エディトリアル   July 2006

加藤弘一 Apr 2006までのエディトリアル
Aug 2006からのエディトリアル
Jul05

 北朝鮮は今暁、6発のミサイルを日本海に向けて乱射し、ナホトカ近くのロシア領海内に着水させた。夕方には駄目押しのように、さらにもう一発、発射した。かねてから発射の徴候のあったテポドン2号だけでなく、韓国を射程におさめるスカッド、日本を射程におさめるノドンも発射している。主目標はあくまでアメリカにしても、反北朝鮮の野党が議席を伸ばした韓国と、朝鮮総聯に対して締めつけを強めている日本を威嚇する意図もあるだろう。

 TVは朝からこの話題一色で、おなじみの顔ぶれがおなじみのコメントをしていたが、日本テレビの夕方の「Newsリアルタイム」に出演した「金正日の料理人」、藤本健二氏の発言が一番興味深かった。

 藤本氏は1998年8月31日にテポドン1号が発射された時、金正日について元山招待所にいたという。朝、自室でNHKニュースを見ていた藤本氏はテポドン発射を知り、あわてて金正日のいるセンターに向かった。そこにはやはりNHKニュースで発射を知った妹婿の張成沢が一足先に駆けつけてきていて、金正日にテポドン発射のニュースを報告していた。張成沢から発射を知らされた金正日は愕然した様子で執務室に駆けこみ、電話で破片が日本国内に落下しなかったことを確認し、胸をなでおろしていたとのこと。

 この話を念頭に藤本氏の『金正日の私生活―知られざる招待所の全貌』の見とり図を見直すと、金正日のその日の姿がリアルに浮かんでくる。

 その晩、ミサイル発射成功で上機嫌の金正日は藤本氏に「フジモト、次はサイタマだな」と冗談を言ったそうである。

 藤本氏によれば、金正日は軍に「人工衛星発射」の許可をあたえていたが、軍は失敗した場合を考え、発射の日は金正日に伏せていたらしい。これはいっしょに出演していた重村智計氏も自分のえている情報と一致すると肯定していた。

 テポドン1号の発射後、当時のクリントン大統領は金正日に書簡を送ったが、金正日はクリントン書簡に舞いあがり、三日三晩、大宴会をやったという。酔った金正日は幹部たち相手に「わが国が韓国や日本の頭越しに、アメリカと直接手を結んだら、韓国や日本はどう思うだろう!」と気勢をあげていたそうである。

 外部にいるわれわれはつい深読みしてしまうが、金正日は実際は単純な男のようである。

 アメリカとの直接交渉に固執するのは、クリントン大統領にいっぱいくわせて援助を引きだしたという成功体験もあるだろうが、それ以上に、アメリカと同格であることを韓国や日本に見せつけたいという虚勢の部分が大きそうだ。

 テポドン1号の破片が日本に落下したかどうか心配していたというのも、興味深い。確かに破片であれ、日本の国土に落下したなら、アメリカ軍は面子上、北朝鮮に軍事制裁をくわえるだろう。今回、ロシア沿岸すれすれを着弾地点に選んだのは万が一にも日本に落下しないようにという配慮と考えて間違いなさそうだ。

 マスコミは大騒ぎしているが、われわれは金正日の末路を意地悪く眺めていればいいのである。

Jul08

 5日未明に発射されたテポドン2号がロシア沿海州沖という近い場所に落ちたについては失敗説と自制説の両方があったが、2発目の発射の可能性を北朝鮮が通告したことからいっても、失敗だったことがはっきりした。しかも、目標地点は当初いわれていたようなアラスカではなく、アメリカ太平洋艦隊の根拠地がおかれているハワイだったらしい(ZAKZAKYOMIURI)。

 7月8日の金日成の命日という記念日があるのに、わざわざアメリカの独立記念日に、それも7発も発射するあたり、今回はずいぶん挑発的だと思っていたが、実際はもっと思いきったことをやっていたのである。

 中国が事前通報を受けていたかどうかについては、中国は訪中中の民主党議員に受けていないと語ったが(MSN)、アメリカは受けていたが北朝鮮の説得に失敗したとしている(朝鮮日報)。どちらにしても、北朝鮮によって顔に泥を塗られたことに変わりはない。

 ロシアと韓国は事前通告を受けているという説があったが、どうも受けていなかったらしい。韓国は二日前に発射の徴候をつかんだが、まさにそのタイミングで、北朝鮮は将官級会談について話し合うための連絡将校の会合を申しいれた(東亞日報)。韓国国防部の関係者はこの申しいれを韓国側を油断させるための情報操作と見て、「非常に残念で適切でない行動だった」と不快感を隠さなかったという。

 ロシアにいたっては、鼻先に撃ちこまれたにもかかわらず、極東軍の設備の老朽化のためにミサイルの着弾にすら気がつかず、「軍はインターネットで発射を初めて知った」と将軍クラスの関係者が語ったそうである(MSN)。いくらレーダーが老朽化していても、事前通告を受けていれば追尾できたはずであり、着弾地点すらわからない以上、事前通告はなかったとみていいだろう。5日午後、ロシアは北朝鮮は10発発射したと発表したが、あれは韓国発表の受け売りだったことになる。

 これまでの金正日は無鉄砲をやっているようで、実は臆病なくらい慎重だった。金融制裁で幹部にプレゼントが配れなくなった金正日はこういう刃わたりのようなことをやってみせなければ、権威を維持できないところまで追いこまれているのだろうか。

 しかし、この冒険は裏目に出た。テポドン2号が失敗しただけでなく、スカッドとノドンの多くは北朝鮮が内部的に通知した航海禁止区域外に着弾していたからだ(朝鮮日報)。両ミサイルは北朝鮮の数少ない外貨獲得手段で、今回の発射を売りこみのためという見方まであったが(朝鮮日報)、お粗末な性能を自ら証明してしまったことになる。

 日本がはじめて積極的に動いた安保理決議は10日に採決がもちこされたが、金正日の命数は算えられるところまできているのかもしれない。

Jul11

 ITmediaの「「ソーシャル検索」は生き残れるか?」という記事がおもしろい。

 ソーシャル検索とは利用者の主観的採点を蓄積して、ページをランクづけする検索サービスである。会員登録した利用者だけに採点権限をあたえる場合が多いのでコミュニティ検索ともいい、prefound.comdel.icio.usなどがある。

