするくらいなら、何もほしがらない方がよい──「僕」は後に妻になり離婚する女性に、そう語っている。

 彼女は首を振った。
「それで、一生そんな風にやっていくつもり?」
「おそらくね。誰にも迷惑をかけずに済む」
「本当にそう思うんなら」と彼女は言った。
「靴箱の中で生きればいいわ」
 素敵な意見だった。(『1973年のピンボール』

 こういう夫を持って、彼女は自分は社会的不適応者で、夫こそ社会的適応者ではないかという疑念におそわれる。妻にとって、とくに甘えの推奨されるこの国の妻にとって、これくらい息のつまる夫もいないだろう。

 妻に裏切られても、「僕」は動じない。

 彼女が僕の友人と長いあいだ定期的に寝ていて、ある日彼のところに転がりこんでしまったとしても、それもやはりたいした問題ではなかった。そういうことは十分に起こり得ることであり、そしてしばしば現実に起こることであって、彼女がそうなってしまったとしても、何かしら特別なことが起こったという風には僕にはどうしても思えなかった。結局のところ、それは彼女自身の問題なのだ。(『羊をめぐる冒険』

別れるかどうかは向うの問題で、自分には関係ないというのである。「僕」には妻と別れなければならない理由も、いっしょにいなければならない理由もない。そう言いきれるほど、妻とは希薄な関係なのである。ここには甘えもなければ、嫉妬もなく、そうした生々しい感情の土壌となる男女相互の依存関係さえない。

 これが単なるポーズや、レトリックでないことは、次のようなすれちがったやりとりにあきらかだ。

 それは彼女が離婚したいと言い出した六月の日曜日の午後で、僕は缶ビールのプルリングを指にはめて遊んでいた。
「どちらでもいいということ?」と彼女は訊ねた。とてもゆっくりとしたしゃべり方だった。
「どちらでもいいわけじゃない」と僕は言った。「君自身の問題だって言ってるだけさ」
「本当のことを言えば、あなたと別れたくないわ」としばらくあとで彼女は言った。
「じゃあ別れなきゃいいさ」と僕は言った。
「でも、あなたと一緒にいてももうどこにも行けないのよ」(同)

 おそらく、「僕」は妻と一つ屋根の下で暮らしながら、「靴箱」の中にとじこもったままだったのだ。彼女にしてみれば、どうしてもその「靴箱」から出てきてほしかった。せめて自分ぐらいには迷惑をかけるか、だだっ子のように甘えてほしかった。あるいは父親のように叱ってほしかったのかもしれない。ところが、「僕」は「靴箱」の中に閉じこもったまま、母のような曖昧な愛情(無制限のゆるしを含めて)をおよぼすだけだった。それも、母のような愛情を夫にあたえたくてたまらない彼女に向かって。「僕」は妻は「スリップ一枚残さ」ないで去ったというが、「僕」の方だって、それに劣らない冷たい接し方をしていたはずだ。むしろ、これでは逃げられるのが当然であって、おくればせに慨嘆するように、「僕は誰とも結婚するべきではなかった」のである。

 もちろん、そうしたことはあからさまに書かれてはいない。文章は「僕」の視点から──お伽の国の孤独な保護者の視点から──書かれているからだ。村上春樹に特有の緩叙法的文体は、視点人物の位置から結果したものなのである。

2.

 「僕」は甘えに対してすこぶる禁欲的だが、しかし、村上の小説においては、甘えは抑圧されているわけでもなければ、まして排除されているわけでもない。むしろ、村上の文章が最も生彩をはなつのは、甘えの雰囲気を記述するときなのである。

 それは、「ゆっくりと」、「そっと」という副詞の多用において示されている。

 店を出て、ぼくたちは不思議なくらい鮮明な夕暮の中を、静かな倉庫街に沿ってゆっくりと歩いた。並んで歩くと、彼女の髪のヘヤー・リンスの匂いが微かに感じられる。柳の葉を揺らせる風は、ほんの少しだけれど夏の終りを思わせた。しばらく歩いてから、彼女は指が5本ついた方の手で僕の手を握った。(『風の歌を聴け』

