有島武郎ありしまたけお

加藤弘一

生涯

 小説家。1878年、東京府小石川水道町に、薩摩藩出身の大蔵官僚、有島武の長男として生まれる。弟に画家の有島生馬、小説家の里見がいる。横浜のミッションスクールから学習院予科に移り、皇太子(後の大正天皇)の学友に選ばれる。1896年、農学者をこころざして札幌農学校に進む。クラーク博士の遺したピューリタン的学風にふれ、1901年、家族の反対を押しきり、札幌独立教会で受洗。1903年から三年間、米国に留学。ハーバード大などで農学、文学を学び、ホイットマン、イプセンに傾倒する一方、社会主義にふれ、クロポトキンにも心酔する。1907年、ヨーロッパ遊歴中、ロンドンでクロボトキンと会い、幸徳秋水への書簡を託される。帰国後、母校の教授となる。

 1910年、弟たちの縁で「白樺」創刊に加わる(有島が最年長)。翌年1月から1913年3月まで、同誌に『或る女のグリンプス』を連載。1915年、妻の入院にともない休職し、東京にもどる。「カインの末裔」「小さき者へ」「生まれ出づる悩み」など、代表作を次々と発表。1919年、『或る女のグリンプス』を全面的に改稿した『或る女』を刊行。自己を貫き通すヒロインを通して、政治的・性的抑圧を描いたこの長編は有島の最高傑作である。

 1922年、生活改革のために財産処分を断行。父から買いあたえられた北海道の農場も小作人たちに贈与し、「共産農園」とする。1923年6月、軽井沢の別荘で波多野秋子と心中をとげる。45歳だった。

作品

Copyright 1999 Kato Koiti
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