エディトリアル   Nov - Dec 1995

加藤弘一 Jan 1996からのエディトリアル
Nov13

 準備中のページがいくつかありますが、ともかく文芸ホームページほら貝はスタートしました。

 この 4日にジル・ドゥルーズが自宅のアパルトマンから飛び降り自殺をとげるという事件があり、ドゥルーズ&ガタリのGopherにはアメリカの哲学関係者たちの狼狽したメールの投稿があいついでいます。

 臨場感あふれるメールを読むと、さすがインターネット……といいたいところですが、正直な話し、たいした書きこみはありません。パリ在住の留学生(?)が、TVでずっとドゥルーズの特番をやっているとうろたえて書いてくるとか、そんなのばかり。

 インターネットは大ブームですが、こと文学関係に関する限り、まことに低調です。ことに国内は皆無といっていいのではないでしょうか(文学のホームページを御存知でしたら、ご一報を)。ホットリストには、海外の文学関係のホームページを並べましたが、ひきつづき読みにいきたいと思ったのはC・S・ルイスバフチーンのページくらいでした。

 考えていることの十分の一もできていませんが、これだけのものを作るにも多くの方のサポートを受けています。いちいちお名前はあげませんが、インタビューに応じてくださった方をはじめとするみなさんに感謝の意を表して、最初のエディトリアルを締めくくります。

Nov24

 意外に早く室井光広さんのインタビューを掲載することができ、ほら貝の二つの柱がそろうことになりました。年末体制でご多忙のところ、なんのお礼もできないほら貝のためにお時間をさいていただいた室井さんには感謝の言葉もありません。

 残るは「e-mailから」だけですが、こればかりはメールが来ないことにははじまりません。ご意見、ご要望、ご感想をお待ちしております。

 メールのアドレスは です。


Dec02

 ほら貝を読んでいただきたい方何人かに郵政省メールでご案内をさしあげたところ、風丸良彦さんから、早速、次のようなメールをいただきました。

>「ほら貝」開設おめでとうございます。
>
> 充実した内容で正直おどろきました。
> 文壇マルチメディア化の先駆として期待大ですね。
> ご健闘を心よりお祈り申し上げます。
>
> まずはご挨拶まで。  ──風丸良彦

文壇では最初の反響でうれしかったですが、文学関係に限らず、出版界一般でも、インターネットを使っている人はすくないのが現状です。

 もっとも、文学にかかわる人間を引きつけるだけの情報が現在のインターネットにあるかというと、かなり疑問です。作家関係のホームページはいくつかあるものの、たいしたものがないのは以前書いたとおりですし、国会図書館の蔵書がいまだにインターネットで検索できないのも困ったものです。国会図書館には、国内のすべての刊行物を納本することになっていますが、翻訳関係だと欠本がすくなくないのです。せめて、一時やっていた、メールによる検索代行サービスを再開してくれたらと思います。

 図書館といえば、都立中央図書館が改修工事のため、来年六月一日まで、半年間の休館にはいりました。三年以上前の雑誌を見るには、ここか、大宅壮一図書館か、悪夢の国会図書館しかないわけで、ものを書く人間にとっては片翼をもがれたも同然です。

 マルチメディアだなんだといっても、文学関係では雑誌が依然として最大のデーターベースですが、日本の住宅事情では、個人で雑誌のバックナンバーを持ち続けるのは困難です。図書館事情に比較的恵まれている東京でも、雑誌に関しては、区の一般図書館で一年、区の中央図書館でも三年しか保存していません。せめて区の中央図書館で十年保存をやってくれればと思うのですが。

Dec13

 ライブラリに掲載した『リタネルの輪』は1968年の作品で、版権は切れているはずだったのですが、切れる前にある出版社が取得していて、削除するよう申し入れをうけました。同作の掲載を打ち切るとともに、ご迷惑をかけた関係者各位にお詫びいたします。

 SF宝石やSFマガジンに翻訳してそれっきりになっている作品や、ごく親しい友人に配るために趣味で翻訳した作品が単行本三冊分くらいあって、順次掲載する予定だったのですが、今回のようなことがあると慎重にならざるをえません。まず版権問題がおこりそうにない作品が何篇かありますし、SF論もクラーク論とハミルトン論が残っていますから、SFファンの方も時々のぞいてみてください。

 マーフィーの法則ではないですが、トラブルはまとまってくるものらしく、メインで使っているDos/VマシンのCRTを修理に出しました。9801があるので仕事面ではさしつかえないのですが、PPP接続ができないので、ホームページのメンテナンスはできませんでした。今日になって、MIXから ftpが使えたことを思いだし、こうしてメンテナンスしたしだいです。

