読書ファイル   1996年 9 -12月

加藤弘一
1996年 8月までの読書ファイル
1997年 1月からの読書ファイル
書名索引 / 著者索引
September
内藤正敏 『魔都江戸の都市計画』
中沢新一 『純粋な自然の贈与』
平本紀久雄 『イワシの自然誌』
村上龍 『映画小説集』
October
堀栄三 『大本営参謀の情報戦記』
大塚恭男 『東洋医学』
大澤真幸 『虚構の時代の果て』
November
遠藤諭 『計算機屋かく戦えり』
星野力 『誰がどうやってコンピュータを創ったのか?』
December
伊藤英俊 『漢字文化とコンピュータ』
加門七海 『将門魔方陣』
上田篤 『日本の都市は海からつくられた』
毛綱毅網 『風水伝奇 ガイア・インターネット』

September 1996

内藤正敏 『魔都江戸の都市計画』 洋泉社

 題名からすると、江戸の呪術解読もの二番煎じで、天海上人がどうのこうのという話かなと思ったが、そうではなかった。呪術解読ものにはちがいないが、本書の中心になった文章は1985年に発表されていて、一連の類書の種本にあたるものだった。呪術によって結界された魔界都市、江戸の発見は本書の冒頭におかれた「徳川幕藩制国家の呪的都市計画」をもって嚆矢とするようである(荒俣宏氏の『帝都物語』の方が早い?)。

 本書はプライオリティがあるというだけではなく、徳川幕府が単なる政権であっただけでなく、東国王権でもあったという観点につらぬかれている。国家というのは怖い部分がないとなりたたないらしく、怖さをいかに演出するかで、国家の安定度がきまってくる。このあたりが論じられるようになったのはまだ新しく、徳川将軍家が天皇家とは別の王権だという説はこれからの課題だろう。

 著者による江戸の都市計画の解読はあくまで徳川将軍家の王権を解明する試みの一環なのである。類書のように地図を操作するだけで終わるのではなく、将軍家がにぎにぎしくおこなった数々の儀式や、民間信仰も対象となっている。建物や都市計画はあくまでハードウェアにすぎず、王権が王権として呪的な威光を発揮するには(民衆を怖がらせるには)、儀式や民間伝承というソフトウェアが必要なのだから、当たり前といえば当たり前だが。

 著者は徳川王権を解明する大著を準備中だそうで、本書はあくまで一般向けの「予告編」にすぎないらしい。実際、インタビューがあったり、座談会があったりのよせあつめ状態であるが、民俗学者の宮田登氏と上野寛永寺執事で歴史学者の浦井正明氏をまじえた鼎談はよそでは読んだことのない話がいろいろつまっていて、一読の価値がある。

中沢新一 『純粋な自然の贈与』 せりか書房

 著者は一連のオウム事件で「戦犯」あつかいされ、謹慎をよぎなくされたという噂もあるが、この騒動、思想家中沢新一にとっては(そして読者にとっても)、かえって幸運だったかもしれない。じっくり腰をすえて書いたとおぼしい『純粋な自然の贈与』がすばらしい本に仕上がっているからだ。

 中沢氏の本は『野うさぎの走り』あたりから水増しという印象がぬぐえなかった。刺激的だし、おもしろいものの、『チベットのモーツアルト』や『雪片曲線論』のレベルにとどいていないのではないかという思いがあったのだ。今回の本は初期の論集をこえる傑作ではないかと思う。

 キリスト教の三位一体論の歴史の中に聖霊と資本の隠微な関係を位置づけた序文や次の「すばらしい日本捕鯨」もみごとだが、三番目にくる「日本思想の原郷」は度会行忠と『問はず語り』の作者の出会いを発端に、原始神道から本居宣長の国学にいたる日本思想史の隠れた水脈を掘りおこした瞠目すべき論文である。

 このあと、二篇のゴダール論とバルトーク論をはさんで、書き下ろしの「新贈与論」と「ディケンズの亡霊」からなる後半にはいる。

 後半の二つの論文では霊の種々相をさぐった前半の考察を文化人類学の視野におきなおし、旧石器時代以来の人類史のなかに位置づけようとしていて、それがみごとに決まっている。