 記事によると、GoogleやYahoo!がソーシャル検索に食指を伸ばしはじめており、del.icio.usはすでにYahoo!傘下にはいったという。

 先祖返りとでもいうべきソーシャル検索が注目されるようになった背景は、アルゴリズムにもとづく検索の限界が見えてきたことがありそうだ。

 Googleが被リンク数とページの論理構造という客観的な指標によってページをランクづけする手法をいちはやく確立し、検索サービスのトップに躍りでて以来、大手の検索サービスはランキング・アルゴリズムの精密化をすすめてきたが、セマンティックWebを前倒ししたマイクロフォーマットに期待が集まるあたり、できることはもうやりつくしたのだろう。

 日本でも「新書マップ」で知られる国立情報学研究所(NII)の高野明彦教授が「想」というソーシャル検索を準備している。「想」は「Googleの限界は「人の手」で破る」をモットーに、学芸員など専門家の協力でサイトを評価していくという(ITmedia)。素人の評価には信頼性の問題がつきまとうから、専門家に限定するという行き方は一つの選択肢だ。

Jul13

 日経ホールで『原典 ユダの福音書』の著者の一人、マーヴィン・マイヤー氏の講演を聞いてきた。ほぼ満員の盛況だった。

 まず、「ナショナル・ジオグラフィック」日本版の編集長の挨拶の後、このほど発売された『DVD版ユダの福音書』を10分ほどに編集した画像を流した。写本の断片をくみあわせていく作業が出てきたが、あれはまさにジグソーパズルだ。チーム・リーダーのロドルフ・カッセル氏はドイツ系スイス人ということだが、フランス語で話していた。ユダとイエスの対話を再現したドラマまであった。4月の記者会見の一ヶ月前まで、日本版編集部も知らされていなかったということだが、再現ドラマはいつ撮影したのだろう。

 マイヤー氏は聖書学、それもコプト語の専門家なので、地味な学究タイプを想像していたが、表情豊かに語る能弁な人だった。講演の内容は本のくり返しで、あたりさわりのないものだったが、二つ、おもしろい情報があった。一つは表紙の話。『ユダの福音書』をふくむチャコス写本はパピルスの反古紙を貼りあわせて作った厚紙カルトナージュを表紙にしているが、このカルトナージュを一枚一枚はがしていけば、写本の成立がわかるかもしれないこと。第二は「108」という数字が書かれた断片があるが、もしこの数字がノンブルだとしたら、チャコス写本は108ページ以上あったことになる。現存する写本は66ページだから、42ページ以上の文書が世界のどこかで眠っていることになる。チャコス写本は盗難にあうなど、数奇な運命をたどっているが、108ページが66ページになれば素人でもわかるので、おそらく最初の古美術商に持ちこまれる前に抜かれたのだろう。

 質疑応答は講演よりもおもしろかった。1時間弱の講演に対して、質問時間が30分以上とってあったので不思議だったが、マイヤー氏はどうも質疑応答で本音を話すつもりだったようだ。

 マイヤー氏は質問に触発されてというか、質問とはまり関係なく、ユダに対する思いいれを滔々と語りだした。四福音書を成立年代順にみていくと、後で書かれたものほどユダを悪者にしたてていること、『詩篇』第41編を下敷きに裏切の物語をふくらませていった可能性があることを指摘し、『ユダの福音書』を読めば、裏切りを許すことができるとまで語っていた。

 エレーヌ・ペイゲルスの『禁じられた福音書』でも感じたが、アメリカのグノーシス研究者の中には、グノーシス主義を古代の思想としてではなく、自分の生き方の問題としてとらえる人がすくなくないらしい。

 ロビーでマイヤー氏のサイン入りの『DVD版ユダの福音書』を売っていたが、DVDは値引率が高いので買わなかった。アマゾンで調べたところ、このDVDは書籍扱いなので、値引きはなかった。サイン入りを買っておけばよかった。

Jul14

 北朝鮮のミサイル乱射は国際常識からいって、あまりにも非合理なので、さまざまに憶測を呼んでいる。週刊文春、週刊新潮、週刊朝日の三誌を読んでみたが、われわれの床屋談義と五十歩百歩だった。

 週刊新潮は中国の李肇星外相の「大チョンボ」説。アメリカは中国に、6者協議の場でなら二国間交渉に応じてもよいと中国に伝言を依頼していたが、麻生外相が電話で李肇星外相にその件を念押ししたところ、李外相は言葉に詰まり、ごまかしたというもの。麻生外相は伝えていないなと直感したそうだが、アメリカは金融制裁を解除するつもりはなく、それは北朝鮮も承知しているから、この説は無理がある。

 週刊文春はミニ6者協議といわれた4月の東京会議で、アメリカと交渉できると意気ごんで来日した金桂冠外務次官がヒル国務次官補に袖にされ、北朝鮮が面子をうしなったのが原因と推測している。恥をかかされた将軍様は「猫になるか、虎になるか」熟考した末に、虎になる決断をくだし、5月に軍幹部に強硬方針を伝えたところ、感きわまって嗚咽する幹部もいたらしい。ヤクザ映画なら、ここで殴りこみとなるが、殴りこみの代わりにミサイルを乱射したというわけだ。そんなに単純なら、世話はないのだが。

 週刊朝日は大胆だ。「高まる軍部のクーデター」、「金正日亡命の可能性」と表紙に煽情的な言葉がならび、軍部暴走説を展開している。「本来、総書記の絶対的指令の下で行われるべきものが、実はそうではなかった可能性が高いということが明らかになったのである」と、クーデタがおこなわれたといわんばかりの書き方だ。しかし、将軍様の亡命や軟禁、暗殺といった変事が起こったなら、なんらかの徴候があらわれるはずだ。

 中国が北朝鮮をかばいつづけている点にも諸説がある。中国は北朝鮮に崩壊されと面倒なので、しかたなくかばっていると考える識者が多いが、中国がアメリカを牽制するために、北朝鮮をけしかけているという北朝鮮=鉄砲玉説も根強い。週刊文春に中西輝政氏が寄稿した「中国がすべての黒幕だ!」は鉄砲玉説である。

