遠藤周作えんどうしゅうさく

加藤弘一

生涯

 小説家、エッセイスト、フランス文学者。1923年3月27日、東京で安田銀行行員、遠藤常久の次男として生まれる。3歳の時、父の満洲赴任で大連にわたる。1933年、両親の離婚によって、母の実家のある神戸に移り、母とともにカトリックの洗礼を受ける。一時、上智大に籍をおいた後、1943年、慶大仏文科に入学。父の東京の家を出て、吉満義彦のカトリック学生寮にはいる。1947年、慶大在学中に神西清の推輓で「神々と神」を「四季」に発表。「三田文学」に「カトリック作家の問題」を発表。

 編集者をへて、1950年、戦後初のフランス留学生に選ばれ、井上洋治神父らとともに渡仏。リヨン大学でカトリック文学を研究するも、健康を害して1953年、帰国。翌年、最初の小説「アデンまで」を「三田文学」に発表。1955年、「白い人」で芥川賞受賞。同年、『白い人・黄色い人』を刊行。1958年、戦時中のアメリカ人捕虜生体解剖をあつかった『海と毒薬』で毎日出版文化賞受賞。1960年、結核が悪化、三度におよぶ肺の手術を受ける。

 結核の予後のために、当時、まだ空気のきれいだった町田市に移る。経済的に逼迫し、「こりゃあかんわ」と関西弁で愚痴ったところから、新居を「狐狸庵」と命名、自らも狐狸庵山人を名乗る。根をつめた仕事ができないために、狐狸庵ものと呼ばれることになる軽いエッセイに筆を染め、人気を博す。

 1966年、キリシタン弾圧下で棄教したポルトガル人司祭を描いた『沈黙』を発表。谷崎賞を受賞するが、日本のカトリック教会から批判を受ける。

 1973年、『イエスの生涯』刊行。この作品は多くの外国語に翻訳され、ダグ・ハマーショルド賞を受ける。1978年、その続篇の『キリストの誕生』を刊行。晩年の闘病生活の中で『深い河』を完成させ、1993年刊行。

 1996年9月29日、73歳で死去。

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This page was created on Nov01 1999; Updated on Nov082000.
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