平本紀久雄 『イワシの自然誌』 中公新書

 著者はイワシ漁の基地として知られる館山の水産試験場につとめる技師である。中央の学会からはあまり重んじられてはいないらしいが、30年間、地域の漁民に漁況予報を発しつづけ、みずから「イワシの予報官」を任じている。漁労長から重要なデータの提供をうけることもあれば、船主から事業展開について相談をうけることもあるというから、「町医者」的な役割をはたしているのだろう。

 豊漁となる魚種が数十年単位で交替する現象については気候変動説、自転速度変化による海流変動説など、さまざまな仮説が提唱されているが、マイワシの資源量の変動が直接の原因となって、他魚種の変動を引き起こすのはほぼ定説になっているようだ。なんらかの原因でマイワシが増えると、餌となるプランクトンを食べつくしてしまい、サンマやカタクチイワシやマサバが減少するが、マイワシが減ると、他種が増えるチャンスがめぐってくるというわけである。

 著者はマイワシの増減の原因はマイワシ自身の生態の変化にあるとする。豊漁期のマイワシは、餌を求めて回遊範囲と産卵域を広げるが、それにともなって魚体は痩せ、成熟により長い期間を要するようになる。極限まで分布域が拡大すると、わずかな気候変動で稚魚が大量死し、不漁に転じる。このように資源の増減が自律的なリズムを生みだすとする「自己振動説」は、現在有力な仮説とされている。著者には申しわけないが、マイワシは海のイナゴのような存在なのかもしれない。

 著者によると、人間の乱獲防止くらいではマイワシの豊漁・不漁の波をならすことはできないが、不漁期においてマシラスの全面禁漁をおこなえば、落ちこみをある程度なだらかにできるのではないかという。

 漁の現場をよく知る著者の提言は、漁業の持続可能性を考える上で傾聴に値するだろう。

村上龍 『映画小説集』 講談社

 村上龍の新刊は必ず目を通すようにしているが、『映画小説集』はしばらく積ん読の状態だった。題名が出来のよくない『料理小説集』に似ていたからだ。ある時、目次をながめると、60年代、70年代の名画の題名がならんでいる。ジャズのスタンダード・ナンバーに想をとった『恋はいつも未知なもの』と同じ趣向である。はたして最初の作品を読みだすと、傑作だと直感した。

 本書は出色の短編集である。冒頭の「甘い生活」は愛すべき作品で、村上がこれまで書いた中で最高の短編の一つだ。これだけの作品はあと何編も書けないのではないだろうか。次の「ラスト・ショー」もいい。三作目からは中だるみ気味だが、七作目の「アラビアのロレンス」から調子をとりもどし、最後まで高いテンションを維持している。

 一連の短編の主人公兼語り手はヤザキという中年の小説家で、『エクスタシー』と『メランコリア』の主人公と同名である。十八歳で長崎から上京して福生に住み、ドラッグとセックスにあけくれるヒッピー生活を送った後、その体験を描いた小説でデビューしたとなれば、村上本人の分身であることは自明だろう。もちろん、体験そのままを書いたはずもないが、『限りなく透明に近いブルー』の登場人物が再登場し、時代背景もくわしく描かれている。

 デビューから25年をへて小説の厚みが一段と増している。村上龍はいい年のとり方をした。

October 1996

堀栄三 『大本営参謀の情報戦記』 文春文庫

 堀栄三氏は前大戦中、フィリピンの山下方面軍幕下から大本営陸軍部情報参謀となった人物である。戦後は自衛隊で情報部門を担当したというから、情報畑の第一人者といえる。

 大本営発表といえば嘘八百の代名詞だし、旧日本軍の参謀も最近は無責任官僚の元祖のようなあつかいだから、「大本営参謀」となると大蔵省主計局や厚生省薬務局級に印象が悪い。どんな言い訳をしているのかという興味で読みはじめたが、恐ろしいことが書いてあった。大本営のほとんどの参謀は大本営発表を事実と信じこんで、作戦をたてていたというのである。