 だが、中国は一枚岩だろうか? 資本家が幹部に推挙されるようになった党と、イデオロギーがちがちの幹部が残っている軍の間に対立があり、軍の中にも、軍区間の対立があるといわれている。軍の一部に金正日政権を支持する勢力があるとしても、それを中国の総意とみるのは危険だ。北朝鮮=鉄砲玉説は中国を一枚岩と考える点で無理があると思う。

 素人の気楽さで書けば、わたしは中国は北朝鮮に脅されているのではないかと考えている。脅す材料は中朝軍事同盟だ。中朝軍事同盟の第二条には即時参戦条項があり、中国化北朝鮮、どちらかが戦争状態になった場合は、他方の国は自動的に参戦する取り決めになっているのである。

 北朝鮮はテポドン発射には失敗したものの、韓国を射程におさめるスカッドと日本を射程におさめるノドンの夜間連続発射に成功した。もし北朝鮮が韓国と日本にミサイルを発射したなら、中国は自動的に韓国・日本に宣戦したことになり、当然、アメリカとも戦争状態にはいってしまう。

 北朝鮮はこの手でソ連を振りまわした前科がある。NHKが4月に放映した「ドキュメント北朝鮮」は、北朝鮮がプエブロ号事件で強気一辺倒でアメリカを押しまくった経緯を描いたが、ソ連当局者はソ朝軍事同盟のためにアメリカとの戦争に引きずりこまれるのではないかと神経をすり減らしたと語っていた。ソ連と北朝鮮の鉄の団結は見せかけだけで、裏では「北朝鮮とかかわると病気になる」と担当者が嘆くような険悪な関係だったのだ。5年後、「ドキュメント北朝鮮」の続篇が作られたら、胡錦濤首席や武大偉外務次官は同じ台詞を吐くだろう。

 北朝鮮のミサイルを心配する向きがあるが、わたしは中朝軍事同盟がつづく限り、心配する必要はないと思う。もし北朝鮮が暴発しそうになったら、中国は人民解放軍を越境させるだろう。外資頼みで国を維持している中国にはそれしか選択肢がないのだ。

Jul17

 ニューヨーク時間の15日午後、国連安全保障理事会は北朝鮮決議1695号として、北朝鮮のミサイル発射を非難し、北朝鮮にミサイル・大量破壊兵器開発のための物資や技術、資金を提供したり購入しないようにもとめた決議案を全会一致で採択した(Sankei WebNIKKEI NET朝鮮日報)。

 日本が主張していた第7章への言及は見送られたものの、英国の提案した「安保理は国際平和と安定を維持するため特別な責任の下に行動する」という折衷案がとられた。北朝鮮を擁護するメディアは、この折衷案には実効性がないと宣伝しているが、英国のジョンズパリー国連大使はBBCのインタビューで「国連安全保障理事会が採択した北朝鮮決議については「すべての加盟国、北朝鮮は順守しなければならず、拘束力があると考える」と強調している(Sankei Web)。また、中国の CHINAdaily紙も、以下の通り、拘束力のある決議であることを認めている。

The resolution bans all UN member states from selling material or technology for missiles or weapons of mass destruction to North Korea, and from receiving missiles, banned weapons or technology from Pyongyang.

(決議はすべての国連加盟国に対し、北朝鮮にミサイルないし大量破壊兵器のための物資や技術を販売すること、そして北朝鮮から兵器ないし技術を購入することを禁止した)

 東亞日報も、朝鮮戦争(文中では「韓国戦争」)の決議案にすら、第7章への言及がなかったことを指摘し、今回の決議の有効性を認めている。

――国連憲章7章への言及が削除された今回の決議案は、法的拘束力がないのか。

「そう考えることはできない。安保理が韓国戦争当時に採択した決議案は、国連憲章7章が抜けていたが、拘束力のある決議案だと認められた。各国が今回の決議案をどのように履行するかがカギだ」

 確かにこの決議では北朝鮮に出入する船の臨検まではできないが、第7章の文言が入ったとしても、軍事衝突を誘発しかねない臨検には、北朝鮮が次にミサイルを発射するまでは踏み切れなかっただろう。その意味では第7章は交渉のための道具であり、第7章に固執しつづけたからこそ、全会一致の決議にたどりつけたと見た方がいい。

 北朝鮮はただちに国連本会議で決議の全面拒否を表明し、安保理は「ギャングのようだ」、「ミサイル発射を今後も継続する」と言い捨てて席を立ったが、アメリカのボルトン国連大使が「今日は歴史的な日だ。安保理が全会一致で決議を採択したのに加え、北朝鮮が決議採択後45分で拒否するという世界記録を打ちたてた」と述べると、笑いが起こったという(YOMIURI ONLINE朝鮮日報)。

 ロシアのサンクトペテルブルクで開かれているG8サミットでも、安保理決議の全面支持と北朝鮮の6者協議への即自復帰を盛りこんだ共同声明が採択され、議長総括には「早急な解決を含め、国際社会の他の安全保障および人道上の懸念に対応するよう求める」と、拉致問題に関する踏みこんだ表現が明記された(YOMIURI ONLINEasahi.com)。

 新聞各紙が評価しているように、これは日本外交の久々の勝利である。日本が安保理に制裁決議を提案しようとすると、中国は拒否権発動をほのめかしながら、1998年のテポドン1号の時のように、拘束力のまったくない報道声明で片づけようとした。日本が途中で折れていたら報道声明か、多少拘束力のある議長声明で決着していたはずである。

 まずはめでたしと言いたいところだが、決議にいたるまでの日本のマスコミの歪曲報道がひどかったことは書き残しておきたい。

 日本が安保理に対北朝鮮決議を発議した7月7日の直後、共同通信は「非難決議案に切り替えへ 政府、北朝鮮ミサイル」という方針転換を決めたという記事を配信した。日本は孤立しているという大合唱が新聞テレビで巻きおこり、アメリカが中国による北朝鮮説得を待つために決議を延期した際は、アメリカにも見捨てられたと、政府の強硬姿勢を嘲笑する報道がつづいた。

 産経新聞の新ニュースサイト「イザ!」の「対北決議採択10日間の攻防 中国譲歩させた日米の絆」によると、外務省内部に「落としどころ」をさぐる動きがあったのは事実だが、麻生外相はこう一喝したという。

 「こちらが突っ張ったから、中露は議長声明から非難決議に譲歩したんだろ。あんたらは優秀かもしれないが、けんかの仕方を知らないんじゃないか。成功するまで報告はいらない」