 ほら貝のファイルはすべてDos/Vマシンの方にはいっていたのですが、WWWサーバーからダウンロードすることで、更新することができました。WWWサーバーはバックアップにも使えたわけですね。

 メールアドレスをMIXの方に一本化しておいたのは正解でした。プロバイダが混みあって、思うように接続できないので MIXのアドレスにしたのですが、なにが幸いするかわからないものです。

Dec14

 太田出版から『それでも癒されたい人のための精神世界ガイドブック』という本が出ました。オウム騒動以来、オカルト関係の本が(悪い意味で)注目を集めていますが、実際どんなことが書いてあるのか、本を読むプロである文芸批評家に書評させてみようという趣向です。

 この企画には本を選ぶ段階から、いささか関係していて、九本の原稿を担当したのですが(目次ではクローリーの『ムーン・チャイルド』が上野昂志氏になっていますが、この項はぼくの担当です)、危惧したとおり、大半は茶化した感じで書いています。問題のある本が多いのも事実ですが、内容に踏みこまず、低俗で片づけるのなら、『トンデモ本の世界』の方がおもしろいでしょう。

 昨日、西野流の忘年会があったのですが、こちらもオウムの影響なのかどうかはわかりませんが、例年より参加者がすくなかったみたいですし、由美かおるさんの一本締めもありませんでした。その代わり、恒例の鏡割りでは、井辻朱美さんが朱色のスーツで登壇して、かっこよかったです。

Dec20

 修理に出してあったCRTがもどってきて、通常のメンテナンスができるようになりました。訪問者のカウントも開始します。

 ディレクトリサービスに登録しようとしたところ、なぜか「文学」という項目がないんですね。「趣味」や「娯楽」でもかまわないのですが、いくつかのディレクトリサービスに「文学」カテゴリー新設の要望をメールしたところ、JapanSearchEngineから、できるだけ早く対応するという丁重な返信をもらいました。他のサーチエンジンでも早急に新設してほしいものです。


Dec25

 山西料理を食べる忘年会に出ました。山西省は戦国時代の晋の故地だそうですが、中華にしては脂っこくなく、味つけも淡白で、ものたりないときには黒酢をかけます。黒酢は健康食品にもなっていますが、やや渋みがあり、料理にこくが出ます。海鼠にいたっては玄妙な味わいでした。

 山西ダックもはじめて食べました。胡瓜と葱の千切りといっしょにして、甘味噌でいただくのは北京ダックと同じですが、小麦粉の皮でくるむのではなく、中味のない饅頭の中にいれるのと、一回脂抜きした鶏を長時間かけて蒸し焼きにしたところが違っています。脂っこくないので、最後まで堪能できましたし、骨も食べられ、これがまた香ばしくて、こんな料理が隠れていたのかと嘆息しました。中国はまことに偉大です。

 この忘年会には同年代の作家が集まったのですが、席上、なぜCRTに映る漢字が変な風に簡略化した字体になるのかという話から、文字コードの話になりました。ことのなりゆきで JIS第一水準、第二水準から補助漢字、Unicodeとあらましを説明したのですが、文学畑の人たちばかりだったので、文字コードが通産省管轄の工業技術院や、アメリカで決められたということをご存じなく、みな驚くとともに、憤慨していました。

 文芸家協会で問題にしようという結論になったのですが、正直な話し、今さら遅いのではないかという気がします。しかし、手遅れとはいえ、文字コードがどんな風に決められたかは、文学にたずさわる者として、知っておくべきことではあるでしょう。ほら貝としても、なんらかの働きかけをすることになるかもしれません。

 石川淳夫人の石川活先生にインタビューをお願いしようとしたところ、現在、入院されているとのことでした。活先生の一日も早いご本復をお祈りいたします。


Dec30

 カウントをはじめたのはいいけれども、さっぱり数字が伸びません。

 ディレクトリサービスにしらみつぶしに登録しているのですが、十数ヶ所まわったうち、分類に「文学」という項目を立てているところはHole-in-one図書館情報大学の二ヶ所しかありませんでした。図書館情報大の方は本を分類する十進分類法を流用しているわけですから、自覚的に「文学」カテゴリーを設けていたのは一ヶ所だけということになります(娯楽の下でした)。この二ヶ所以外では、「趣味」、「娯楽」、「本」といった項目の下にぶら下げることになります。

 アメリカの本家 Yahooを見ると、Literatureの項目には300あまりの作家ページが並んでいますが、日本では現在確認した限りでは、ほら貝をいれて、四つしかありませんでした。

Copyright 1995 Kato Koiti
This page was created on Nov13 1995.
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