 「君が欲しいな」と僕は言った。
 「いいわよ」と彼女は言って微笑んだ。
 我々はコートのポケットに手をつっこんだままアパートまでゆっくりと歩いた。(『羊をめぐる冒険』)

 彼女は笑って猫を抱きあげ、そっと床に下ろした。「抱いて」
 我々はソファーの上で抱きあった。古道具屋で買いこんできた年代もののソファーは布地に顔を近づけると古い時代の匂いがした。彼女の柔らかい体が、そんな匂いと溶けあっていた。それはぼんやりとした記憶のように優しく、暖かかった。僕は指で彼女の髪をそっと払い、耳に唇をつけた。世界が微かに震えた。小さな、本当に小さな世界だった。そこでは時間がおだやかな風のように流れていた。(同)

「ゆっくりと」、「そっと」という緩慢さが静けさを広げ、静けさが古い記憶を呼びさましていく。すべては甘いまどろみの中に溶けいってしまう。それは、一にして全の世界だ。

 ロラン・バルトは『断章──恋の言葉』のある箇所で、こう書いている。

 性交(想像界から何と遠い響きであることか)とは別の、もうひとつの抱擁がある。身じろぎもせず抱きあう抱擁だ。われわれはうっとりし、魔法にかけられ、眠ることなくまどろんで、睡けのもたらす幼い官能にひたる。それはお伽話が語りはじめられる瞬間、声がわたしをとらえ陶然とさせる瞬間だ。それは母への回帰だ(「あなたの腕のやさしい静けさの中で」、デュパルクが曲をつけた詩にそうある)。この更新されたインセストの中で、すべては宙に吊られる──時も、掟も、禁止も。何ものも尽きず、何ものも求められない。すべての衝動の停止。完全に充足されたかに思われるから。(「あなたの腕のやさしい静けさの中で」

 このような想像界の支配、「更新されたインセスト」への沈潜こそ、村上的な「ゆっくりと」、「そっと」の目ざすところだろう。時も、掟も、禁止も宙づりにされた、快一色の小さな小さな王国。そこへの回帰、退行が、お伽の国めいたイメッジャリーともども、村上春樹の叙述が向うところなのである。

 おそらく、恋愛の甘美なことばは、互いに母になり子になりあうという循環、保護し保護され、甘え甘えられるという循環のうちにのみつむぎだされるものなのだ。恋する者たちの空想はこの無際限の相互依存性、「更新されたインセスト」を軸に、ゆるやかな回転をつづけるのである。

 だが、村上のディスクールにあっては、この回転はつねに阻まれ、減速される。想念の輪の中に、きょう雑物が投げこまれるからだ。最初の引例では、「指が5本ついた方の手」と、彼女の手の障害を暗に示す表現が唐突にあらわれる。「僕」と耳の少女の「小さな、本当に小さな世界」にも目に見えないほどの亀裂がはいり、そこから現実の時間が「おだやかな風」のように吹きこむ。二人の交わりは即物的に「性交」と呼ばれ(バルトなら顔をしかめるだろう)、想念の回転はきしみをあげて、甘え甘えられるという循環は阻害されざるをえない。宙づりにされていた掟・時間・禁止がカタカタと音をたてはじめ、現実の圧力がさらに亀裂をひろげる。「僕」にとって、「更新されたインセスト」という回転軸はいつ折れるともしれぬ、たよりない代物なのである。

 なぜか?