 中国側に譲歩を迫るために政府がぎりぎりの交渉をつづけている時に、多くの国内メディアは勝手に白旗をあげるような報道をつづけたのだ。この10日間の中国寄り報道の偏向ぶりは忘れてはいけない。

 決議のひきのばしをはかった中国は結果的に、北朝鮮に対して無力な実態を世界にさらした。おそらく、プエプロ号事件の時のソ連と同じように、北朝鮮にいいようにあしらわれているのだろう。かつてやったような石油パイプラインの閉鎖すらできないのだから、なめられたものである。

 安保理の全会一致の決議という成果が出てからは、新聞は日本の外交的勝利を評価する論調に変わったが、一部のテレビはそうではなかった。今晩のテレビ朝日の「報道ステーション」は印象操作のテクニックを総動員して、外交的に勝利したのは中国であり、日本は敗れたという事実に即さないイメージを作りあげていた。今晩の放送はメディア・リテラシーの教材として実に使いでがあり、録画し忘れたのが残念である。

Jul19

「あわれ彼女は娼婦」

 シェイクスピアより一世代後の劇作家、ジョン・フォードの代表作で、裏「ロミオとジュリエット」とでもいうべき作品。

 三層の建物が舞台を半円形に囲んでいる。各層にはアーチ型の入口がならぶが、手すりもバルコニーもない(役者が二層目に登場すると、今にも落ちそうで、ひやひやする)。建物にそって、赤い糸が天井から床まで何本も張ってある。人物はこの糸を左右に押し広げて出入する。

 冒頭、床に座った白馬の背の上にジョヴァンニ(三上博史)があおむけに横たわり、実の妹、アナベラ(深津絵里)への思いを切々と語る。

 本篇がはじまると、ジョヴァンニとアナベラは互いに相思相愛だったとわかり、乳母の手引であっという間に男女の関係になり、妊娠してしまう。

 アナベラのところには多くの求婚者が訪れていたが、妊娠を知った父親(中丸新将)は実の兄が相手だとは思わず、世間体のために名門で財産家のソランゾ伯爵(谷原章介)と結婚させることにする。

 二人の結婚式は血塗られたものになった。結婚式の前に、袖にされた求婚者の一人、グリマルディ(鍛冶直人)はソランゾを闇討するが、間違えて同じ求婚者で、頭の弱いバーゲット(高橋洋)を殺してしまう。結婚式がはじまると、ソランゾに捨てられた人妻のヒポリタ(立石凉子)があらわれ、すべてを水に流して乾杯しようと申しでる。実は彼女はソランゾを毒殺する陰謀をめぐらせていたが、結婚で籠絡しようとしたソランゾの従者のヴァスケス(石田太郎)に裏切られ、自分が逆に毒杯をあおいでしまい、血を吐いて死ぬ。

 不吉なはじまりをしたソランゾとアナベラの結婚は陰惨なものとなった。アナベラの妊娠を知ったソランゾは復讐のためにヴァスケスに相手の男探しを命ずる。ヴァスケスは乳母を丸めこんで、ジョヴァンニがアナベラの相手だとつきとめる。アナベラの近親相姦を知ったソランゾは自分の誕生日の祝いにパルマの大立者をまねき、その席でジョヴァンニに復習しようとたくらむ。

 ここまではソランゾ中心に話が進み、彼が主役といっていいくらいだが、最後の最後で大逆転が起こる。アナベラから秘密が露見したと知らされたジョヴァンニは先手を打ってソランゾを返り討ちにし、祝宴の出席者をバッタバッタと殺していくのだ。巻添心中というべきか、祝宴は虐殺の場と化す。それまで影の薄かったジョヴァンニがソランゾから主役の座を奪ってしまう。

 ソランゾはいろいろな意味で気の毒な役である。単なる名門の美丈夫ではなく、悪の要素ももちあわせた主役を張れる人物なのに、ジョヴァンニとアナベラにこけにされてしまうのだ。谷原章介という役者のキャラに妙にはまっていて、彼のために当て書きしたという印象すらある。

 三上の自己陶酔的演技は予想通りだったが、深津絵里はすばらしかった。やや棒読みのところもあったが、清楚な純情一途の娘でありながら、なにをするかわからないという怖さが出ていた。

 いい芝居だったが、席がひどかった。S席をとったのに二階に回されてしまい、客席の通路を使った芝居が見えなかった。床から天井まで張られた赤い糸は、上から見下ろすと目障りでしかなかったが、下から見上げる位置だと、違う見え方がしたと思う。最近の蜷川の舞台はチケットが取りにくくて困る。

Jul21

 Googleは視覚障害者に使いやすいページを優先する Google Accessible Search をはじめた(ITmedeia)。アクセスするとわかるが、Googleのロゴの下に点字がデザインされている。

 視覚障害をもった人たちは音声ブラウザでネットサーフィンしているが、最近、ますますアクセシビリティが悪化しているらしい。Flashを使ったページではお手上げだし、テーブルレイアウトのページや blogでは読みあげる順番が狂ったり、ナビゲーション用のインデックスが先に読み上げられるために、本文がなかなかはじまらなかったりするようである。

 W3Cはウェブコンテンツ・アクセシビリティ・ガイドラインを公開しているし、日本の経済産業省もJIS X 8341で同様の指針を示しているが、知らない人の方が多い。こういう現実がある以上、デザインがシンプルで、アクセシビリティがよいと推定されるページを優先する検索サービスは必要だろう。現時点では日本語が通らないが、早急に日本語にも対応してほしいと思う。

「日本沈没」

 1973年に製作された小松左京原作映画のリメイクである。リメイクにあわせて、OFFICIAL BOOKPHOTO BOOKや科学的に日本沈没の可能性を検証した便乗本が出ているのはお約束として、なんと『日本沈没 第二部』が小松と谷甲州の共著で出版されていた。さんざん待たせたあげく共著(実質的には谷作品)とは……。出ないよりは出た方がいいのは確かだが。

 さて、リメイク版の映画である。出だしは悪くなかった。余計な前ふりなしに大地震直後からはじまりハイパーレスキュー隊の柴咲コウが颯爽と登場する。一転してアメリカ測地学協会の学者が日本政府首脳に日本列島が30年後に沈没すると告知する場面に。アメリカから沈没を教えられたのでは田所博士(豊川悦司)はどうなると思ったら、田所のチームでアメリカ情報を検証したところ、30年後ではなく、2年後だとわかり政府首脳を怒鳴りつけるという展開。