 なぜ、そんなことになったのか? もともと陸軍と海軍の仲が悪く、おたがい自分の失敗を隠していたということもあるが(陸軍参謀である著者はミッドウェー海戦で日本の機動部隊が全滅したことを、ドイツ武官から教えられるまで知らなかったそうである)、日本には航空戦の戦果を客観的に検証する仕組がなく、パイロットの希望的観測のまじった報告を鵜呑みにするしかなかったからだ。もちろん、その背景には情報軽視という日本の宿痾がある(情報参謀は大本営の作戦室にはいれなかった!)。

 あきれるような話がこれでもかこれでもかと出てくるが、昭和18年後半にはいり、ガタルカナルで守備隊がつぎつぎに玉砕していくと、さすがの大本営もこれはおかしいと気がつき、着任したばかりの著者にアメリカ軍の戦法を研究させた。戦争をはじめて2年近くたって相手の研究をはじめるとは泥縄もいいところだが、1年後、著者は『敵軍戦法早わかり』という冊子をまとめた。サイパン戦には間にあわなかったが、硫黄島や沖縄、ルソン島の戦闘ではこの研究がいかされ、アメリカ軍に多大の損害をあたえることになった(なまじ効果的な反撃ができたために、住民や日本の将兵の苦しみが長引いた面もあるが)。

 敗戦後も日本の情報音痴ぶりはあいかわらずだが、アメリカはこと情報に関しては神経質で、著者たちがたてたアメリカ軍の本土上陸作戦の予想があまりにも当たっていたので、情報漏洩がなかったかどうか、執拗に取り調べられたという。なんと、1985年になっても同じ件で取材をうけたというから、徹底している。

大塚恭男 『東洋医学』 岩波新書

 著者の大塚恭男氏は今日の漢方医学復興の基をすえた故大塚敬節医師のご子息にあたり、現在、北里研究所付属東洋医学研究所の所長をつとめている方である。

 大塚敬節の本は昔、何冊か読んだが、こんな症状にこんな処方を出したら治ったという細かい話が主で、総論的な話になると西洋医学は分析的だが、東洋医学は総合的だというような図式の羅列に終始し、誰もが納得するようには書かれていなかった。いろいろな人が大塚敬節について書いた本を読むと、どうも天才肌の激しい人で、臨床家としてはすごいけれども、自分の直観を第三者にもわかるように表現するのが不得意だったようである。そういう激しさがなければ、明治以来ずっとつづいた漢方医学受難時代に、伝統の復興なんていう大仕事はできなかっただろうが。

 他方、後継者の恭男氏は本書の印象からすると、着実につみあげていく秀才型のようで、ちょうど伊藤仁斎・東涯父子のような関係なのかもしれない。

 本書は12章にわかれ、8章までが総論、後ろの4章が処方の適用例を紹介した各論にあたる。各章の終りには鑑真和上や『医心方』の丹波康頼から、戦国・江戸期を経て、明治以後にいたる漢方の名医を紹介したコラムがおかれている。

 おもしろいのはなんといっても総論の部分だ。東洋医学の歴史から独特の身体観、疾病観が、西洋の古代医学との比較のもとに簡潔に述べられており、現代医学の見地から見るとどうなるかという、現代人にとっては一番知りたいことにもスペースがさかれている。これだけわかりやすい、説得力のある東洋医学の概説ははじめて読んだ。

 後半の処方の紹介は新書にはそぐわないし、実用本位の内容は別の本にした方がよかったと思う。むしろ、コラムで紹介されている名医列伝をひとつづきの文章にまとめて、中国とは別の形で発展した日本漢方の歴史を語ってほしかった。