 保護されること、依存することの不確かさのゆえだ。「僕」は少年時代の精神科医との交渉にふれて、その不確かさを語っている。両親は「僕」の無口な性格を心配して、精神科医のもとにかよわせることにしたが、精神科医は「文明とは伝達である」と述べはじめる。

 文明とは伝達である、と彼は言った。もし何かを表現できないなら、それは存在しないのも同じだ。いいかい、ゼロだ。もし君のお腹が空いていたとするね。君は「お腹がすいています」と一言しゃべればいい。僕は君にクッキーをあげる。食べていいよ。(僕はクッキーをひとつつまんだ。)君が何も言わないとクッキーは無い。(医者は意地悪そうにクッキーの皿をテーブルの下に隠した。)ゼロだ。わかるね? 君はしゃべりたくない。しかしお腹は空いた。そこで君は言葉を使わずにそれを表現したい。ゼスチュア・ゲームだ。やってごらん。
 僕はお腹を押さえて苦しそうな顔をした。医者は笑った。それじゃ消化不良だ。(『風の歌を聴け』

 ここに語られているのは、笑いを威嚇にした容赦のない教育である。三浦雅士氏はこの一節を認識論の文脈でとらえ、「この微笑ましい対話の背後には、自分の気持ちを他者に伝えることができず、また他者の気持ちを読み取ることができないという絶望的な状況が横たわっている」と述べている(「村上春樹とこの時代の倫理」)が、それはあまりにも知性に偏した見方である。わすれてはならないのは、これが対等な人間どうしの対話ではなく、大人と子供・医者と患者という二重に保護=依存的な関係における対話だということだ。ゲームとは言い条、「僕」は一方的に食べ物をこい、精神科医は一方的に笑いのめすのである。ここには保護し保護される、依存し依存されるというミクロ政治学的な力学三浦氏の論ずるような他者理解の問題は、この力学を捨象したところに成立する抽象論似すぎない。問題は他人の心が理解できるかどうかということではなく、ことばという文明の「掟」が子供にとって不可避だというところにある。

 精神科医はことさら「意地悪」な顔でクッキーをかくし、「意地悪」な眼で「僕」のゼスチュアーを曲解する。「僕」は他者の悪意というもの、依存し保護された状態の不確かさに直面させられる。しかし、このような悪意、意地の悪さを経過しないことには、子供を全にして一のまどろみから引きずり出し、「掟」を教えこむことはできないのだ。子供にしてみれば、本当はことばなどおぼえないですむなら、それにこしたことはないのである。「僕」はおくればせながら精神科医にことば=「掟」をたたきこまれ、「幼い官能性」(バルト)から乳ばなれさせられたのである。

 では、「僕」は何を得たのか? 得たのは、もちろん、ことばを含めた「掟」と、文明の一員としての資格である。あるいは容赦なく流れる時間であり、あるいは禁止である。そして、「掟」、時間、禁止によって構築された他者たちの世界である。

 無時間的な「幼い官能性」の充足にくらべて、他者たちの世界がもろく、不確かであることを、「僕」は夥しい死者によって思い知る。さまざまな人々が「僕」の前にあらわれたと見る間に死んでいく。

 最も大きな意味を持つ死者、いや、「僕」にとって最初の死者は、直子という名の自殺した恋人である。彼女がいかに大きな存在かは、三部作を通じてあらわれる七人の女性のうち、というより、すべての登場人物のうち、綽名や番号(208、209)、機能名(「誰とでも寝る女の子」)等々でない、名前らしい名前をもった唯一の人物であることでもあきらかだ。それだけではない。三部作にはいくつもの日付が出てくるが、それはすべて彼女が自殺した六九年を起点に数えられているのである。七〇年は六九年を「去年」とする年であり、七三年は六九年の「四年後」、八二年は六九年を「十三年前」と見る年なのである。

 日付だけではない。時間感覚自体、彼女の死を境に、異様な様相を見せはじめているのだ。

 死んだ人間について語ることはひどくむずかしいことだが、若くして死んだ女について語ることはもっとむずかしい。死んでしまったことによって、彼女たちは永遠に若いからだ。
 それに反して生き残った僕たちは一年ごと、一月ごと、一日ごとに齢を取っていく。時々僕は自分が一時間ごとに齢を取っていくような気さえする。そして恐ろしいことに、それは真実なのだ。(『風の歌を聴け』