 山本首相(石坂浩二)があっさり死んでしまい、危機事態管理大臣に抜擢された大地真央が孤軍奮闘するとか原作をあちこちいじっている。豊川と大地真央とかつて結婚していたという設定は余計だ。ラストの伏線にしたつもりなのだろうが、何兆円もかかる計画を公私混同で決めたのではリアリティがなくなる。

 地球深部探査船「ちきゅう」や潜水調査船「しんかい」をもつJAMSTECの全面協力をえただけに部分的にはすばらしい映像があった。しかしドラマ部分が陳腐すぎてどんどん『さよならジュピター』化していく。

 日本がアメリカに裏切られるという設定はいいとして、韓国が日本人難民の一部を受けいれるというのはおかしい。原作では韓国の南半分も大被害を受けて難民受けいれどころではないとなっていたし、リメイク版の沈没メカニズムでは韓国は原作以上の損害をこうむるはずだからだ。どさくさまぎれに韓流を忍びこませたとしたとしか思えない。

 あきれたのはラストである。ある計画で日本列島は救われるが、こんな改変をしていいのか。小松左京は日本人が放浪の民族になったらどうなるかという問題意識から『日本沈没』を書いた。『日本沈没』は長らく幻の作品だった第二部の序章にすぎなかった。日本列島が救われ、海外に避難した日本人が帰還して日本を再建できるのだったら、なんのための「日本沈没」だったのか。こんなどうしようもないクズ脚本にOKを出すとは小松左京も耄碌したものだ。

公式サイト
Jul22
ネイモンゴサウルス

 幕張メッセで「巨大恐竜博2006」を見てきた。

 全長33mのスーパーサウルスの全身骨格標本を売りにしていることから、例によってお子様向けイベントだろうと思って出かけたが、意外にも正攻法の充実した展示だった。

 まず、最初のコーナーではプロローグとして先カンブリア代と古生代の化石を展示し、ただの恐龍イベントではないことを印象づけた。次のコーナーではジュラ紀と白亜紀の植物・魚・両生類の化石をならべ、恐龍の生きた環境を紹介している。PT境界の焼けた炭の層も展示されていた。本やTVではさんざんおなじみだが、これが大絶滅の痕かと見とれてしまった。

 ここでようやく恐龍が登場するが、特筆すべきは本物の化石の全身骨格標本が多かったことだ。

カマラサウルス


アロサウルスの頭骨

 人間大のネイモンゴサウルスが本物の化石だということだけでも貴重だが、14mのカマラサウルスまで化石標本だったのには驚いた。トリケラトプスの親子も本物だった。

 夏休みに開かれるこの種のイベントで並べられる全身骨格標本は大体が複製で、特に大型恐龍の場合、本物の化石標本ということはめったにない。こんなに本格的な恐龍イベントは久しぶりだ。

トリケラトプスの親子


植物食恐竜ギルモレオサウルス

 CG動画の展示が多いのも今年の特徴だが、NHKが先日放映した「恐竜 vs ほ乳類」のCGを流用しているので、見ごたえがある。NHKの番組で使ったCG動画はクライマックスだけだったが、会場で映示されている動画はクライマックスの前後があり、一つのドラマになっている。会場のみの公開ではもったいない。DVDにして販売してくれないだろうか。

翼竜アンハングエラ(左)とトゥプクスアラ(右)


羽毛恐竜
シノサウロプテリクス

 巨大恐龍の次は熱河生物群のコーナーになる。

 遼寧省熱河の頁岩層で発掘された化石を熱河生物群というが、保存状態がすこぶるよく、世界ではじめて羽毛が確認されたシノサウロプテリクスもここから出ている。当時、熱河のあたりはきめ細かい泥のつもる湖床だったらしいが、や蜻蛉の翅の模様まで残っており、実に美しい。

 今回はかなり価値の高い展覧だと思うが、図録はお子様向けイベントの域を出ていなかった。展示内容にふさわしい図録を作ってほしかった。

プロトケラトプスの卵


 「あるある大事典」の夏バテ特集はおもしろかった。日本よりも暑い台湾に夏バテの人がいないという振りから漢方の熱証・寒証の話にもっていき、寒性食品と熱性食品の効果を検証するという展開は予想がついたが、熱証と寒証の違いは体内の水分量にあったという指摘には驚いた。果たして熱証と寒証で体内水分量がきれいに二分されていた。

 寒性食品と熱性食品では、なぜ効くのかに踏みこんでいた。寒性食品の代表として紹介した緑豆はカリウムを多く含み、血中のナトリウムを除去するので、血管から水分を浸出させる方向に働く。一方、熱性食品の代表として紹介された烏骨鶏はロイシンを多く含み、ロイシンから作られるアルブミンは血管から水分が浸出するのを防ぐ方向で働くという。

 緑豆や烏骨鶏は日本ではなじみがなく、なにやら神秘的な薬効がありそうな気がしてくるが、中国や台湾で長く使われてきたのは簡単に入手できるからだ。番組では緑豆の代わりのカリウム食材として枝豆、烏骨鶏の代わりのロイシン食材としてトウモロコシを推奨していた。

 漢方の基本である八証の一角が生理学的に解明されていたのだ。これはすごいことである。わたしは寒証だが、検査の数値を見直したところ、アルブミンが下限ぎりぎりだった。トウモロコシを常食すれば、アルブミンの数値が上がるのだろうか。この夏はトウモロコシをたくさん食べてみよう。

Jul26

 SankeiWebによると、インターネット版万里の長城といわれてきた国家的フィルタリング・システム、「金盾工程」が巧妙に進化したという。

 従来の「金盾」は「傲游」というフリーのブラウザで回避できるので、中国のネットワーカーの17%が使用するまでに普及している。早急に「傲游」に対応する必要があったわけだが、今回のバージョンアップではもっと凝った機能を盛りこんでいる。

 中国共産党にとって都合の悪い「人権」のような言葉を含むサイトは、これまではすべての利用者に対し一律にアクセス不能にしていたが、新「金盾工程」ではIPアドレスごとにアクセス履歴をデータベース化しておき、利用者の政治的傾向に応じてアクセスの可否を判断するようになっている。