大澤真幸 『虚構の時代の果て』 ちくま新書

 サリン=クンダリーニ説で評判になったオウム解読本である。大ざっぱにまとめると、オウムの売り物にした超能力はテレパシーにしても、アストラル体投射にしても、空中浮遊にしても、自己の身体の枠をこえて意識がひろがっていく状態をめざしている。それは必然的に自他の境界を曖昧にして、自分がガス状に拡散していくと同時に、自分の中に見えないガス状の他者がまぎれこんでくるという恐怖をうむ。その恐怖の隠喩的表現がサリンだというわけだ。

 多少とも瞑想やヨガに興味があり、実践を経験したことのある人間としては、オウムのすべてをペテンと薬物で片づける風潮は危険だと思ってきた。薬物にはしる以前のオウムではそれなりの修練の効果が出ていたといわれているし、こんな騒動になる前、最初期のオウムを知る人に様子を聞いたことがあるが、そういうことがあってもおかしくないと思われる内容だった。

 正直に言おう。麻原にはそれなりの神秘的能力があったとわたしは考えている。俗物だからすべてインチキだ(神秘的能力をもたない)という言い方は神秘的能力をもっていれば、人格的にすぐれているという予断を強化してしまう。

 オウムの主張する神秘的能力を思想的にきちんと検討しようとした著者の試みはとても貴重だし、本書には傾聴に値する部分が多々あると思う。本書は片山洋次郎氏の『オウムと身体』(日本エディタースクール出版部)とともに、これまで書かれたうちでもっとも重要なオウム本だと言って差支えないと思うが、いくつかの点で勘違いしているのではないかという気もする。

November 1996

遠藤諭 『計算機屋かく戦えり』 アスキー

 本書は「月刊アスキー」に1993年5月号から1995年6月号まで、2年余にわたって連載された、日本のコンピュータ揺籃期に活躍したキーパーソンのインタビューをまとめた本である。まさにオールスターキャストだが、年齢と考えると今はぎりぎりのタイミングである。それでも鬼籍にはいっている人は少なくなく、その場合は故人をよく知る後輩や部下、弟子に業績と人となりを語ってもらっている。

 NHKのドキュメンタリー・シリーズ『新・電子立国』と重なる部分が大きいが、数値計算の基礎技術を確立した宇野利雄氏や、まだ未熟なコンピュータをいち早く導入してオンラインシステムを稼働させた小野田セメントの南澤宣郎氏はこちらにしか登場しないし、手回し式計算機や計算尺、アメリカ軍を翻弄した「パープル」暗号機といったコンピュータ前史にまで目を配っていて、日本の技術の分厚い蓄積と広がりを実感させてくれる。

 『新・電子立国』に登場した人も本書ではずいぶん印象が違う。富士通の今日を築いた池田敏雄氏や塩川新助氏はNHKではひたむきな技術者として描かれていたが、本書では破天荒な仕事ぶりに唖然とするし、それを許していた当時の社長もなかなかである。日本にもこういう時代があったのである。

 『新・電子立国』で技術史に関心をもった人はもちろん、昭和に興味を持つ人にもお勧めできるインタビュー集だが、秋葉原電気街の産みの親というべき易者さん(!)の息子にあたる人の回が単行本では削られてしまったのは残念だった。

 また、この本だけではないが、ENIACを「世界最初のコンピュータ」としている点もいかがか。モレンホフの『ENIAC神話の崩れた日』(工業調査会)によれば、1946年に稼働したENIACは、アイオワ州立大のアタナソフが1941年まで試作していたABCマシンのアイデアをとりいれており、1973年のラーソン判決でABCマシンの先行性が認められ、ENIACの基本特許は無効となっているという。

注:モークリー批判は早計だった。詳しくは次項の星野力『誰がどうやってコンピュータを創ったのか?』参照。
星野力 『誰がどうやってコンピュータを創ったのか?』 共立出版

 先日とりあげた『計算機屋かく戦えり』で、世界最初のコンピュータはENIACではなく、アタナソフのABCマシンだと書いたところ、JCS委員会の芝野氏からモレンホフの『ENIAC神話の崩れた日』の解釈には問題があるので、星野力氏の『誰がどうやってコンピュータを創ったのか?』を併読するようご教示をいただいた。同書の刊行は昨年だが、もうどこにもおいてなくて、神保町の東京堂でようやく入手した。