 時を経過するとは、成長でも成熟でもなく、死へ向って一歩を進めること、衰弱と腐敗への過程だというのである。これはまさにフィッツジェラルド的な感覚だが(鼠は「ひびわれ」そのままの言葉使いで言っている。「ねえジェイ、人間はみんな腐っていく。そうだろ?」と)、村上にとっても「死」は「内側の打撃」なのである。直子の死はこの時間感覚、「内側の打撃」を自覚させる契機だったのである。他の死者たちが「僕」の視界にはいってくるのは、この時間感覚を介した限りにおいてだ。

 直子が十七になった秋、職人は電車に轢かれて死んだ。土砂降りの雨と冷や酒と難聴のせいだった。死体は何千という肉片となってあたりの野原に飛び散り、それをバケツ五杯分回収するあいだ七人の警官が先端に鈎のついた長い棒で腹を減らせた野犬の群を追い払い続けねばならなかった。もっともバケツ一杯分ばかりの肉片は川に落ちて池に流れこみ、魚の餌となった。

 職人の死体は流星雨か何かのように「僕」の視野を横切っていく。「僕」は筆致は自然現象を記述するような冷ややかさで一貫しているが、といって宗教的に突き抜けた地点で書いているわけではない。「僕」の口調にはかすかに涜聖のひびきが含まれている。死体をことさら物あつかいすることに、「僕」はある種の解放感を味わっているのだ。死の厳粛さを冒涜すること、それは直子の死や自分自身の死もまた他愛のないものであり、単なる自然現象にすぎないと見なすこと通じる。

 このことと「僕」が一瞬の空白も作るまいと時間を細かく区分し、作業を割りつけ、日程を詰めこんでいくのとは無関係ではない。「僕は朝七時に起きてコーヒーを淹れ、トーストを焼き、仕事にでかけ、外で夕食を取り、二杯か三杯酒を飲み、家に帰って一時間ばかりベッドの中で本を読み……」という日常はぜひとも必要な機制なのである、音もなく成長していく人生のひびわれから目をそらし続けるためには。

 同じことが「それだけだ」、「それだけのことだ」という呟きについても言える。このリフレインが、ヴォネガットの『スローターハウス5』で繰り返された「そういうものだ」(so it goes)から着想を得たものであることは明白だが、しかし、その意味あいはまヴォネガットは登場人物が無惨な死をむかえるたびに、語り手にこの言葉を呟かせたが、セリーヌの長編小説集によせた序文によれば、これは『夜の果ての旅』から受けた衝撃に対する彼なりの応答だったという。

 おそらく、セリーヌの文体は、わたしが考えていたような思いつきのものではなかったのだ。かりに彼の心があのような弱点(頭部戦傷)をかかえていなかったとしても、あの文体は不可避なものだったろう。ちょうど、弾幕のまっただ中にはまりこんだ時のように、ただ、ただ絶叫する以外にはなす術がないのだ。
 そして、彼の作品を人間の想像力の勝利などと呼ぶことはできない。いくら絶叫したとて、事態は、まず、いやも応もなく、そのまま進行していくからだ。(「ルイ・フェルディナン・セリーヌ」

 弾幕にはまりこんだのは、ヴォネガットも同じである。そして、止めようもなく進行する悲喜劇を眼前に、叫ぼうと口をゆがめるのも。しかし、彼の語り手からは、セリーヌの速射砲のような罵詈雑言は発せられない。ゆがんだ口元からは、あえぐような呟きがもれるだけだ。「そういうものだ」、「エトセトラ、エトセトラ」、「以下同様」と。

 村上が『1973年のピンボール』などで繰り返した「それだけだ」、「それだけのことだ」は、まったく背景を異にする。

 物事には必ず入口と出口がなくてはならない。そういうことだ。(『1973年のピンボール』
 僕の心と誰かの心がすれ違う。やあ、と僕は言う。やあ、と向こうも答える。それだけだ。(同)