 SankeiWebから引く。

 たとえば娯楽サイトしかアクセスしていないパソコンが、「人権」という用語で検索したり、人権サイトにアクセスしたりしても問題ないが、チベットやウイグル族関連のサイトにアクセスし続けたあとに接続しようとすると、遮断される仕組みになるという。
 これだと、同じサイトでも接続できる人と接続できない人が出て、特定の用語やサイトがアクセス禁止の対象となった印象を与えにくい。遮断された方も接続できないのはネット規制によるものではなく、自分のパソコンやサーバーの調子が悪いためだと納得してしまいがちだ。ユーザーに検閲されていると気づかせないように、巧妙にネット規制を実施するのが狙いだ。

 こんなことにリソースを無駄遣いすることだけであきれるが、中国政府は「金盾工程」の開発に8億ドル費やしたというのだから、なにをかいわんやである。

 8億ドルもかけたということは、裏を返せば、それだけネットが怖いのだ。ほころびのないシステムはないから、新「金盾」にもいずれ抜け道が見つかるだろう。中国共産党はいつまでモグラたたきをつづけられるだろうか。

「ファウスト」

 ゲーテの『ファウスト』を2時間に圧縮した舞台である。一幕は第一部「マルガレーテ悲劇」と第二部「ヘレナ悲劇」の冒頭部分。二幕は「ヘレナ悲劇」の本篇。二人のヒロインに着目してコンパクトにまとめたのは上手いと思うが、独自の脚色があまりにも多い。

 幕はなく、黒ずんだ本棚と棚が正面に三棹並んでいる。ファウスト(橋爪功)が憑かれたように床に魔法陣を描き呪文を唱えると、大轟音とともにパンクロッカーのような魔王ルシファーが出現。ファウストは取引しようとするが、虫けらめと罵り、相手にしない。ルシファーが出てくるのは劇画的脚色。

 音に驚いた弟子のワグナー(木下裕之)がやってきて、機嫌の悪いファウストとコミカルなやりとり。ワグナーのぼけが活きている。

 ワグナーが去った後、メフィスト(石田登星)があらわれる。なにかというと愚痴をこぼす愛すべき小者で、契約が済むとファウストを若返らせ、世界をめぐる旅に誘う。橋爪ファウストは重々しい黒マントから英国空軍将校のような衣装に着替え、颯爽と再登場する。しかめっつらしい学者が十代の若者ばりに性欲むんむんになるのが笑いを誘う。

 二人は若者ばかりの地下酒場にはいるが、なんと舞台でマルガレーテ(高橋理恵子)が歌っている。マルガレーテは両親を亡くし、歌手になって自活しているという設定。『嘆きの天使』の時代だって、酒場で歌う歌手はいかがわしい稼業だったのだからやりすぎ。しかし、見せ場になっているので、これはこれでいいのかもしれない。

 ファウストはマルガレーテに一目惚れする。青春をとりもどそうとするかのようにマルガレーテとの恋に溺れこんでいく姿はチャーミングである。演出家は多分、この部分を橋爪に演じさせたかったのだろう。高橋のマルガレーテはういういしくて良い。

 ワルプルギスの夜に出かけている間に悲劇が起こる。妊娠したマルガレーテはファウストに捨てられたと思い、生まれてきた子供を殺してしまったのだ。ファウストは救出にいくが、松明の火が獄舎に燃えうつり、彼女は脱獄を拒否して焼死する。処刑ではなく焼死させたのは、現代の観客に彼女の清純さを印象づけるためだろう。

 第二部はホムンクルスの誕生の場面からはじまる(声は本職の朴璐美)。電球のはいったフラスコがホムンクルスの見立てで、ホムンクルスの先導で新しい冒険に出発する。ファウストは18世紀の貴族の服装に着替えている。

 幕間の後の第二部では、古代ワルプルギスの夜でファウストがヘレナを見そめるところまでは原作に沿っているが、ストーカー的に天の上まで追いかけていくあたりから原作離れがはなはだしくなっていく。「時よ止まれ」という台詞を吐くのも権力欲の肥大からではなく、科学の暴走を止めるという世のため人のためという大義名分がつく。

 ラストは、魔王ルシファーが再登場する点を除けば、原作にもどる。マルガレーテが天使を引きつれてあらわれ、ファウストの魂を天上界に導いていく。

 科学の行きすぎを戒める話にして、現代の観客に受けるようにきれいにまとめていたが、こういう形にしない限り、上演のしようがなかったかもしれない。しかし、これはあくまで円版であって、原作とは別物である。

Jul27

 クネヒトという会社が図書館の蔵書検索とAmazonのリーダーズ・レビューを組みあわせたサービス、クネゾンをはじめた(ITmedia)。

 地域を指定し、書名か著者名、ISBNで検索すると、その本を所蔵する図書館の一覧表と、Amazonに登録されているカスタマーレビューが出てくるというものだ。

 早速試してみたが、わたしの住む町はまだ未対応だった。現在、対応しているのは30都道府県667市町村で、首都圏では埼玉県と神奈川県が、東京都では大田区が抜けている。

 新宿区で試してみたが、新宿区立図書館の代表サイトへのリンクが出てくるだけで、区内のどの図書館に所蔵されているかとか、貸出中かどうかという情報までは出てこない。これだったら、自分で検索した方が早い。

 『砂の女』では3件のカスタマーレビューが表示されたが、『電脳社会の日本語』では1件もないと表示された。実際は『砂の女』には41件、『電脳社会の日本語』には1件が登録されている。たくさん登録されている場合は、最新の3件を表示するようになっているらしい。

 また、Amazonが「カスタマーレビューは他のお客様により書かれたものです。ご購入の際はお客様ご自身の最終判断でご利用ください」と断り書きをしている感想文を「書評」として表示するのはいかがなものか。Amazonの利用者ならよくわかっていると思うが、ほとんどが感想文レベルであって、「書評」のレベルに達しているものはごくすくないのである。

 Amazonで本を探し、注文しようかどうか迷った場合、近くの図書館にあるかどうか調べるという作業は多くの人が日常的にやっているだろう。二回の作業が一度で済むというのが売りらしいが、貸出中かどうかを調べようとすると余計に手間がかかることになる。このサービスは本のことがわかっていないバカが作ったとしか思えない。こういう会社は淘汰されるだろう。