 この本は歴史記述部分を明朝体、著者の論評部分をタイボ体で組んで、一目でわかるように分離している。参考文献も「一次資料」と「二次資料」をわけ、一次資料のうち当事者がリアルタイムで記したものを「特級資料」と位置づけている。コンピュータの起源は、技術史上の問題であるだけでなく、巨額の特許料がからむ問題だけに(モレンホフが掘りおこしたラーソン判決はまさに特許権をめぐる裁定だった)、このような慎重な史料批判が必要になるのだろう。

 本書の結論だが、ABCマシンもENIACも途中段階のマシンにすぎず、「世界最初のコンピュータ」は1949年5月にケンブリッジ大学のウィルクスが稼働させたEDSACだというものだ。

 いきなりダークホースが登場したが、本書によれば、計算しかできない電子計算機と、なんでもできる電脳のわかれ目は、マシンが実行中に自らの計算結果をもとにプログラムを動的に変更できるかどうかにあり、そのためにはプログラムをデータとともに同一メモリに「内蔵」し、かつ「可変」である必要がある。

 この観点からすると、ABCマシンは電子計算機ではあったが、プログラムは外部にあり内蔵ではなかった。ENIACの方はプログラムを変更するには配線の組替えとスィッチ操作が必要だったし、1948年の改修でプログラムの一部をメモリに格納するようになったものの、プログラム全体ではなかった。ENIACは「プログラム可変内蔵方式」の一歩手前まで来ていたが、そこで足踏みしていたのだ。

 「プログラムとデータを同一メモリ上に置く」というアイデアは、1945年にフォン・ノイマンが中心となってまとめた「EDVACに関する最初の報告書」で知られるようになったが、本書によれば、その発想自体はモークリーにさかのぼるという。ただ、ここでも議論はわかれていて、ノイマンは理論的に整理しただけとする見方や、モークリーはメモリ節約のためにデータと命令の同居を思いついただけで、その画期的意義はわかっていなかったとする見方もあるという。

 薄皮を剥がすような議論がつづいて脳が疲労してしまうが、当事者のモークリーにとっては人生を賭けた問題だった。本書によれば、モークリーはフォン・ノイマンには名声を独り占めされ(「ノイマン型コンピュータ」とは言うが、「モークリー型コンピュータ」とは言わない)、アタナソフには泥棒呼ばわりされ、悲憤のうちに悶死したという。前に書いたモークリー批判は取り消したい。

 モークリーが「プログラム可変内蔵方式」にどこまで寄与したかどうかは別にしても、真空管1万8千本、重さ30トンの未曾有の巨大電子装置をつくりあげ、実際に運用したことは間違いなく、大規模プロジェクトの先駆者として評価すべきだという議論があることをつけくわえておきたい。

 野次馬気分でコンピュータ起源問題の専門書を読んでしまったが、プログラムの「可変」と「内蔵」にコンピュータの万能性の秘密があることを理解できたのは収穫だった。

December 1996

伊藤英俊 『漢字文化とコンピュータ』 中公PC新書

 日本語ワープロの誕生から最近のユニコードをめぐる議論まで、文字コードの問題を一般向けに解説した本である。著者はNECの関連会社で長らくプリンタの開発にあたっていた技術者で、JISの文字コード関係の委員会に参加したこともあるという。

 表題にある「漢字文化」に関しては漢字クイズくらいしかないが、文字コードについてはなかなかわかりやすくまとめてある。

 一般向けの啓蒙書だからか、表向きの内容しか書かれていない印象を受けた。ちらちらとJIS批判が出てくるが、NECを代表してJISの委員になったのなら、JISの委員会ではどんな議論がおこなわれたのか、書いてほしかった。