 彼女には名前はない。ただの貧乏な叔母さん、それだけだ。(「貧乏な叔母さんの話」

 ヴォネガットの「そういうものだ」(so it goes)が、どれほどシニカルに響こうと、最終的には悲喜劇の進行に対する抵抗の身振りであるのに反して、村上のリフレインはむしろ状況から身をしりぞこうとする身振りである。もし、右の文例を英訳したとしても、「そういうことだ」、「それだけだ」は so it goes とはならないはずである。どう考えても that's a way it is もしくは that's all とするのが順当だろう。村上的な人物は悲喜劇に対してあくまで距離をとり続けようとする。ここにあるのは、まぎれもなく、物事を分類して一般論に解消しょうとする身振り、類型化・間接化の身振りなのである。

 それはちょうど、物事を数えあげるのと同じ意味を持っている。たとえば、「僕」は一九六九年八月十五日から翌年の四月三日までの期間に、三五八回の講義に出席し、五四回のセックスを行い、六九二一本の煙草を吸ったという。この二三二日間に、直子の失踪と自死と死体の発見があった。五四回のセックスのうち、何回が直子とのそれかまでは数えていない。いゃ、むしろ直子との交渉を他の女性との交渉といっしょくたにしてしまうところに、数字の意義があるのだ。不確かな世界、今にもボロボロとくずれていきそうな世界、弱さそのものである「掟」の世界は、「それだけのことだ」、「そういうことだ」という呟きによって、あるいは数えあげるという身振りによって、かろうじて輪郭をたもつのである。

3.

 自分を退屈な人間と決めつける「僕」に対して、耳の娘は「あなたの人生が退屈なんじゃなくて、退屈な人生を求めているのがあなたじゃないか?」と問いかえしている。

 「なぜ僕はそんな風に考えるんだろう?」と僕は質問してみた。
 「それはあなたが自分自身の半分でしか生きていないからよ」と彼女はあっさりと言った。
 「あとの半分はまだどこかで手つかずで残っているの」(『羊をめぐる冒険』

 半分だけの人生とは、一方的に保護するだけで保護されることを避ける生き方であり、他者や物事の数字化・類型化できる側面についてだけ心を開く生き方である。「僕」は「掟」をたたきこまれることで、「幼い官能」の世界から他者の世界に移ったが、後者を本当に受け入れたわけではないのだ。

 なぜか? それは「掟」がそもそも不本意に学ばされたものであり、自らすすんで他者の世界に参入したわけではないからである。心のどこかで、「僕」はまだ「幼い官能」の王国を断念していないのだ。だからこそ、他者の世界はどこまでも他人事の世界で、ある短編に登場する女の子の言葉を借りれば、「そもそも、ここは私の居るべき場所じゃな」いということになる。

 恋人の自殺が他者の世界に対する不信と不安を決定的なものにしたのは、先に見たとおりだが、この不安は彼女の心がつかめないことから生じたのではない。むしろ、この不安こそが彼女の内面の不可知性を呼びよせたのだ。問題は他者の消失そのもの、半身の消失そのものに係わる。

 しかし、親しい人間の死は不安とは別に、もう一つの感情をも呼びおこす。罪責感である。

 もちろん、「僕」はなかなか語らない、例によって。罪責感を表白するのは、わずかにピンボール・マシンに対してだけである。

 様々な想いが僕の頭に脈絡もなく浮かんでは消えていった。様々な人の姿がフィールドを被ったガラス板の上に浮かんでは消えた。ガラス板は夢を映し出す二重の鏡のように僕の心を写し、そしてバンパーやボーナス・ライトの光にあわせて点滅した。
 あなたのせいじゃない、と彼女は言った。そして何度も首を振った。あなたは悪くなんかないのよ、精いっぱいやったじゃない。
 違う、と僕は言う。左のフリッパー、タップ・トランスファー、九番ターゲット。違うんだ。僕は何ひとつ出来なかった。指一本動かせなかった。でも、やろうと思えばできたんだ。(『1973年のピンボール』