「トリスタンとイゾルデ」

 この芝居は青山円形劇場版を見ているが、今回は上野国立博物館裏の日本庭園での上演。開演は19:30だが、まだ空が青みがかっている。蒸し暑かったが、十分に一度くらい、涼しい風が吹きすぎる。真ん中に座ったせいか、蚊には刺されなかった。三幕目ではミンミンが鳴きだした。

 池に落ちこむ斜面に建てられた舞台は昨秋の「夢幻劇オセロ」の時のものを再利用しているが、下手に男性スピーカーのための地謡席が増設された。囃子方が使っていた舞台奥の張り出しは女性スピーカー席に。ただでさえ細い橋懸りは途中、クランク状に曲がっていて、盲目になったイゾルデが入場する場面でははらはらした。

 まず黒い衣装のスピーカーが橋懸りからあらわれ、男女に別れて地謡席に着席。つづいて、琉球の衣装の侍女とイゾルデ(美加里)が登場し、芝居がはじまる。演出は青山円形劇場版を踏襲しているが、密室性の高い青山円形劇場と、ライトアップした池を背景にした野外公演ではまったく別の芝居のように感じた。ドラマとしての凝集力がなくなった代わりに、美加里を中心にした祭祀のような厳粛性が生まれていた。

 そうなると、トリスタンが前面に出る場面が浮いてしまうのである。トリスタンが褌ひとつで日本刀を振りまわす条などは興ざめだった。密室向けに作った舞台をそのまま野外で上演するのは無理がある。今回も芝居が背景に負けていた。

Jul28

 経済産業省は産学官共同で「情報大航海プロジェクト・コンソーシアム」という日の丸検索エンジンを開発するプロジェクトを立ち上げるが、CNETに「国産検索エンジンはなぜ必要なのか?」という、経済産業省の担当者にインタビューした記事が載った。

 日本のいろいろなところでばらばらに進められているオントロジーや自然言語解析の技術に光をあて、結集し、日本が強い情報家電や画像解析技術、センサー技術を組みあわせれば勝機があるというのだが、本当の目標がどこにあるのかよくわからない。準備会の第一回議事録を見ると、いよいよ朦朧としている。

 必要な予算をとるには、削られることを見越して思いきり大風呂敷を広げておき、本命を残すように駆引していくものだそうだが、今、あがっているアドバルーンにはダミーの目標が相当含まれていそうである。

 20億円から30億円規模の事業になるらしいが、フランスではテキスト検索だけに400億円かけるプロジェクトが動きだしているという。Googleに対抗し、紙の文書をどんどん電子化して検索対象にしていこうとしたら、それくらいの費用はかかってしまうのである。20億円や30億円でできることではない。

 Google対抗というと格好いいが、実は画像検索技術あたりが本命なのかなという印象を受けた。

「輝ける青春」

 1966年から2003年までのイタリアの37年間を6時間6分かけて描いた大河ドラマだが、中だるみもなく最後まで面白く見た。

 左翼的な精神科医になる兄ニコラ(ルイジ・ロ・カーショ)と、兵役に志願後、警察官になるという右翼的な道を選んだマッテオ(アレッシオ・ボーニ)の兄弟が中心だが、イタリア戦後史の代表的な事件にひっかかりをつけるためか、姉は検事、妹は中央銀行のエリート行員の妻、兄の妻のジュリア(ソニア・ベルガマスコ)は赤い旅団のテロリスト、弟の恋人はコルシカ生まれの女流写真家(マヤ・サンサ)という欲ばりな設定になっている。

 物語は1966年春からはじまる。大学1年生のマッテオは実存精神医学の授業で精神病院にボランティアにいき、ジョルジア(ジャスミン・トリンカ)と知りあう。マッテオは兄のニコラ一行について、夏休みに北欧旅行をする計画だったが、ジョルジアが虐待を受けていると察した彼は彼女を病院から連れ出してしまう。ニコラはマッテオとともにジョルジアを実家に送っていくが、父親は再婚して幼い子どもがおり彼女の居場所はなかった。ジョルジオをもてあました二人は検事補をしている姉の任地に相談にいくが、カフェテラスで待たせている間にジョルジオは怪しまれ警察に連行されてしまう。ジョルジオが失踪したと思いこんだニコラは計画通り北欧に行くが、マッテオは唐突に大学を退学し兵役に志願する。

 マッテオはこの後も突発的な行動に走るが、正直言って理解できない。映画の中でも謎としてあつかわれているが、感情的には理解されているらしい。イタリア人はあの発作的な行動に共感できるのだろうか。

 ニコラは旅費を稼ぐためにノルウェイの製材所で働いていたが、フィレンツェで洪水が起こったことを知り帰国する。ニコラは水に浸かった古文書を救出するボランティアに参加し、ジュリアというピアノのうまい女子学生に一目惚れする。彼はジュリアの通うトリノ大学に移り同棲をはじめる。娘サラが産まれるが、ジュリアは左翼活動にのめりこんでいき、ついに家を出て赤い旅団の地下運動に身を投ずる。ここでようやく第一部が終わる。

 第二部では精神科医になったニコラは精神病者の人権のために活動をはじめるが、かつて見失ったジョルジオと再会し患者を食い物にする悪徳精神病院の実態を告発する。その一方、娘のサラが自己主張するようになるし、マッテオに娘がいたことがわかるなど次の世代が登場してきて物語は佳境をむかえる。

 日本でいう団塊の世代の物語だが、大きく見ると左翼運動の高揚と退潮が軸になっており、日本と共通点が多い。世界は一つなのだと再認識した。

Amazon 公式サイト
Jul31

 中国の中国の四大国有商業銀行の一つである中国銀行(BOC)も北朝鮮の口座を凍結していたが明かになった(朝鮮日報聯合ニュースNIKKEIZAKZAK)。北朝鮮は人民元の偽造もおこなっていたので、中国はそれに対する制裁をおこなう可能性もあるようだ(KBS)。

 アメリカ側は中国の立場を考慮し、これまで凍結の事実を公表しなかったが、凍結された金額はマカオのバンコ・デルタ・アジア(BDA)よりもずっと大きく、贋ドルや贋アメリカ煙草の密輸で不正に取得した三億円余をBOCの口座から差し押えるという。