加門七海 『将門魔方陣』 河出文庫

 『大江戸魔方陣』、『東京魔方陣』の加門七海氏が、この二作に先んじて出した本で、江戸=東京の魔術的都市論にとりくんだ最初の仕事だという。単行本出版時の題名は『平将門は神になれたか』だったが、文庫化にあたり「魔方陣」に統一し、三部作であることを明確にしたらしい。

 地図上で神社間に線を引き、魔方陣探しをする趣向は『大江戸魔方陣』、『東京魔方陣』と同じだが、将門ゆかりの神社をむすぶと北斗七星の形になるあたり、思わずうなった。将門と妙見信仰の係わりからいって、筋のいい見方かもしれない。

 『大江戸魔方陣』、『東京魔方陣』では成立条件が甘すぎる二等辺三角形が基本だったので、説得力がいまいちだったが、将門がらみで北斗七星の図形が地図上に浮かびあがってくるとなると、加門説は無視できなくなる。

 『東京魔方陣』で一番おもしろかったのは、近代化したはずの明治政府や戦後の日本政府までもが都市改造に二等辺三角形の呪術を使っていたという条だったが、本書はさらにスケールアップして、神田明神が明治天皇親拝のために将門を祭神からはずしたとか、神社本庁が妙なことをやっていたとか、きな臭い話がばんばん出てくる。

 こうなると、わが氷川神社はどうなのか、気になってくる。氷川神社にもぜひ魔法陣を見つけ出してほしいものだ。

上田篤 『日本の都市は海からつくられた』 中公新書

 日本が稲作を基本にした農業国だという江戸幕府と明治政府のでっちあげた神話は網野善彦らの一連の仕事で否定されたが、本書は建築の分野からの日本=農業国神話の見直しである。

 著者は都市計画を専門とする建築家で、西洋流の都市計画は日本になじまないのはなぜかという問題意識をもっていたという。本書が卓抜なのは西洋流の都市計画が日本にあわないだけでなく、中国流の都市計画もあわないことに着目した点だろう。実際、京都を例外として、奈良時代に全国62ヶ所の陸路の拠点に建設された条理都市はほとんど発展をみなかった。日本の大都市は京都以外はすべて漁村から発展した。世界的に見て、これはきわめて特異なことだそうである。

 著者は貝塚や海岸古墳、神社が漁民のためのランドマークの役目をはたしていたことに注目し、沖縄のウタキの分析を通じて、日本の都市の原型が海辺の聖地であり、現在の巨大都市にも漁村の構造が隠れているという刺激的な仮説を提出する。

 まだ理論としては発展途上だが、生食や木、侘び住まいへのこだわりといった日本文化の特質にも縄文以来の漁民文化の観点から考察をくわえていて、きわめて刺激的である。日本論としても出色の本だと思う。

毛綱毅網 『風水伝奇 ガイア・インターネット』 時事通信社

 著者は風水がこんなにブームになる前から都市の呪術的側面に注目してきた異能の建築家である。これまでにもいろいろと怪しげな本を出しているが、今回の本はきわめつけといえる。荒俣宏氏の小説に著者をモデルにしたとおぼしい「田網毅網」なる悪逆非道の建築家が登場するそうだが、本書はその田網毅網と、陰陽道の大宗、安倍晴明との対話という形式をとっているのだ。平田篤胤やムー大陸時代の記憶をとりもどしたと称する危ない医者、ダウジングの達人も(後の二人は現存の人物)ゲスト出演している。

 題名には「インターネット」とあるが、これは昨今のインターネット・ブームにあやかっただけで、著者がいうのは龍脈とかレイラインと呼ばれてきた大地の中を流れているとされるエネルギーのネットワークのことである。この大地のエネルギー流を操作する技術が風水なのである。

 オカルト方面の話題はどこかで聞いたようなものがほとんどだが、建築業界の裏話はこの人の独擅場である。イニシャルで隠してあるが、丹下健三や黒川紀章の作った建物にはいった会社はどこも左前になるとのこと。

 ぶっ飛びすぎの部分もあるが、建築が精神の深い部分につながる営みであることはこういう飛んだ本の方がよくわかるのも事実だ。

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Copyright 1996 Kato Koiti
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