 実際には、何もできるはずがなかった。それにもかかわらず、「やろうと思えばできた」と自責すること、それは自分が彼女を見殺しにしたこと、いっそのこと死んでくれればよいと思っていたことを告白したに等しい。「僕」は彼女を愛すると同時に、憎んでもいたのである。なぜか? なぜなら、彼女はかけがえのない存在となることによって、「僕」の全一性を奪い、存在性を奪ったからである。そして、その憎しみに対する悔いが、この矛盾した表白を強いたのである。

 フロイトはこう述べている。

 妻が夫に、娘が母に死別した場合、あとに残された者は、自分の不注意か怠慢のために愛する人を死なせたのではないかという痛ましい疑惑、これをわれわれは「強迫自責」と呼ぶのであるが、こうした疑惑に襲われることがよくある。……強迫自責を感じなければならないほど、喪に服する人が実際に死者に対して責任があるとか、実際に怠慢をおかしたというのではないが、やはり喪に服する人の心に何ものかがあったのである。つまりその人にも意識されない願望である。この願望は死を不満とせず、もし力さえあれば死を招きよせたかもしれない。この無意識的願望にたいする反動として、愛する者の死後に自責の念があらわれるのである。(「トーテムとタブー」

 「何が起こったのか公平につかむには十年かかるかもしれない」と「僕」は一九七〇年のある日、呟くが、六九年から八二年にいたる十三年という期間は、この自責との闘いだったはずである。「僕」は彼女の自殺によって、他者の世界に対する異和感を意識しだすが、同時に、他者の世界はもはや他者の世界といってすますわけにはいかなくなったのである。というのも、「僕」は彼女の自殺に心理的に加担することによって、他者の一人である彼女にぬぐいがたい働きかけをしてしまったからだ。もはや「僕」は無垢ではない。「僕」は苦しさやつらさ、弱さに充ちた他者の世界に対する無関与を申し立てようとした時には、すでに決定的な関与をおこなっていたのである。

 このねじれた関与をいかにして終らせるのか?

 終結は鼠の自殺によってもたらされる。彼は「あらゆるものを呑みこむるつぼ」である羊、あらゆる弱さを解消し万能の力をもたらしてくれる羊を葬り去るために、自らの命を捨てた。「僕」はなぜだと問いつめる。

「俺は俺の弱さが好きなんだよ。苦しさやつらさも好きだ。夏の光や風の匂いや の声や、そんなものが好きなんだ。どうしょうもなく好きなんだ。君と飲むビールや……」鼠はそこで言葉を呑みこんだ。「わからないよ」(『羊をめぐる冒険』

 鼠のいう「夏の光や風の匂いや の声」等々の刹那的なもの、果敢無いものが、他者の世界、「掟」によって開かれる世界を指すことは明らかだ。彼は「観念のアナーキーな王国」である羊の世界を拒否して、他者の世界、「掟」の開く世界につく。そして、「僕」はこの彼の決断に自らすすんで加担するのである。

 ラカンはこう言っている。

 実際、考察の順路にしたがい、フロイトが「掟」の創始者としての「父親」のシニフィアンの出現を死に、さらには「父親」殺しにさえ結びつけた時、どうしてこのつながりを認識しないことがあったろうか。──こうして、もしこの殺害が負債の結実の瞬間であるなら(主体はこの負債によって、生涯、自らを「掟」にしばりつける)、象徴的な「父親」とは、この「掟」を意味する限りにおいて、死んだ「父親」であることが示されたのである。(「精神病のあらゆる可能的な治療に対する前提的な問題について」

 鼠の死に加担することで、「僕」はあらためて「掟」に負債を負ったのである。そして、このことによって、「幼い官能」の国、腕の中の全一の王国への固着は葬り去られたといってよい。「掟」とは死者たちの贈り物である。「僕」はこの贈り物を引き受けることで、他者の世界に本当の一歩をしるしたのである。

(Aug 1982 「群像」 最上段へ
Copyright 1996 Kato Koiti
批評 ほら貝目次