 青瓦台の宋旻淳統一外交安保政策室は「北韓の口座の凍結はしていない」と断言し、「中国が万が一、凍結をしたとしても、それをアメリカに伝えたりはしない」と述べたが(KBS)、これはおかしな話だ。もしアメリカ政府が指定した口座を凍結し、その事実をアメリカ側に伝えないと、BOCはアメリカの銀行との決済業務ができなくなるのである。凍結したなら、絶対にアメリカ政府に伝え、確認を受けているはずである。そうでなければ、凍結した意味がないではないか。

 盧武鉉政権が中国と北朝鮮の間の対立関係を無視しようとするのは、北朝鮮を庇いたいからだが、正反対の立場でも中朝対立を否定する人がいる。中国は北朝鮮と裏でつながっており、北朝鮮の無法行為はすべて中国政府がやらせているとする北朝鮮手先説に固執する人である。

 わたしは北朝鮮手先説は成りたたないと考える。もし中国が北朝鮮を手先に使っているなら、マカオで凍結された外貨を立て替えたはずだからだ。しかしその徴候はなく、金正日は幹部にプレゼントを配ることができず、政権基盤が揺らいでいる。

 中国が北朝鮮を見放したのは、北朝鮮の軟着陸は不可能だと見切りをつけたからだと思う。今年の旧正月に中国は金正日を特別待遇で招待し、鄧小平の南巡講話コースを大名旅行をさせ、胡錦濤との会談で改革解放にとりくむことを約束させた。しかし、帰国後の金正日は改革解放路線に舵を切るどころか、6者協議のボイコットをつづけ、ミサイル発射に踏み切り、核実験までほのめかすようになった。金正日は中国流の改革解放などをやるつもりはないのだ。

 「NET EYE プロの視点」の田村秀男氏は「首領国家」で、金正日に改革解放ができない理由を経済の視点から解きあかしている。。

 北朝鮮経済は政府が主導する第一経済、軍事・軍需の第二経済、朝鮮労働党に直属する党経済の三部門で構成されているが、第二経済と党経済は金正日の直接の支配下にあるので、田村は二つをあわせて「首領経済」と呼ぶことを提案している。すなわち、北朝鮮経済は公的な第一経済と、金正日一派によって私物化された首領経済の二重構造になっているが、首領経済には国家資金の50〜70%が配分されており、その収益は首領体制の宣伝工作、対南工作の秘密資金、さらに金正日を頂点とする特権階層の外国製奢侈品の購入に充当されている。藤本健二氏の『金正日の料理人』には、金正日が毎夜幹部を集めて一本何十万円もするブランデーでがぶ飲み競争をさせたり、藤本氏を外国に高級食材の買いつけに派遣する様子が描かれているが、それはすべて「首領経済」の内部での話なのである。

 中国流の改革解放はその「首領経済」を解体することを意味する。すこし長いが、田村氏の記事から引く。

 その原因は何か。さまざまな憶測が流れているが、筆者は北朝鮮が中国式の改革開放路線に転じれば、北朝鮮の金正日首領経済体制が崩壊してしまう、との危機感があるとみる。改革開放路線は中央に集中していた経済権限を地方に丸投げする「放権譲利」が基本である。

 北京の党中央は土地の使用権を地方にまかせ、地方の党幹部が国有銀行から資金を引き出し、開発を競う。党中央の最高幹部である政治局中央委員会はいくつかの派閥に分かれているが、上海、広東閥が代表例である。閥の代表が常務委員となり、自身の配下を地方の党書記ら幹部に配置し、これらの地方幹部が身内や縁戚を使って不動産開発に励む。5年に1度の党大会では経済実権を握る中央と地方の党幹部の人事が決まるが、前年のことしは各地方が経済成長率という「成果」を誇示するために、ますます開発、投資に励む。胡錦濤総書記・国家主席、温家宝首相ら政府官僚がいくら過熱にブレーキをかけようとしてもだれも耳を貸さない。

 奇怪な様相の「首領経済」は経済特権を分散させる「放権譲利」とは相いれない。つまり中国式改革開放路線は首領経済体制の崩壊につながる。首領経済しか知らない金正日総書記の目から見れば、中国の体制こそは持続不可能に映る。だから、中国に体制保証してもらう意味はたいしてない。中国を相手にせず、唯一の超大国米国との直取引に躍起となる。

 中国の経済成長の危うさを直覚したのは正しいが、といって、金正日には中国以外に参考とすべきべきモデルはない。ロシアや東欧諸国は社会主義体制から資本主義体制への変革を遂げつつあるが、その過程で旧来の権力者は失脚し、多くは下獄している。共産党が権力をたもったまま、資本主義の導入に成功したのは中国だけなのである。

 中国流の改革解放路線を拒絶し、国際舞台でも中国の顔に泥を塗った金正日は中国によって排除されるだろう。金正日体制の終わりはもう見えている。

「カーズ」

 ピクサーの久々の傑作。レーシングカーの話だが、自動車そのものを擬人化して登場させており、自動車レースを自動車が歓声をあげながら観戦する。人間だけでなく、生物はすべて自動車の格好で登場する。放牧されている牛はトラクター、ごみ箱にたかる蝿はミニカーという徹底ぶりだ。

 ピクサーのアニメは、というかアメリカのアニメは擬人化が好きだが、この作品の場合、『トイ・ストーリー』と同じように、擬人化に必然性があると思う。人形が人間のように動きだすのは、昆虫や熱帯魚が人間のドラマをなぞるのとは違うスリルがある。ただの人形ではなく、本物の人間になりたいというピノキオ的欲望がのぞいているからだ。人間が自動車になるのはその裏がえしで、自動車になってしまいたいという逆ピノキオ的というべき欲望がちらちらしている。

 もっとも、ストーリーは他愛がない。実力を過信している生意気な若者が、名声の通用しない田舎町に迷いこんで天狗の鼻を折られ、思いやりを学ぶという成長の物語だが、自動車が自動車に声援を送る場面では倒錯的な夢が垣間見える。

 日本語吹替版で見たが、よくできていた。ただヒロインを戸田惠子にしたのはいかがなものか。戸田惠子はもはや実力派声優ではなく、すぐに顔の浮かぶ有名タレントである。30代という設定にしても、ヒロインにはとうがたちすぎている。声優でなくタレントを使うなら、江角マキコあたりにしてほしかった。

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